伊賀 上野城



お城のデータ
所在地 三重県伊賀市上野丸之内
遺 構 模擬天守、曲輪、石垣、堀
形 式 平山城 築城者: 筒井定次 築城年代: 天正15年


見 ど こ ろ

 未完の堅城伊賀上野城。 藤堂高虎は、平時の居城は津城、有事の居城はこの伊賀上野城と考えての築城だけに、本丸は津城の倍の広さがあり、また高さ30mあまりもある本丸西側の高石垣など、築城の名手高虎の意気込みが感じられる。

 本来の上野城天守は五層天守で、完成間近いときに暴風雨で倒壊して、以後再建されなかった。

 現在本丸ある天守は、昭和10年に建てられた。 三層三階の木造天守で、二層の小天守をともなった複合式天守である。 模擬天守とはいえ、築64年も経つとそれなりの貫禄がある。

 本丸東側に一段高く石垣が組まれた曲輪がある。 これが筒井時代の本丸で、藤堂時代には城代屋敷があった所だ。  実際この曲輪に立つと、この城の一番高所で「ここが本当の本丸」といった思いがする。 筒井時代にはここに三層の天守があり、現在天守台上に石碑が建てられている。 


歴     史

 天正13年、筒井定次が大和郡山から伊賀上野に転封してきた。 定次は、天正15年から築城を開始し、文禄年間に完成した。

 慶長13年、筒井定次は失政を理由に改易された。 その後に、伊予今治から伊勢・伊賀20万石で藤堂高虎が入封する。

 当時、大坂城には豊臣秀頼が居り、豊臣氏包囲網の一城として高虎は、慶長16年から筒井氏の築いた城の大改修を行った。

 豊臣氏滅亡以後、元和の一国一城令では「伊賀の城」として存続を認められ、津藤堂氏の支城として明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: 伊賀鉄道上野市駅〜徒歩5分
 車 : 名阪国道上野IC〜国号25号線(旧道)
駐車場: 二の丸入口前に有料駐車場あり。


ひとくち MEMO
築城の名手、藤堂高虎が大修築した未完の堅城。

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