メキシコの思いで

Compadre(コンパドレ)

 彼等はよくCompadreという言葉を使います。 このCompadreと言う言葉には色々な意味があるようですが、大変ユニークなCompadreをご紹介します。Compadre(with Father)つまり「神父とともに」という意味ですが、彼等が子供の時教会で、同じ日に同じ神父によって洗礼を受けた間柄を言うようです。ですから「彼は私のコンパドレだ」と言います。そのことは知識として彼等から聞いて知っていたのですが、実際に感激的な場面に出くわすとは思いもしませんでした。

 勤め始めて翌年の4月になっていました。4月の最初の週はセマーナサンタ(Semana Santa)といいまして、私はクリスチャンではありませんので良くは知りませんが、イースター、復活祭ですか、イエスキリストが十字架に掛けられた後、生き返ってみんなの前に現れたことをお祝いするお祭りだと思いますが、工場でも週末の4日間が休みになりました。その休みを利用して、私と一緒に仕事をしていたMario Pulidoが私を彼の故郷であるベラクルスに招待してくれました。メキシコ市から峠を越えてメキシコ湾のベラクルスまで約400キロの旅です。彼の車と、私の車で彼の奥さん子供と従兄弟など総勢8人で出かけました。夜中の12時頃峠の村で休憩したとき、その広場で動いていた電飾付きの観覧車の長閑な風景と、峠を下る時にものすごい霧で、九十九折りの道を前を走るバスのテールランプを頼りに下っていったことを思い出します。明け方ようやく彼のおとうさん、おかあさんの住んでる家に着きました。

 翌日そのコンパドレに会うというので、またまた二台の車に分乗して出かけました。途中から海岸線に出たのですが、人っ子一人居ない延々と続く波打ち際を時速100キロぐらいで飛ばすのはまた爽快なものでした。1時間も走ったでしょうか、ここだと言うので車を降りたのですが、相変わらず右手は果てしなく続く波打ち際で、左手は、これも延々と続く椰子の林です。彼は迷うことなくその椰子の林の中に進んでいきます。やがてちょっとした広場があって、藁屋根のような粗末な家がありました。彼が声を掛けますと頑丈そうな男が出てきました。そこで彼等はしかと抱き合って、肩を叩き合って再会を喜んでいました。これが彼のコンパドレなのです。確かに赤ん坊の時神父さんの前で一緒に洗礼を受けた仲かも知れません。でも片やメキシコ市に出てきて、大学を卒業して、今や大変な高給取りの技術者です。片や学校もほとんど行かず、田舎で椰子の林を守って生活している貧しい人です。その二人が20何年たった今も、堅く結びついているというのはどう言うことなのでしょうか。キリスト教の奥深さ、神への忠誠、そんなものが長い間の歴史となって積み上がってきているのでしょうね。すばらしい出会いにこちらまで涙ぐんでしまいました。
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