備前 天神山城



お城のデータ
所在地 岡山県和気郡和気町田土
遺 構 曲輪、石垣、井戸、堀切、侍屋敷
形 式 山城 築城者: 浦上宗景 築城年代: 享禄5年


見 ど こ ろ

 天神山城は、比高303m、吉井川を見下ろす天神山山頂に築かれた山城だ。

 天神山城への登城口は数ヶ所あるが、天石門別神社から尾根筋を直登するコースが一般的なルートで、登りはこのルート、帰りは本丸から天瀬の侍屋敷へと降りる四十曲りの登城道を降りるルートがお薦め。

 天神山城の縄張りは、典型的な連郭式山城だ。 尾根沿いに細く延びた曲輪群、その左右は足も竦むような急斜面となっている。

 本丸は天神山山頂に置き、北に二の丸・大手曲輪(桜の馬場)・三の丸の曲輪群を、南に飛騨の丸・南の段などの曲輪群を配置している。 さらに、南には堀切、尾根の鞍部を経て別峰の太鼓丸(出丸)があり、城の搦め手を防備している。

 天神山の田土地区側山麓に根小屋が構えられていた。 この根小屋から大手曲輪へと登る道がこの城の大手道だ。 天神山西側の麓には、階段状に侍屋敷群があり石垣や土塁が残っている。

 天石門別神社からほど近いところにある「佐伯町ふるさと会館」には天神山城関連の資料などが展示されている。


歴     史
(出丸の太鼓丸)
(山麓の侍屋敷)

 天神山城は、享禄5年に浦上宗景によって築かれた宗景一代限りの城である。

 浦上宗景は、播磨西部・備前東部を領した三石城主浦上村宗の次男。 父村宗没後、室津城主の兄浦上政宗(浦上宗家相続)と不和になり、富田松山城主の弟国秀と共に備前東部の国人を引き連れ自立した。

 浦上宗景は、天文12年に備前守護職赤松晴政(播磨置塩城主)の備前侵攻軍を撃退して、備前での領主権を確立し戦国大名へと成長した。

 永禄年間から新興著しい家臣宇喜多直家が、永禄11年に金川城主松田元輝を滅ぼした。 この頃から浦上宗景と宇喜多直家の力関係は逆転し、天正5年に宇喜多直家は天神山城を攻め、数日間の攻防の末に落城。 浦上宗景は城を捨て遁走し、その後の行方には諸説があり定かではない。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陽本線和気線〜バス/河本
 車 : 山陽道和気IC〜国道374号線
駐車場: 河本バス停手前の国道沿いに駐車スペースあり(約10台程度)、
天石門別神社前に駐車スペースあり(約3台程度)


ひとくち MEMO
備前守護代から戦国大名へとなった浦上宗景一代の居城。

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