ショパン 前奏曲集 CD聴きくらべ

ニコライ・ルガンスキー(ERATO/2001) <決定盤>
技巧一本やりと思っていたルガンスキーが根本から変わってしまったことを感じさせてくれたCDです。表現の幅が広くなり、音色の種類も増えたのですが、それ以前に音楽性や精神面の成長を伺わせてくれます。以前とは別人のよう。曲に対する思い入れや深い共感といったものが素直に表現されている演奏です。技巧的な表現は全くなく、精神面の深い沈静を重視していると思います。併せて収録されたバラードやノクターンも素晴らしい演奏で、ぜひ聴いていただきたい1枚。
エフゲニー・キーシン(RCA/1999) <おすすめ>
太く力強い演奏です。単純な旋律を濃厚に歌いこんでくるので、じっくり引き込まれる要素があります。。Op.28-4のような単純な曲を1つのドラマに仕立ててしまう構成力は見事です。一方で技巧的な曲はけっこうアッケラカンと弾いているようで、やはり旋律はしっかり歌っています。少し歌いすぎる場面もあり、楽譜に書かれた以上のことをやりすぎている感じもします。人によっては息苦しく思える演奏かもしれません。
マウリツィオ・ポリーニ(DG/1975)
全体的にストイックにまとめていますが、エチュードほど突き詰めたピアニズムも見られず、結果としてこぢんまりとした仕上がりになってしまったように思います。録音(マスタリング?)が良くなく、くぐもった音質です。ポリーニにしては珍しく重厚長大だけでなく、軽いタッチで弾いた曲もあり、いろいろ変化はつけていると思うのですが、変化の種類が少ないです。というか、音質が悪く抜けないのでよくわかりません。惜しいです。
マルタ・アルゲリッチ(DG/1977)
良くも悪くもアルゲリッチ、という録音です(笑)。速めの曲でのリズムの扱いとデュナーミクの付け方が上手く、うねるようなフレージングなどはさすがです。一方、テンポの遅い曲の掘り下げが不足していて、説得力に欠けます。1970年代はこれで良かったと思いますが、2000年代では通用しないでしょう。速い曲での切迫感のある表現などはアルゲリッチならではという感じなので、ファンなら買い、そうでない人は見送りでよいと思います。
ルドルフ・ゼルキン(SONY/1976)
ベートーヴェンとモーツァルトしか弾いてないと思われているゼルキンですが、ショパンの前奏曲集は演奏会でもよく弾いていたようです(海賊版として出ています)。このCDはスタジオ録音したものの本人が発売許可しなかったようです。2004年に息子のピーター氏が許可してようやく発売されました。演奏内容はポリーニあたりとあまり変わらない「当時としては現代的なショパン」です。近年のピアニストはショパン演奏において非常に繊細なニュアンスを重視する人が増えていますので、ゼルキンのような剛直というか、真正直な解釈に驚く人もいるかもしれません。ただ、もともと癖のないピアニズムを持った人なので、ショパンを弾いても変なことにはならないのでしょう。
アンドレア・ルケシーニ(EMI/1987) <おすすめ>
アゴーギクの扱いや内声の聞かせ方などよく考え抜かれていてます。速い曲のうねるようなフレージングなどはちょっとアルゲリッチ風で、この辺は意識的にやってると思います。strettoに攻めるところと、一歩退いて淡々と表現するところのバランスもよいです。要するに全曲を通した演奏設計が非常に綿密です。少しペダルを踏みすぎな箇所があり(イタリア人ピアニストの欠点?)惜しいですが、たいへん見事な演奏だと思います。
アリシア・デ・ラローチャ(DECCA/1974)
ポリフォニックな曲で旋律をはっきり聞かせて見通しよく演奏しています。また、短調の激しい曲もあまり深刻にならないように、あえて軽く表現する部分も見られ、24曲全体の流れを意識していると思います。ラローチャの特徴ですが、音色の種類が非常に多く、複数の音色の使い分けで頻繁に変化するのですが、それが散漫にならないように演奏設計しています。エチュード的な曲をずっと同じ音色でベタっと弾いてしまう人も多いのですが、ラローチャが弾くと別物のように立体的な表現になりますね。
小菅優(SONY/2004)
曲ごとの対比をあまり極端にしないで、24曲全体をバランスよく聞かせてくれる演奏です。遅い曲もすいすい流れていきますので、そこが物足りないという人もいるでしょう。でも軽すぎず深刻にもなりすぎないという、絶妙なバランスで弾いていると思います。近年の若手ピアニストはショパンをシリアスかつ重く弾く人が多いので(キーシンがその代表)、ルイサダなどにも通じる軽妙な洒脱さを感じさせるピアニズムは貴重だと思います。もう少ししぶとさなども身につければさらによくなってくる予感です。ペダルが濁るとか、アーティキュレーションが変とか、そういった未熟さが全くなく、全編安心して聴けるのも良いです。ピアニストとしてものすごく成長していると思います。
ホルヘ・ボレット(DECCA/1987)
