山城 笠置城



お城のデータ
所在地 京都府相楽郡笠置町笠置
遺 構 曲輪、土塁、空堀、竪堀
形 式 山城 築城者: 後醍醐天皇 築城年代: 元徳3年


見 ど こ ろ

 全山至る処に巨岩があり、三方が急斜面となっている笠置山の山頂部を削平して大伽藍の堂塔があった笠置寺、この伽藍を利用して築かれたのが笠置城だ。

 笠置山山頂には後醍醐天皇行在所が設けられ、現在の笠置寺境内から北側の尾根筋に築かれた曲輪群が元弘の変のおり使用された城域と考えられる。

 戦国時代、木沢氏の城であったのは笠置山南側の尾根筋を削平した曲輪群と考えられ、特に南側(柳生方面)への防備が念入りに施され、西側斜面には竪堀群が設けられている。

 柳生方面に通じる林道沿い南北に連なる曲輪群は、二重の堀切により南からの丘陵尾根筋を断ち切り、更に北側に続く曲輪の南面にも空堀と土塁が良く残り、山岳寺院を利用した南北朝時代には無い城郭遺構を見ることができた。


歴     史

 笠置城は、元徳3年に後醍醐天皇が山岳寺院笠置寺を利用して城としたもので、鎌倉幕府軍と戦った元弘の変の舞台となった。 1ヶ月の籠城戦が繰り広げられ、幕府軍の奇襲により落城、後醍醐天皇は捕らえられ、隠岐の島に流された。

 戦国時代の天文年間、笠置城は河内飯森山城主代木沢長政の持城となっていた。

 長政は、主家であった河内高屋城主畠山氏から実権を奪い、河内・山城守護代に任じられ、河内・山城・大和周辺にて軍事行動をたびたび行っている。 天文11年、長政は、細川晴元・三好長慶と河内大平寺にて合戦し討ち死にした。


お城へのアクセス
鉄 道: JR関西本線笠置駅〜徒歩約5分(登城口)
 車 : 京奈和道木津IC〜国道24号線〜国道163号線
駐車場: 笠置寺の有料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
後醍醐天皇が鎌倉幕府討伐の兵を挙げて籠もったお城。

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