安芸 高山城



お城のデータ
所在地 広島県三原市高坂町真良、本郷町本郷字塔の岡
遺 構 曲輪、石垣、土塁、井戸
形 式 山城 築城者: 小早川茂平 築城年代: 建永元年


見 ど こ ろ

 沼田川を挟んで二つの急峻な岩山がある。 西側の山には新高山城、そして東側の山には高山城が築かれている。

 高山城の登城口は少々判りづらい。 しかも、結構ロッククライミング的な登城道で、途中に鎖を頼りに登る。(トレッキングシューズ等の靴を履いて行くこと。)

 山頂の高山城は、下草や矢竹が刈り取られ綺麗に整備されいて、遺構は非常に確認しやすかった。 

 城の縄張りは、ちょうど「H」型の二つの尾根に連郭式に曲輪が配置され、その尾根に挟まれた谷間(鞍部)にも曲輪が配置されている。

 北の丸〜二の丸〜本丸〜扇の丸と並ぶ東側尾根の曲輪群は、なかなか見応えがある。 しかし、要所要所に石垣も築かれているが、防御面から縄張りを見ると、新高山城と比べると今ひとつ単調な配置のように思えた。

 城の規模や見応えの点から考えると、高山城も新高山城も甲乙付けがたい城であった。 


歴     史

 高山城は、建永元年に源平合戦の時、源頼朝に仕えた土肥実平の子孫小早川茂平が東国から沼田荘に本拠を移して高山城を築城した。 小早川氏は、一族を各所に配して土着させ勢力の拡大を図った。

 分家の木村城主竹原小早川氏と嫡流家とは不和になり、応仁の乱の時には、東軍に与した嫡流家を西軍に与した竹原家が2度に渡って高山城を攻めることもあった。

 戦国時代の天文19年、沼田の小早川嫡流家の当主繁平は、盲目であったため、繁平の妹婿に分家竹原小早川隆景がなり、嫡流家の養子となって沼田・竹原両小早川氏が合体した。

 天文20年に隆景は、竹原小早川氏の居城木村城から高山城へ移る。 そして、翌年に隆景は、中世城郭の縄張りであった高山城を廃し、戦国時代の乱世に適した新城を沼田川を挟んで対岸にある砦を大修築して築いた。 これが新高山城でる。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陽線本郷駅〜徒歩約20分(登城口)
 車 : 山陽道本郷IC〜県道33号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
岩山の山頂には『H』字形に曲輪が配されたお城があった。
  • 高山城の登城口
    高山城への登り口はともかく分かりづらい。 地元の方に伺ったところによると、登り口は2ヶ所あるようだ。
    JR本郷駅からだと、本郷小学校側に踏切を渡り、道なりに城山団地へと登り、「福原商店」の角を山に向かって更に進み、山腹の墓地脇の道が登城道だ。

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