周防 国司氏館



お城のデータ
所在地 山口県宇部市奥万倉字伊佐治
遺 構 曲輪、石垣
形 式 居館 築城者: 国司就正 築城年代: 寛永4年


見 ど こ ろ

 国司氏館は、有帆川の左岸に面した丘陵の西麓に築かれている。 伊佐治のバス停から川沿いの道へと入ると「国司家館」の道標が立てられ、約100m進むと居館跡の入口へと至る。

 現在、居館跡は果樹園と畑地となっているが、居館の西側には往時の石垣が良く残っていて、果樹園の一角に「国司信濃御館址」と刻まれた石碑が立てられていた。

 国司信濃は幕末に禁門の変の責任をとり切腹した14代親相とことで、居館背後にある美登里神社の祭神として祀られている。


歴     史

 国司氏館は、寛永2年に国司就正によって築かれた。 国司氏は、南北朝時代に高師泰の子師武が所領の安芸国司庄に下向して国司氏と称した。 国司元相−元武=元蔵の三代は、それぞれ毛利隆元−輝元−秀就三代の傅役を務め、毛利氏当主からの信頼も厚かった。

 慶長5年に毛利氏が防長二国に減封となると、国司氏も従い周防徳地伊賀地へと移った。 元武の子就正の時、寛永2年に所領替えで長門万倉へと移り5,600石を領した。

 幕末の元治元年、家老職を務めていた国司親相は、永代家老益田親施・福原元|と共に藩兵を率いて幕府軍と戦った「禁門の変」の責任とり、第一次長州征伐の和議の際に益田・福原氏と共に自刃を命じられている。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陽本線宇部駅〜バス/船木〜バス/伊佐地
 車 : 中国道美祢IC〜県道37号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
高師泰の末裔国司氏が江戸時代に領した在地の居館。

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