豊後 杵築城



お城のデータ
所在地 大分県杵築市杵築
遺 構 模擬天守、石垣、堀、曲輪
形 式 平山城 築城者: 木付頼直 築城年代: 明徳4年


見 ど こ ろ
(藩校の正門)
(勘定場の坂)

 杵築城は、八坂川河口の台山に築かれていて、三方を海と川に囲まれた小さいながらにも堅固な城だ。

 城跡は公園になっていて、本の丸跡に三層の復興天守閣が建 っている。(天守閣の中は、資料館になっていて、入場券と一緒に貰ったパンフレットに杵築城の縄張図が載っている。)

 本の丸からは海が間近に見える。 ここから見ていると、どういう訳か海の上から一度眺めて見たい思いに駆り立てられる。

 江戸時代に入って松平氏が山城に廃し、山麓に居館を移した。 現在の杵築中学校・杵築神社一帯がその跡で、神社北側に石垣が残っているが、遺構ととしてはあまり観るべきものは残っていない。

 むしろ、城下町の風情が良く残っていて、城下の北台 ・南台武家屋敷あたりを散策。 勘定場の坂〜藩校(藩校の門が現存)〜酢屋の坂へのコースがお奨めだ。 坂と石の階段、武家屋敷の土塀・・・江戸の風情を堪能できる。 


歴     史

 杵築城は、明徳4年に木付頼直によって築かれた。 以後木付氏代々の居城として続く。
 
 天正14年に島津家久の大軍が攻め寄せるが、時の当主木付鎮直は籠城の末勝っている。 文禄2年に大友義統が秀吉に幽閉された時、木付統直は切腹して木付氏は滅んだ。

 その後、前田玄以・杉原長房が城主となったが、慶長4年に丹後田辺城主細川忠興が領し、重臣松井興長を城代とした。

 寛永9年に細川忠利が豊前小倉から肥後熊本に移封になり、城代松井氏も八代城へと移った。 その後には、小笠原忠知が新封4万石で入ったが、正保2年に三河吉田へと移り、替わって松平(能見)英親が豊後高田から37,000石で入封し、明治まで松平氏が12代にわたって居城した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR日豊本線杵築駅〜バス/杵築城 or 市民会館前
 車 : 大分空港道杵築IC〜県道49号線
駐車場: 城山公園の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
お城の遺構よりも城下町がお奨め、江戸時代にタイムスリップしたような・・・。

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