近江 観音寺城



お城のデータ
所在地 滋賀県近江八幡市安土町石寺
遺 構 曲輪、石垣、土塁、井戸、門跡
形 式 山城 築城者: 佐々木氏 築城年代: 南北朝時代


見 ど こ ろ
(御館の高石垣)
(本丸の食い違い虎口の石垣)
(平井丸の石垣)
(池田丸の虎口)
(布施淡路丸)

 観音寺城は、繖山山頂から南斜面にかけて、大小100を越える曲輪群を配した近江守護六角氏の巨大城郭だ。 近世城郭に先駆けとなった織田信長の居城安土城も、この繖山の西に伸びる支尾根先端部に築かれいる。

【御館】
 六角氏の居館は、観音寺城南麓の石寺地区にある。 麓に日吉神社と天満宮と神社が並んでいるが、この天満宮境内が六角氏の居館跡だ。 境内の南面には大きな石を使用して築かれた高石垣は、京にまで影響力を誇った六角氏の力を今に伝えている。

 御館と日吉神社の間の本谷筋を登る道が観音寺城大手道だ。 登り詰めた曲輪が重臣後藤氏屋敷で、その上の曲輪には現在、西国33ヶ所の霊場観音正寺が建つ。

【本丸〜池田丸】
 繖山山頂部から南西に延びる尾根筋に観音寺城の中核部である本丸・平井丸・落合丸(屋敷)・池田丸が連郭式に配置されている。 観音寺城でもっとも古い曲輪群で、時代と共に山の斜面を削平して曲輪を構築して拡張整備されたと考えられる。

 中核部の曲輪群は、周囲を石垣で囲繞された曲輪群で、本丸には食い違い虎口や大夫井戸の遺構、巨石を用いた平井丸の石垣と宮津口見付の遺構、囲繞した石垣が見事な池田丸と見どころ満載の曲輪群だ。

【布施淡路丸】
 能登川側から登り詰めた所に観音正寺の駐車場がある。 ここから歩いて寺へ向かう。 林道の左谷側に、土塁が囲繞した曲輪が伊庭氏の乱を起こした伊庭氏屋敷、右山側が布施氏の屋敷であった布施淡路丸がある。 布施淡路丸は、周囲を石垣が取り囲み、2ヵ所に虎口を開いた縄張りであった。

【大見付〜三国丸】
 大土塁と呼ばれる尾根筋を大見付から三国丸へと登る。 尾根筋を左右に大小の曲輪が構築され、所々に高石垣が築かれている。 尾根筋をハイキング気分で歩いているとつい見逃してしまう石垣の遺構が随所に残っている。

 中でも馬淵屋敷の北側斜面にある曲輪には、石は小振りであるが横堀を伴った高石垣は縄張り図を見ながら探索してもつい見逃してしまう遺構だろう。

 この石垣のラインに沿ってブッシュをかき分けながら歩くと三国丸東側に突き出した曲輪の石垣も見応えがある隠れた石垣遺構だ。 やっとの思いで遊歩道に戻ると正面に三国丸の石垣が現れる。 L字形に二面に積まれた野面積みの石垣に暫し見とれる。

【番外編 尾崎道】
 池田丸南東の虎口から御館へと尾根道を降るルートが尾崎道だ。 よほどの好き者でしかこの道を上り下りしないだろうが、池田丸から御館へ最短ルートなのだ。

 池田丸から50mほど下ると二段の曲輪がある。 篝場と称される曲輪群だが、ここにも見応えのある石垣が残っていた。 1ヵ所は一部がシノギ積みになっていていた。


歴     史
(馬淵屋敷の北側尾根斜面の石垣)
(三国丸東側曲輪の石垣)
(三国丸の石垣)
(篝場の石垣)

 観音寺城は、南北朝時代に佐々木氏によって築かれた。 宇多源氏佐々木氏は、仁治3年に佐々木信綱の没後に四家に分割され、宗家は三男泰綱が相続し、近江守護職に任じられ近江南6郡を領して、京の六角に居を構えた。

 佐々木(六角)氏頼は、南北朝期の建武2年に北畠顕家の進攻を防ぐため、観音寺山に立て籠もったと、太平記に記されている。

 応仁の乱の前夜、六角氏は家督を巡り内訌により勢力が弱まり、西軍に与した六角高頼は、東軍に与した京極持清・勝秀父子によって観音寺城を攻められ、劣勢に立たされていた。 しかし、持清没後の京極氏の内訌に助けられ、勢力を挽回して近江の覇権を握った。 

 高頼は、長享元年と延徳3年の2回に渡って足利幕府による征討を受け、観音寺城を捨てて甲賀に退き幕府軍に対抗した。 文亀2年には被官伊庭氏の乱でも、高頼は蒲生氏を頼って観音寺城を捨て音羽城へと奔っている。

 高頼を跡を継いだ定頼は、足利義晴の頃には全盛を迎え、京都を逃れた将軍義晴を観音寺城に迎えるほどで、この大永から享禄年間にかけて観音寺城が大改修をされたと考えられている。

 定頼の跡を継いだ義賢(承禎)の天文年間の初頭までには、観音寺城が再度大改修され石垣づくりの城へと変貌したと考えられている。 

 三好長慶と和睦した義賢は、京極氏に取って代わって湖北を支配した小谷城主浅井久政を屈服させている。 しかし、永禄2年に久政が隠居し嫡男長政が跡を継ぎ、翌年には六角義賢に叛旗を翻した。 義賢は、浅井方に寝返った高野瀬秀隆を肥田城を攻めたが、救援に来た浅井長政に敗れた。

 永禄11年、織田信長は足利義昭を奉じて上洛するが、この時六角義賢(承禎)・義弼父子は、観音寺城に籠もり抵抗した。 しかし、箕作城落城後、六角父子は城を捨て、甲賀郡の三雲城へ退き、観音寺城は信長の手に落ちた。 その後、城主無く廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR東海道線安土駅〜バス/石寺楽市会館
 車 : 名神高速龍王IC〜国道8号線
駐車場: 観音正寺の参拝者用駐車場を利用(林道通行料込み) 


ひとくち MEMO
近江守護六角佐々木氏の本城、全山がお城。
  • 観音正寺の駐車場から七曲りの石段を登ること約15分で観音正寺に着く。
  • 本丸周辺の曲輪は比較的軽装備でもOK。 しかし、全山に散らばる曲輪群等の遺構を見るならトレッキングシューズで足下を固めて登城しよう。

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