肥前 平戸城



お城のデータ
所在地 長崎県平戸市岩ノ上町亀岡公園
遺 構 復興天守、櫓、門、石垣、堀、曲輪
形 式 平山城 築城者: 松浦鎮信 築城年代: 慶長4年


見 ど こ ろ

 平戸城への登城ルートは、一般的には市役所・国際会館方面から北虎口門へと登城する観光用ルートだ。 

 でも、じっくり平戸城を見るには、南側の一の大手門から大手門へと2つの枡形虎口を経て二の丸(亀岡神社の境内となっている)へ登城するルートがお薦めだ。

 この2つの虎口以外にも、方啓門口・安寿門口が二の丸への虎口として開かれており、それぞれ枡形虎口の石垣が良く残っている。

 建物の遺構は、北虎口門・狸櫓が現存している。 これら以外に三層の天守・見奏櫓・乾櫓・地蔵坂櫓・懐柔櫓が復興されている。 また、北虎口門内、狸櫓の北側にある石狭間のある城壁が残っている。

 平戸城は山鹿流の軍学に基づいて築城されたが、これを検証しながら城内を見て回るのもおもしろい。 特に、二の丸の虎口が屈折が多い点や同じく二の丸東面の横矢枡形も山鹿流の特徴を良く表している。


歴     史

 平戸城は、2度同じ場所に築城された。 初めは、松浦氏26代当主松浦法印鎮信が慶長4年に着工した日の岳城である。

 しかし、鎮信は、幕府への政治的な配慮から日の岳城が完成を待たず自ら焼き捨てた。 松浦氏は、63,000石を領する城持大名であったが、その後「御館」を築いて居館とした。

 名君と言われた松浦氏29代当主、松浦天祥鎮信は、山鹿素行の弟子の一人となり、平戸築城を模索する。 元禄16年、30代松浦棟は、幕府の築城許可を得て、宝永4年に山鹿流による新城を完成させたのが、「亀岡城」とも呼ばれる現在の平戸城である。

 松浦氏は、天正15年の秀吉による九州征伐に参陣して本領安堵されて以後、12代に渡って平戸を領し明治に至った。 


お城へのアクセス
鉄 道: 松浦鉄道西九州線平戸口駅〜バス
 車 : 佐世保道佐世保みなとIC〜国道204号線
駐車場: 方啓門前に10台程度の無料駐車場あり。
市役所前にも100台程度の駐車場あり。


ひとくち MEMO
山鹿流の軍学によって築かれたお城。

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