美濃 岐阜城



お城のデータ
所在地 岐阜県岐阜市金華山
遺 構 模擬天守、模擬櫓、土塁、石垣、曲輪
形 式 山城 築城者: 二階堂行政 築城年代: 建仁元年


見 ど こ ろ

 織田信長は、稲葉山城と呼ばれ斎藤道三の居城でもあったこの城を攻め落とし、岐阜城と改称して居城とした。 この時から、信長の天下統一の夢に向けて、一歩踏み出したのだ。

 岐阜公園となっている岐阜城は、山麓部に築かれた信長の「居館」と金華山山頂の「城」と2つのエリアに別れている。

 信長の居館は、現在冠木門と虎口の土塁が復元されている。 山麓の一段高くなった千畳敷には、かつてポルトガルの宣教師ルイス・フロイスが紹介した楼閣(信長の住居)が 建てられていた。

 ロープウェーでも登れる山頂の城には、三層の天守(復興)と模擬隅櫓が何れも観光用に建てられいる。

 しかし、よく見ると山頂部のいたるところで岐阜城の遺構を見ることができる。 例えば天守台、新しく積まれた石垣の下に当時の石垣が今も残っている。 石垣の色が違うので直ぐに判るはず。

 岐阜公園内の歴史博物館に是非立ち寄ってほしい。 ここには、加納城の模型や信長の居館が詳しくビデオなどで展示されている。


歴     史

 稲葉山城は、建仁元年に二階堂行政によって築かれた。 その後、室町時代には川手城を居城とした美濃の守護土岐氏の筆頭家臣斎藤氏が居城した。

 天文8年、山城山崎の油売りから身を起こした斎藤道三が入城する。 道三は、天正10年には土岐頼芸を追放して、美濃一国を手に入れた。  弘治2年、道三は子の義龍と争い討ち死にしてしまう。

 その義龍も5年後の急死。 道三の孫龍興が城主となるが、永禄10年に織田信長によって滅ぼされ、信長が尾張小牧山から移り、岐阜と改称した。

 天正4年、安土城を築いた信長は、岐阜城を嫡男信忠に譲った。 天正10年の本能寺の変で信長・信忠が倒れた後、信長の3男信孝が入城する。

 天正11年に信孝は信長の跡目争いに敗れ自刃。 その後岐阜城には、池田之助・輝政・羽柴秀勝・織田秀信が城主となった。

 慶長5年の関ヶ原では、織田秀信は西軍に付き、東軍に攻められ開城。 秀信は高野山に蟄居した。

 関ヶ原後、徳川家康は岐阜城を廃城にして加納城を築かせた。 この時天守も加納城へと移築された。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR東海道本線岐阜駅〜バス
 車 : 名神一宮JCT〜東海北陸道岐阜各務原IC〜国道21号線
駐車場: 岐阜公園の有料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
ロープウエイで登るのも良し、登山道をハイキングするのもお奨め。

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