美濃 明智長山城



お城のデータ
所在地 岐阜県可児市瀬田地内
遺 構 曲輪、竪堀
形 式 平山城 築城者: 土岐頼兼 築城年代: 康永元年


見 ど こ ろ

 明智長山城は、明智光秀出生の城と云われている。(明知町の明知城とも云われているが)明城名の長山城とその名の通り東西に長々と伸びた丘陵の地形をうまく利用した縄張りで、典型的な中世城郭だ。

 大手口は、城の北に向けて開かれ、光蓮寺の東から登城道を登る。 大手道の左右には曲輪群が配置され、右手に竪堀を見ることができる。

 丘陵裏は頂上付近まで宅地化され、本丸側まで羽崎側から車で来れるのに少々驚いたが、「城は、大手から登城するのが本道」と自分に言い聞かす。 本丸から谷筋を降り、台所曲輪〜水の手曲輪、そして西出丸へと順路に従って廻るが、この谷筋から西の出丸辺りが一番中世城郭らしい面影を今に伝えていた。


歴     史

 明智長山城は、康永元年に土岐頼兼が築城し、頼兼は明智氏を称した。 戦国時代、美濃を奪取した斎藤道三は、東美濃の土岐一族への懐柔策として明智城主明智光継の娘を正室に迎えた。 この正室小見の方が生んだ娘が織田信長の正室濃姫である。(諸説があるが、明智光秀は光継の孫で濃姫とは従兄弟同士になる)

 弘治2年、斎藤道三が長男義龍に長良川の合戦で討たれ、義龍が美濃国主となる。 義龍は、道三に味方した明智一族を討つべく関城主長井道利を大将に大軍を以て明智長山城を攻めた。 2日の攻防の末に城は落城、明智光安以下の一族は自刃して果てた。 この時、明智光秀は城を落ち延び明智家を再興したことは有名な話しである。


お城へのアクセス
鉄 道: 名鉄広見線明智駅〜徒歩約15分
 車 : 中央道多治見IC〜国道248号線〜県道341号線
駐車場: 光蓮寺の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
明智光秀生誕のお城。

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