上野 名胡桃城



お城のデータ
所在地 群馬県利根郡みなかみ町下津3437
遺 構 曲輪、土塁、空堀、土橋
形 式 崖端城 築城者: 沼田景久 築城年代: 明応年間


見 ど こ ろ

 名胡桃城は、利根川に突き出した河岸段丘の先端部を利用して築かれてた城だ。 城跡に立つと利根川から沼田方面を一望することができ、対岸には明徳寺城を遠望することができる。

城の縄張りは、城域の両側が深い谷筋となっているため、西側の外郭部から堀切で城域を隔離した山城同様の曲輪配置を可能にしている。

 国道沿いにある角馬出から外郭と三の丸との間の堀切は不明瞭となっているが、ここより梯郭式に三の丸・二の丸・本丸・笹曲輪とそれぞれ空堀によって仕切られた曲輪が直線的に並ぶ。 さらに谷筋を利用した空堀を隔てて北側には般若曲輪が配されている。

 これらの曲輪との間に設けられた空堀を渡る土橋は、それぞれ良く残っていて、堀の深さもあり見応えのある遺構であった。


歴     史

 名胡桃城は、明応年間に沼田景冬によって築かれた。 景冬は、沼田城主沼田景久の三男でこの地に分地され名胡桃氏を称し、その子景夏が継承した。

 戦国時代に北条・武田・上杉氏による勢力争いの中で沼田氏が没落するが、永禄12年頃には鈴木主水重則が名胡桃城主であった。 

天正7年から真田昌幸が武田勝頼の命を受け岩櫃城を拠点に、吾妻・利根郡を侵攻し、ついには沼田城を手中に入れる。 武田氏滅亡後も、真田氏と北条氏は沼田城を巡って攻防を繰り返す。

 天正17年、豊臣秀吉の裁定により沼田領は北条氏が領することとなるが、この時名胡桃城を含む利根川より西が真田領として残った。 しかし、沼田城代猪俣邦憲は、裁定に叛して名胡桃城を攻略してしまう。 この事件が、秀吉に北条氏討伐の口実を与える結果となり、翌18年に小田原征伐の結果北条氏は滅亡、その後名胡桃城も廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR上越新幹線上毛高原駅、上越線後閑駅〜タクシー/約15分
 車 : 関越道月夜野IC〜国道17号線
駐車場: 名胡桃城の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
秀吉による小田原征伐の口実となったお城。

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