岩代 二本松城



お城のデータ
所在地 福島県二本松市郭内
遺 構 曲輪、天守台、復元櫓、門、石垣
形 式 平山城 築城者: 畠山満泰 築城年代: 応永21年


見 ど こ ろ

 
二本松城は、二本松市街地の北側に位置する丘陵を利用して築かれた城だ。 山頂部から各支尾根に曲輪や城門を並べ、谷間には土塁と堀を築く、尾根筋と谷間とも城域に取り込んだ「馬蹄形城郭」とも云われる珍しい縄張りの城だ。

 しかも、山頂部の中世城郭と山麓に展開されている近世城郭と二つ築城年代が異なる二つの城から成り立っているのも珍しい。

 中世城郭部分は、山頂部分を中心大きくは本城・東城・西城と3つの曲輪からなり、戦国期の二本松城の姿を今に伝えている。 本城にある天守台を始めとする石垣群はなかなかのもの。 これは、蒲生氏等会津の支城時代に修築されたもので、大石垣と呼ばれる東北地方最古の野面積みの石垣もここにある。

 山麓の近世城郭は、加藤氏・丹羽氏時代に修築・拡張された。 二の丸の高々と築き上げられた石垣、その上には二層櫓、平櫓、城壁、それらに守られて二の丸の表門である箕輪門が復元されている。 箕輪門を経て御殿に至るがこの間に塀重門があり、今も枡形の石垣が残る。


歴     史

 二本松城は、応永21年に畠山満泰によって白旗ヶ峰に築城され、以後9代に渡って畠山氏の居城であった。 天正13年、時の城主畠山義継は、伊達政宗の父輝宗を拉致したが阿武隈河畔で政宗によって輝宗共々射殺された。 城は、翌年再度政宗に攻められて、城主義綱は開城して会津にさった。

 畠山氏滅亡後、伊達成実が大森城から移り城主となったが、天正18年に蒲生氏郷が会津に入り二本松城は会津領となった。 蒲生・上杉・再度蒲生氏領となり、蒲生氏改易後の寛永4年、下野烏山より松下重綱が入封、重綱没後三春城から加藤明利が入った。

 寛永20年、磐城小峰城より丹羽光重が10万石で入封した。 光重は、城を改修して山城を廃し、山麓に城館を築いて近世城郭としての体裁を整えた。 丹羽氏は、12代続き長裕のとき明治を迎えた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東北本線二本松駅〜バス/郭内
 車 : 東北道二本松IC〜県道355号線〜市道
駐車場: 霞ヶ城公園の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
山頂部のお城と山麓のお城二つのお城が楽しめる。

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