備中 三成陣屋



お城のデータ
所在地 岡山県小田郡矢掛町矢掛
遺 構 石垣、移築門、移築長屋
形 式 陣屋 築城者: 徳川幕府 築城年代: 寛永8年


見 ど こ ろ
(脇本陣高草家表門)

 三成陣屋は、矢掛高校グランドの東側(井原鉄道高架橋の東側)の住宅地の中にあるゲートボール場と畑地となっている。 ゲートボール場の東隅に陣屋の石碑があり、道を挟んで案内板が立てられている。 石碑となりの民家が板倉時代の代官役宅であったところだ。

 現在、ゲートボール場の道路に面した石垣と奧の畑地との境にある石垣が陣屋時代のものとか。 また、矢掛宿の脇本陣高草家表門に陣屋門が移築され現存している。


歴     史

 三成(矢掛)陣屋は、延宝元年に徳川幕府によって築かれた。 矢掛の地は、関ヶ原の合戦により毛利氏の備中支配の城茶臼山城が廃され、幕府天領となっり小堀正次・政一が代官を務めた後、備中松山城主池田長幸の所領となった。 寛永18年に池田氏断絶後再び天領となり、矢掛に陣屋が置かれた。

 元禄6年に松平(松井)信通が3万石を領して庭瀬城へ入封した際、矢掛は庭瀬藩領となった。 元禄10年に松平氏が出羽上山へ移封になり、再び天領となった。 元禄12年に庭瀬へ板倉重高が2万石で入り、矢掛に小田郡内の所領支配の代官所が設けられ明治まで続いた。


お城へのアクセス
鉄 道: 井原鉄道矢掛駅〜バス/矢掛高校前
 車 : 山陽道鴨方IC〜県道64号線〜国道468号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
天領・庭瀬藩領の代官所として築かれた陣屋。

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