娘の誕生

 ある日工場で働いている私の所に、メキシコ市内にある東芝の事務所から電話が掛かってきました。秘書のMariaからでした。(彼女は勿論英語が出来ます。)「今日本にいるお前のワイフから電報が来たので読み上げるが、内容が日本語なので自分には理解できない、後でどういうことか説明してくれ」といって「ジョシタンジョウ、ボシトモニケンコウ」と読み上げてくれました。「初めての娘が生まれた」ことを告げると、「多分そうだろうと思った、」といって大変喜んでくれました。

 その後工場の連中にそのことを告げたのですが、みんなで祝福してくれました。メキシコでは男の子が産まれると「葉巻」を、女の子が産まれると「ドーナツ」を配る習慣があると聞いて、さっそく買いに行ったように思います。

 「今日はめでたいからお前の家でお祝いをしよう、」ということになりまして、気のあった3人が夕方来てくれて、さっそく酒盛りが始まりました。スーパーでスコッチを何本か買い、つまみを山のように仕入れて、準備をしていたのですが、直ぐに無くなって追加する羽目になってしまいました。お酒が入ってくると、急ににぎやかになり、台所からありったけの鍋を出してきまして、これをひっくり返して、ナイフやフォークで叩いてみんなで歌いだしたのには困ってしまいました。娘のためにみんなお祝いをしてくれているわけですから、ありがたいような迷惑なような変な宴会でした。明け方4時頃まで飲み歌いすっかり疲れて解散しましたが、メキシコの人達が、子供が誕生したことをほんとに全身で、その喜びを表してくれるのにはほんとに感激をしました。 

その娘も私が帰国した昭和41年10月には満1歳になっていました。家内に抱かれて羽田に迎えに来てくれていたのですが、私を見てもどこのおじさんだろうと怪訝な顔をしていたのを思い出します。その娘が今は30歳です。
 
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