肥後 人吉城



お城のデータ
所在地 熊本県人吉市麓町
遺 構 曲輪、復元櫓、石垣、堀
形 式 平山城 築城者: 相良長頼 築城年代: 元久年間


見 ど こ ろ

 球磨川の流れが城の石垣を洗う、これが人吉城だ。 球磨川と胸川を堀代わりとして、本来は胸川に架かる大手門前の橋が唯一城への入口であった。

 大手門脇に多聞櫓とそれに続く長塀と隅櫓が復元されている。 多聞櫓内が資料館 (無料)となっていて、相良氏と人吉城の資料、城の模型も展示されていた。

 城山の麓部分に御殿が設けられ、3ヶ所の虎口が設けられ、その内堀合門は、 大手門からまっすぐ5分程の歩くと武家屋敷(人吉一中脇)に堀合門が移築さ れている。 この堀合門脇の石垣が、人吉城独特の武者返しの石垣となってい る。

 城山山頂部の二の丸・本丸への入口は、球磨川に向かって開かれた水の手門で、今は櫓門の高い石垣が残っている。

 城山の山頂部にある本丸は、土塁が廻らされ護摩堂が建てられていたとか。 人吉城の主郭とも言えるのが二の丸で、周囲は石垣で固められ、枡形虎口と埋門形式の2つの虎口が開かれている。


歴     史

 相良氏は、鎌倉時代の元久2年相良長頼が人吉庄の地頭になり遠江相良から移り、代々人吉を領し明治まで続く極めて希な領主である。

 戦国時代、相良氏は佐敷城を拠点に芦北郡一円を支配するまで勢力を拡大していたが、島津義久の北上により、18代義陽はその支配下に入った。

 この頃、義陽は人吉城をの大改修を初め、城の近代化に着手した。(城の完成は、80年後の寛永16年、21代頼寛の時)

 20代相良長敏は、秀吉の九州征伐の時にはいち早く秀吉に臣従し、22,000石の本領安堵を得、慶長5年の関ヶ原では、最初西軍に加担したが、東軍に寝返り本領を維持した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR肥薩線人吉駅〜バス
 車 : 九州道人吉IC〜県道54号線
駐車場: 人吉市役所、観光用駐車場があり。(いずれも無料)


ひとくち MEMO
鎌倉時代から明治維新まで相良氏の居城であったお城。

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