5)私の誕生日(Mi cumplean~os)
前回書きましたように、1966年4月に入って「聖週間」(Semana
Santa)の休みを利用しまして、親友のMarioの故郷であるメキシコ湾岸の
TuxpanVeracruzに招待されたのですが、彼の郷里での毎日は大変楽しく
一つ一つが思い出に残る大変に貴重なものでしたが、ある日の夕暮れ、
その日の疲れた体をロッキングチェアーに乗せて、揺らしながら
ハーモニカを吹いていた時、彼が「一寸食堂に来てくれ」と行っ
来ました。何事かと重い扉を開けて入って行って吃驚しました。
テーブルの上に大きなデコレーションケーキが載っており、近所の
子供たちが20人ほどその回りで、唄を歌って居るではありませんか。
「ハッピバースディツユ・・・・」メロディーは確かにそうだったので
すが、それが英語だったのか、スペイン語だったのか確かではありません。(多分スペイン語だったと思います。)
4月7日は私の誕生日なのです。私はすっかり忘れていたのですが、
彼はどういう訳か知りませんが、覚えていてお祝いをしてくれたのです。
私は自分の誕生日にこんなに盛大にお祝いして貰ったことはありません
し、またこんなに感激した誕生日はそれ以後も含めてありませんでした。
残念ながらその時どのように言ってお礼のことばとしたのかすっかり
忘れてしまいましたが、恐らく感激の余り言葉を失っていたのではないか
と思います。
確かお釈迦様の誕生日が4月の8日ですから、私の誕生日はそれより
一日早く、しかもキリストの復活祭の期間と重なるという幸運を得て
いたのですね。その後は余りその幸運を大事にしてこなかったように
思いますが。