| お城のデータ | |||||
| 所在地: | 石川県金沢市丸の内 | ||||
| 遺 構: | 曲輪、現存櫓、城門、三十間長屋、復元櫓、石垣、堀 | ||||
| 形 式: | 平山城 | 築城者: | 加賀尾山御坊 | 築城年代: | 天文15年 |
| 見 ど こ ろ | ||||||||
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金沢城石川門と日本三名園兼六園、やっぱり絵になるなぁ。 二層の菱櫓と 多門櫓に守られている石川門(櫓門)の枡形、そして石垣の見事さ、近くに見 るとさすが100万石の城だ、と思い知らされる。 雪国特有の海鼠壁が、櫓と城壁には使われ、また櫓の屋根は、溶かして鉄砲玉にするためなのか、それとも寒さ対策なのか判らないが、鉛瓦が使用されている。 平成13年、金沢城址は「金沢城公園」として再整備され、二の丸菱櫓・五十間長屋・橋爪門・橋爪門続櫓が復元された。 菱櫓は、城主の御殿が設けられた二の丸防御の要の三層櫓で、櫓の名の通り柱まで菱形になった櫓だ。 この菱櫓に続く二層の五十間櫓・三層の橋爪門続櫓と連なる光景は、お城好きにとってたまらない。 金沢城は、鉄砲狭間が外側から隠された海鼠塀の城壁で、唐破風出格子の石落しが付けられているのがこの城の特徴だ。 石川門の両側に海鼠塀が以前からあったが、今回の復元工事では鶴の丸にも内堀と共にこの海鼠塀が復元されている。 金沢城本の丸には、三十間長屋が現存している。 この長屋は、江戸時代後期の安政5年に再建されたもので、かつては二層櫓が北側にあった。 この三十間長屋の先に鉄門跡があり、ここの門跡から本の丸内だ。 本の丸内で、金沢城天守(御三階櫓)の天守台は現在ない。 本の丸内のどの辺りかと縄張り図片手に推定して歩く。 東の丸巽櫓跡近くに小さな池のある庭がある。 どうやらこの辺りが天守台跡らしい。 石川門〜大手門〜尾崎神社(城内の東照宮を移転)〜尾山神社(神門は城内の唐門を移築した現存門)〜長町の武家屋敷へと散策する。 また、お城と城下町を満喫できるお薦めのコースだ 尚、石川門の近くにある成巽閣(御殿)、筆頭家老本多氏(5万石)の所蔵品を展示した本多蔵品館も見逃せない。 |
| 歴 史 | ||||||
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金沢城の地には、天文15年に加賀一向一揆の本拠となった本願寺金沢御堂(金沢御坊)があった。 天正8年、柴田勝家は金沢御堂を落とすと、甥の佐久間盛政を配し、盛政は石川・河北2郡13万石を領し、金沢御堂を戦国城郭へと改修した。 天正11年、賤ヶ岳の合戦で柴田勝家は羽柴秀吉に敗れ、越前北の庄城で自刃するが、佐久間盛政は捕らえられ京六条河原で処刑された。 天正13年、能登小丸山城主前田利家が石川・河北2郡を加増され金沢城へ入城し、この城を居城とした。 利家は、今に残るような近世城郭へと大修築を行った。 利家・利長・利常の3代に渡って整備され、同時に城下町金沢も整えられた。 金沢城は、慶長7年に天守焼失、元和6年には本の丸焼失などの災害がかり、その都度再建がなされたが、天守は再建されず御三階櫓が天守代用に建てられた。(この御三階櫓も後に焼失) 以後、加賀100万石の居城として明治に至る。 |
| お城へのアクセス | |
| 鉄 道: | JR北陸本線金沢駅〜バス |
| 車 : | 北陸道金沢西IC〜県道17号線〜市道 |
| 駐車場: | 兼六園周辺の有料駐車場を利用。 |
| ひとくち MEMO | |||||||||||||||||||||
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