紀伊 平須賀城



お城のデータ
所在地 和歌山県日高郡みなべ町西本庄
遺 構 曲輪、土塁、堀切、畝状竪堀
形 式 山城 築城者: 野辺忠房 築城年代: 室町時代


見 ど こ ろ

 平須賀城は、南部川がU字型に蛇行して玉川と合流する地点にある平須山山頂に築かれた城だ。 周囲を険しい斜面となり三方を川に囲まれた要害の地だ。

 平須賀城は、山頂部に主郭を置き、北に向かって6段の曲輪群を配し、北側の丘陵とは尾根を堀切で断ち切った縄張りとなっている。 曲輪群には、土塁が所々に残り、横堀と土塁を組み合わせた縄張りも見ることができる。

 訪れた時、城の全ての曲輪は下草が刈り取られ、このお陰で遺構を確認が容易であった、地元の方のご努力に感謝。 確認できた遺構では、北側斜面に施された畝状竪堀群と堀切が見事。

 平須賀城は、和歌山県内では手取城に次ぐ規模を誇っており、しかも原型保存が極めて良好な中世城郭であった。 尚、道の駅「みなべうめ振興館」1Fに歴史資料が展示されていて、ここに平須賀城の模型がある。 時間が許せば、登城前に訪れて置くと城の輪郭がハッキリするのでお勧め。


歴     史

 平須賀城は、室町時代に野辺忠房によって築かれた。 野辺氏は、源経基の子満快の後裔で、建武3年に野辺快次が津戸野荘を預かり居館を構えたことに始まり、野辺忠房のころには亀山城主湯川氏に臣従していた。

 野辺氏は、忠房−光快−光房と続き、永禄5年に三次氏と畠山氏との合戦が起こり、野辺光房は湯浅氏に従って河内国に出陣して若江で討死した。 光房の子春弘は、平須賀城を廃し要害城を築いて居城を移した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR紀勢本線南部駅〜バス/辺川
 車 : 阪和道みなべIC〜国道424号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
和歌山県下でも原型保存が極めて良好な中世城郭。
  • 平須賀城への道しるべ
    みなべICから国道424号線は、南部川沿いに龍神方面へと進むが、ICからだと2度橋を渡ったところが西本庄地区。 進行方向に向かって円錐形の山が正面に見える、この山が平須賀城。 2つ目の橋を渡って平須山の裾を南部川に沿って迂回するように進むと、左手に橋が見える。 橋の袂に平須賀城への道しるべがある。
    橋を渡り、道なりに200m程進むと再度道しるべがある。 ここから更に梅林に向かって約500m程、城山の裾を回り込むように進むと登城口に至る。 登城口にも道しるべがある。 ここから梅林に沿って直登状態の登城道を登り詰めたところが平須賀城。

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