播磨 枝吉城



お城のデータ
所在地 兵庫県神戸市西区枝吉4丁目
遺 構 曲輪、土塁跡
形 式 丘城 築城者: 明石氏 築城年代: 室町時代中期


見 ど こ ろ

 枝吉城は、今では市街地の中に埋没しているため、吉田郷土館の裏にある案内板に書かれた縄張り図を頭の中に焼き付けてから、枝吉城の主郭部があった展望公園へ登る。(神本神社拝殿裏と吉田郷土館裏の2ヶ所から登り道がある)

 枝吉城があった城山(台地)は、約3/4は切り崩され、見事に消失してしまっている。 縄張り図によれば、この消失した部分が城の遺構としては見どころとなる場所であったのに・・・残念。

 現在は、主郭部(公園)趾に石碑があり、その北側に櫓台の高台(土塁)らしき痕跡があるが、ここもフェンスで行く手を阻まれ、じっくりと見ることができない。 ただ、主郭部・神本神社境内とかつての曲輪の雰囲気を味わうしかない。


歴     史

 枝吉城は、室町時代中期に明石氏によって築かれた。 明石氏は、東播磨の有力国人で、この枝吉城を本城として、伊川城・下津橋城・菅野城などの支城を築き、播磨守護赤松氏に従っていた。

 明石氏最後の城主明石則実は、天正6年に羽柴秀吉が播磨に入国した時から秀吉に従い、三木城主別所長治が織田信長に反旗を翻した時も秀吉に従い、端谷城攻めにも参陣している。 天正14年に明石則実は但馬豊岡へ移封となり、枝吉城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陽本線明石駅〜バス/吉田
 車 : 第二神明道路玉津IC〜国道175号線
駐車場: 吉田郷土館の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
市街地に埋没してしまい、僅かに主郭の一部が残るお城。

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