肥前 日之江城



お城のデータ
所在地 長崎県南島原市北有馬町谷川名
遺 構 曲輪、石垣
形 式 平山城 築城者: 有馬経澄 築城年代: 建保年間


見 ど こ ろ

 有馬氏の本城、日之江城。 その全貌はまだはっきりしていない。 日之江城は、城山山頂に本丸を置き、一段下がった所に二の丸・三の丸を配置した縄張りだ。

 訪れたとき、大手から二の丸にかけて発掘調査中で、埋もれた土の中から大手道の全容が明らかになりつつあった。

 この大手道と二の丸の石垣、崩れてはいるがなかなかのもの。 高さは高いところで3〜4メートル程あろうか、この野面積みの石垣が数段築かれて、大手口からの大手道を防御しているのだ。

 大手道側面の石垣は、この城独特のもので外来系の技法によって積まれているそうだ。

 大手口前には、かつて船着き場があった。 今は小川となっているが、このあたりまで当時は入り江になっていたようだ。 ここから軍船に乗って有馬氏も朝鮮に出陣したのであろうか。


歴     史

 日之江城は、建保年間に有馬経澄が築いたとされている。 有馬氏は、南北朝時代以後は衰退するが、有馬氏澄の代になって勢力を盛り返し、子の貴純に至って、島原半島全域を支配下に置いた。

 有馬氏13代キリシタン大名として有名な有馬晴信の代になると、肥前佐賀(村中)城主龍造寺隆信と争い、次第にその支配地を奪われていく。

 天正5年、龍造寺隆信の大軍を島津家久の援軍を得て、沖田畷の合戦で撃ち破った。

 江戸幕府成立後の慶長17年、有馬晴信は海外貿易に関する不始末(岡本大八事件)で甲斐に流された。

 子の直純に4万石を与えられたが、慶長19年に日向延岡に移された。 その後に、大和五条二見から松倉重政が入城したが、島原城を築城して移り、日之江城は廃城となった。 尚、島原の乱で有名になった原城は、日之江城の支城のひとつである。


お城へのアクセス
鉄 道: 島原鉄道北有馬駅〜徒歩約10分
 車 : 長崎道諫早IC〜国道251号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
島原半島を制したキリシタン大名有馬晴信の居城。

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