上野 沼田城



お城のデータ
所在地 群馬県沼田市西倉内町594
遺 構 曲輪、石垣、土塁
形 式 崖端城 築城者: 沼田顕泰 築城年代: 天文年間


見 ど こ ろ

 沼田城は、利根川左岸段丘端を利用して築かれた城だ。 沼田城は、利根川左岸段丘端を利用して築かれた城だ。

 沼田城は、断崖に面して本丸を置き、梯郭式に二の丸・三の丸・外曲輪を配し、本丸北側に捨曲輪・保科曲輪がある。 本丸には、真田時代には五層天守、再築時には三層天守(御三階櫓)が建てられていた。

 現在、公園・グランド・テニスコートなどがある沼田公園となっているが、城の面影はあまり残されていない。 それでも縄張図片手に公園内を探索すると天守台の土壇、発掘された御殿桜のある櫓台(真田時代の五層天守台とも云われている)、本丸北側から捨曲輪の辺り、二の丸南面辺り(テニスコートの北側)が城の名残をわずかに伝えていた。


歴     史

 沼田城は、天文年間に沼田顕泰によって築かれた。 上杉・北条・武田氏による争奪が繰り返され、その渦中で沼田氏は滅亡する。 天正7年、武田方の真田昌幸が沼田城を攻め取り、以後沼田城を巡って真田氏と北条氏が攻防を繰り返した。

 天正16年、秀吉の調停により沼田城は北条氏に引き渡され、猪俣邦憲が城代となった。 天正17年に真田氏領の名胡桃城を猪俣邦憲が奪い取ったことが、小田原征伐の口実となった。

 天正18年、北条氏滅亡に後沼田城は再び真田昌幸の持城となり、嫡男信幸が沼田に入った。 信幸は、五層の天守を築くなど近世城郭へと改築した。 慶長5年、関ヶ原の役では信幸は父昌幸と別れ家康方に与した。

 戦後、父昌幸の所領も与えられ、信濃上田・上野沼田合わせて13万石を領して居城を上田へ移し、沼田には嫡男信吉が城主として入った。 その後、天和元年、真田信利(信幸の孫)は領国政事不行届きを理由に改易され、沼田城は破城された。

 幕府天領を経て、本多正永が2万石を領して入封して城を再築したが、真田時代に比べ小規模な城となった。 本多−天領−黒田氏と城主が替わり、寛保2年に黒田氏が上総久留里へと移ると駿河田中から土岐頼稔が入り、35,000石を領して12代頼知の時に明治を迎えた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR上越線沼田駅〜バス/沼田局
 車 : 関越道沼田IC〜国道120号線
駐車場: 沼田公園の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
発掘により真田時代の石垣が蘇った!

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