信濃 楽厳寺城



お城のデータ
所在地 長野県小諸市大久保字不通
遺 構 曲輪、土塁、堀切、水堀
形 式 山城 築城者: 楽厳寺雅方 築城年代: 天文年間


見 ど こ ろ
 
 楽厳寺城は、御牧ヶ原台地の北端部を利用して築かれていて、北からの比高差は230m程あるが、大手口が開かれた諏訪山地区へは比高20m程しかない。

 そのため大手口には「血の池」・「お歯黒池」と呼ばれる水堀が掘られ防備を固めている。 大手口から入ると土塁に沿って進むと土塁に囲繞された二つの曲輪があり、その間には深い堀切が設けられていた。

 北側の尾根を登ると詰の丸でここに楽厳寺があったとする説もあるとか。 詰の丸以外、別荘風の民家敷地となっているので城内の探索にはくれぐれもご配慮を・・・。


歴     史

 楽厳寺城は、天文年間に楽厳寺雅方によって築かれたと云われている。 雅方は、布引山釈尊寺の末寺楽厳寺の住僧であったが、武勇に長じ望月信雅の幕下となった。

 天文17年に武田氏が佐久を平定する中で楽厳寺城も落とされ、雅方は堀之内城主布引雅朝らと共に村上義清に従って砥石城にあった。

 天文22年に塩田城に村上義清が武田氏に敗れた後、雅方は武田信玄に降った。 永禄10年に雅方が武田氏に忠誠を誓った起請文が伝わっている。


お城へのアクセス
鉄 道: しなの鉄道小ゥ駅〜バス/諏訪山公民館
 車 : 上信越道東部湯の丸IC〜国道18号線〜県道153号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
御牧ヶ原台地の北端部を利用して築かれたお城。

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