三河 長篠城



お城のデータ
所在地 愛知県新城市長篠市場
遺 構 曲輪、土塁、堀
形 式 平山城 築城者: 菅沼元成 築城年代: 永正5年


見 ど こ ろ

 武田勝頼と織田信長・徳川家康連合軍とが戦った長篠・設楽ヶ原の合戦の舞台になった城として有名だ。 本丸を囲む二方の空堀と土塁が今も形良く残っている。

 また、JR飯田線を挟んで野牛曲輪があり、大野川と寒狭川との合流点に、曲輪名にあるように「牛の角」の様に突き出しているのが良くわかる。

 帯曲輪には、史跡保存館があり、長篠合戦の資料などが展示されている。 尚、車で15分ほど離れたところに新城市設楽原歴史資料館と馬防柵がある。


歴     史

 長篠城は、永正5年に山家三方衆の一つ長篠菅沼元成が築城した。 武田信玄が奥三河へ勢力を伸ばすと、長篠菅沼氏は武田氏の傘下に入った。 信玄の死後、徳川家康の反攻が始まり、城主菅沼正貞は信州へ逃れ、作手亀山城主奥平信昌が城将となる。 

 天正3年、武田勝頼が15,000の兵を率いて長篠城を包囲する。 長篠の合戦がこれだ。 設楽ヶ原の合戦で勝頼は、大敗北して武田氏滅亡と繋がる。

 戦後、家康は奥三河の長篠・田峯・作手等の領地を奥平信昌に与えた。 信昌は、天正4年新城城を築いて移り、長篠城は廃城された。


お城へのアクセス
鉄 道: JR飯田線長篠城駅〜徒歩約10分
 車 : 東名豊川IC〜国道151号線
駐車場: 帯曲輪資料館側の無料駐車場(30台程度)を利用。


ひとくち MEMO
武田氏滅亡のきっかけとなったお城。

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