伊予 能島城



お城のデータ
所在地 愛媛県今治市宮窪町宮窪
遺 構 曲輪、岩礁ピット
形 式 水軍城 築城者: 村上雅房 築城年代: 応永26年


見 ど こ ろ
(カレイ山展望公園から眺めた能島城)
(大穴と呼ばれる岩礁ピット)

 能島は、宮窪瀬戸の激しい潮流(最大10ノット:時速約18.5 km)が島の周囲に渦巻く。 船の航行の難所であもある。 能島へは宮窪の漁港から船で渡るしかないが、春の桜のシーズンに数日だけ上陸することができる。 今回は、特別に学芸員の方に案内され、上陸するすることができた。

 能島城は、能島(本城)と鯛崎島(出城)全体に築かれた水軍城(海賊城)だ。 ここを根拠地にしていた村上氏は、瀬戸の難所を航行する船から通行税(関銭)を取り、船の安全航行を保障していた。 もっとも、関銭を払わなかった時は本当の海賊になるのだが・・・。

 能島城は、島の中央部に掻き揚げ式の主郭を置き、主郭を取り囲む様に二の曲輪、更に西側に三の曲輪と三段に削平された曲輪が配され、主郭南下には出丸を設けた縄張りとなっている。

 桟橋から石垣が積まれた平坦地に城跡碑が立てられていたが、この場所には発掘調査の結果、建物遺構は確認されていないとか。 むしろ三の曲輪からは鍛冶施設の遺構など、生活空間としての遺構が出土しているとのこと。

 能島城の海岸には、岩礁ピットが数多く見受けられ、中でも直径1m程の「大穴」と呼ばれるピットが2ヵ所ある。 島の北側にある砂浜にも同様に岩礁ピットがみられ、この砂浜が「舟溜まり」であった。 能島城の大手口はこの砂浜の舟溜まりと考えられ、三の曲輪へと登城道も発掘により確認されている。


歴     史

 能島城は、応永26年に能島村上雅房によって築かれた。 能島村上氏は、伯方島伯方城を大根城とし、この能島城を詰の城としていた。

 天文12年に2代隆勝の跡目相続を巡り内訌があり、村上武吉が家督相続する。 武吉の時代に能島村上氏の最盛期を迎えた。 武吉は、水軍の将として独立した勢力であったが、巌島の合戦や石山合戦など毛利氏に与して行動している。

 天正13年、豊臣秀吉の四国平定後に小早川隆景の旧領安芸鎮海山城へと移され、能島城も廃城となった。 村上武吉は、天正16年の「海賊禁止令」により海上特権を秀吉によって奪われ、その後能島村上氏は毛利氏に仕えた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR予讃本線今治駅〜バス/大島BS〜バス/村上水軍博物館
 車 : しまなみ海道大島北・南IC〜国道317号線
駐車場: 村上水軍博物館の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
宮窪瀬戸の激しい潮流に守られた水軍城。

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