肥後 水俣城



お城のデータ
所在地 熊本県水俣市古城町
遺 構 曲輪、石垣
形 式 山城 築城者: 相良氏 築城年代: 南北朝時代


見 ど こ ろ

 水俣城趾は、現在城山公園となっていてる。 城の曲輪などの城の名残がほとんど残っていない。 唯一、城山公園のグランド造成中に発見された低い石垣が、長さ50メートルほどの残っているだけだ。

 この石垣の脇に小さな石碑が建てられていなければ、ここが水俣城趾かどうか全く気づかないだろう。

 城山の山頂部(低い丘)に登ると、公園内の北西部の丘にも曲輪らしき削平地もあるが、公園造成のため新たにできたものなか、本来の曲輪なのか定かではない。


歴     史

 水俣城の築城年代は南北朝期といわれているが定かではない。 寛正6年、肥後守護菊池為邦から人吉城の相良氏が水俣の領有を認められている。

 戦国期の相良義陽の代になると、永禄8年には上村頼孝が謀反を起こし水俣城に籠もるが、同10年に義陽は深水長則を送り、水俣城を落としている。

 天正9年、島津義久は水俣城を攻め、相良義陽は水俣を含む芦北郡を島津氏に割譲した。

 天正15年、秀吉による九州征伐後、芦北郡は秀吉の直轄領となった。 以後、宇土城の小西領、熊本城の加藤領と領主は変遷したが、慶長17年、幕命により廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR鹿児島本線水俣駅〜バス
 車 : 八代日奈久道八代南IC〜国道3号線〜市道
駐車場: 城山公園の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
グランド造成中に発見された低い石垣が残るお城。

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