岩代 浜崎城



お城のデータ
所在地 福島県河沼郡湯川村浜崎字北殿町
遺 構 曲輪、土塁、水堀
形 式 平城 築城者: 浜崎主馬 築城年代: 至徳年間


見 ど こ ろ

 
浜崎城は、浜崎地区の北東端に位置(古来の城は浜崎地区南東の春日神社境内付近)し、日橋川の氾濫原に形成された残丘崖を利用して築かれて、米沢街道と阿賀川・日橋川水運の要衝のを押さえる城であった。

 浜崎城は、日橋川を外堀とし、その水を堀に引き入れ方形の本丸と西に同じく方形の二の丸を連ねた複郭式の縄張りだ。

 現在はJR磐越西線と道路が城域内を貫通しているが、本丸を囲む土塁や堀の一部が残っていて、往時の姿を今に伝えていた。


歴     史

 浜崎城は、浜崎城は、至徳年間に浜崎主馬によって築かれたと伝えられている。 宝徳3年に猪苗代盛光が浜崎城を攻め落とすなどこの城を巡ってしばしば争奪戦が繰り広げられてた。

 葦名氏滅亡後、天正18年の秀吉の奥州仕置きにより蒲生氏郷が会津若松城へ入ると、浜崎城へは重臣の蒲生頼郷を入れた。

 慶長6年に会津へ再封された蒲生秀行は、浜崎城へ蒲生郷貞を入れた。 郷貞は水難を恐れて、城域を北方の現在の位置へと移して改修した。 元和元年の一国一城令により廃城となるところを蒲生氏は「御茶屋」と称して存続させた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR磐越西線塩川駅〜徒歩約15分
 車 : 会津縦貫道塩川IC〜国道121号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
御茶屋と称して一国一城令の破城を免れて存続していたお城。

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