豊後 日出城



お城のデータ
所在地 大分県速見郡日出町二の丸
遺 構 天守台、石垣、堀、移築現存櫓、曲輪
形 式 平山城 築城者: 慶長7年 築城年代: 木下延俊


見 ど こ ろ

 大分と言えば「城下カレイ」が有名。 旬は4〜6月上旬頃までとか。 この城下カレイの『城下』とはこの日出城のこと。 海に面して築かれた日出城の沖合で捕れるカレイだけが本当の城下カレイ。

 日出城は、海に面した本丸の三方を堀で囲み、更にその外側に二の丸、そして東側に三の丸を配置し、日出港を城の中に囲い込んだ海城ともいえる縄張りだ。

 現在の日出城は、隅櫓が移築され現存している以外に建物の遺構は残っていないが、小学校の敷地になっている本丸を中心とした曲輪が今でも良く残っている。

 特に、南の海側(腰曲輪一帯が公園になっている)から見る天守台(三層の天守がかつては建てられていた)をはじめとする本丸の高石垣が見事だ。

 また、天守台からの眺めは、別府湾を挟んで正面にお猿の高崎山、右手に別府温泉の湯煙、左手に遠く大分府内城下。 この景色を眺めながら、城下カレイに舌鼓を打ち、豊後の地酒に酔う・・・夢物語か?   


歴     史

 日出城は、慶長7年に木下延俊によって築かれた。 延俊は、豊臣秀吉の正室北の政所の兄木下家定の三男。 正室は豊前小倉城主となった細川忠興の妹。

 慶長5年、関ヶ原の合戦では義兄細川忠興に従って東軍に与し、播磨姫路城を守り、その戦功によって日出3万石を与えられた。

 木下氏は、16代俊愿まで日出を動くことなく明治に至った。 尚、2代俊治は弟延由に豊後立石に5,000石を分知した。 この延由が豊臣秀頼の子国松であったとする言い伝えもある。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR日豊本線暘谷駅〜徒歩約5分
 車 : 日出バイパス日出IC〜国道10号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
天守台に立って眺める光景は絶品。

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