前回の「私は手を洗う」につきまして、ご専門の方から、「手を洗ったのはユダではなくピラトだと教えていただきました。ユダはイエスを裏切った後、後悔をして自殺をし、ピラトは総督で、裁判の時どうにかしてイエスを助けようとしましたが群衆が騒動を起こすかも知れないと恐ろしくなり、自分には責任がないと言う意志表示であった「手を洗う」行為を行った。」と教えていただきました。有り難く、ここに訂正さしていただきます。

 2)親しい「あなた」と普通の「あなた」
     (二人称のTuと三人称のUsted)

 先生のお話ですと、スペイン本国では比較的簡単に二人称のtuを使うようですが、私の居たメキシコではこれの使用にはかなり厳密に区別されているようでした。私なども最初はまず二人称で話す機会など全くなく、従って動詞の活用も二人称は抜きで済んでいました。夫婦や親子、兄弟、恋人、それに親友の間でしかこのtuは使いません。日本からの駐在員の方々もほとんど二人称は覚える必要がなかったのではないでしょうか。(夜の部のために必要だったかも知れませんが)私はその工場に通うようになって3カ月で仕事の方が一応軌道に乗り、半年ぐらいして少しずつ言葉が分かり始めた頃から、身近の人とは二人称で話すようになりました。それでも最初の内は、私自身にそのニューアンスの違いが良く分かっていなかったことと、勿論言葉が良く出来なかったことで、とんちんかんなやりとりになっていたようで、相手が二人称で話しているのに、三人称で聞き返したりしていたようです。

 ある時一人の現地の友達から家に夕食を招待されたことがありまして、たまたま日本から来ていた私の友達も一緒に行っていいかと聞きましたところ、言い難そうにして「私はその人を知りませんので・・・」と断られてしまいました。あるいは家での夕食でなくて、町のレストランなら一緒に食事が出来たのか、あるいはご招待ではなくて、一緒に食べに行こうと言うことだったら良かったのかそこのところは良く分かりませんでしたが、自分が良く知っている人と知らない人を厳密に区別する意識の中にこのtu(親しい「あなた」)とusted(普通の「あなた」)を使い分ける感覚があるのかなと感じました。

 いずれにしても朝出会って,How are you? に相当するComo esta ?と問い掛けられるのとComo estas ?と問い掛けられるのとこのsによる親しさの差が多少認識できるようになったのは、多分滞在後一年は経ってからだったように思います。ですから未だに二人称は何となく気恥ずかしくて使い難く、ましてや複数の二人称などは現地でも聞いたことがありませんでした。

ところが日本で文法を中心に習うと、これらが何のウエイト付けもされずに覚えさせられるので参ってしまうし、生きた言葉になり難いのではないかと思います。

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