最初は割と素っ気無い感じで弾かれて、後半になるにしたがって徐々に濃厚になって終曲で大爆発します。24曲通したドラマを考慮したようですが、中間部にも良い曲がいっぱいあるのに軽く扱ってしまうのがすごい。「作曲者ではなく俺様が主役」という意識が貫かれていると思います。この辺はとてもボレットらしい気もしますが、終曲などやりすぎに聞こえてしまう箇所も多いのが難点です。
ジャン・フランセ編曲管弦楽版(KOCH/1984)
なんとオーケストラ版です。演奏はベルリン交響楽団(ベルリンフィルではありません)。和音連打のコラールをそのまま弦楽器にザクザク刻ませてしまったり、どう考えてもチェロをイメージした低音の旋律をオクターブ上げて木管に演奏させてしまうなど、原曲とかけ離れた箇所もありますが、全体としてはバリエーション豊かな編曲で面白いと思います。ピアニスティックな速いフレーズをオーケストラに置き換えるのは無理があるようで、Op.28-8や24などは苦労のあとが伺えます。全体的にTVゲーム(特にドラゴンクエスト)のオーケストラ版のような雰囲気が強くて、Op.28-16なんか戦闘の曲みたいで苦笑します。それにしても演奏が良くない!和声の変化やフレーズの重みづけなど何も考えずに楽譜をざっとなぞっただけの曲も多いです。短調の深刻な曲はいくらでも深刻にできるのに、この軽さは何なのだろう?と思ってしまいました。フランセのオリジナル曲(弦楽合奏のための前奏曲集)も収録されていて、そちらはさすがに素晴らしいです。洒脱でエスプリに富んだフランセらしいセンスが発揮されています。
遠藤郁子(Victor/1996) <あっぱれ>
この曲集を完全に掌中に収めているのがありありとわかります。北海道(演奏者の故郷)の春夏秋冬をイメージした情景解説が1曲ずつ付けられているのですが、そんなのどうでもよくなるほどの名演だと思います。デュナーミクは自在で、アゴーギクの息も長いです。常に曲全体を意識した音量設定になっていて、相当に練り上げた解釈だと思います。不協和な音の箇所でルバートしたり、少しアクセントをつけて強調するなど、他のピアニストがあまりやらない方法で緊張感を演出してくるのも憎いですね。ただ近年の若手ピアニストと比較すると、技術面が少し弱いかなという気もします。指の動くスピードがあまり速くなく、タッチの切れ味に乏しい感じです。ただし、このCDに関しては全然問題にならないです。とにかく解釈の深さが段違いなので。日本人でショパン弾きというとやっぱりこの人になるのかなと思いました。
シプリアン・カツァリス(SONY/1992)
バカウマ(笑)。この人は小品や連作の演奏が滅法うまいです。聞かせどころを心得ていて、24曲全体の起承転結を意識しながらも1曲ごとの違いを描き分けている感じです。また他のピアニストよりペダルが少なめになっていて、響きが重くならないようにしている様子が伺えます。終曲などもところどころノンペダルにして響きをブツ切りにしますので、ドキッとさせられます。明らかにそういう効果を狙っているわけです。なお、このCDは前奏曲集のほかに演奏機会の少ない遺作などが収録されていて、「ショパンの知られざる曲」の集大成としても面白いです。世界初録音の曲も複数入っていますので、ショパンのピアノ曲制覇を目指す人には必携のCDだと思います。
アンドレイ・ニコルスキー(ARTE NOVA/1991)<おすすめ>
ロシア系のピアニズムで表現はかなり濃厚ですが、キーシンほどにはベタになりません。フレーズの終わりで力を抜いて音響を溶かしたりするタイプです。24曲を通したデュナーミクの設計なども明確で、全体としての起承転結がよく考えられていると思いました。構成面だけでなくディテールの扱いも丁寧で、重要な経過音や転調はどれも印象的に表現されています。解説で触れた24-22の転調に際しての左手フレーズなどもしっかりと意識されています。終曲は重すぎないようにしていて、流麗かつ壮麗といった雰囲気にまとめています。名演といえるでしょう。ニコルスキーはALTE NOVAでラフマニノフのピアノ曲集など優れた演奏をたくさん録音しています。
サンソン・フランソワ(EMI Classics/1959)
録音が古く、音質は今一歩です。演奏解釈がかなり個性的で、内声をえぐりだすように強調する場面なども多いです。フランソワのエキセントリックな感性がよく表れていて、悪く言えばひとりよがりに聞こえてしまうような曲もあります。もちろん、演奏そのものはものすごく上手いのですが。終曲などは本気で「この人、大丈夫なのか?」と疑いたくなるような破滅的な解釈になっていて、地獄につきおとされるような最後のD音の連打に戦慄します。ついフランソワ自身の生涯と重ねて聴いてしまいました。
クジストフ・ヤブウォンスキ(BeArTon/1999)<おすすめ>
エキエル編ナショナル・エディションに基づく録音です。エチュード的な曲で少々機械的になってしまっているものもありますが、全体としてはとてもよく弾けている名盤です。1曲1曲の完成度も高いですが、連続演奏する際における全体の流れ、バランス、曲の前後関係の対比などが実によく考慮されています。「24曲まとめて大きな作品」としての前奏曲集を実感することができる演奏だと思います。
シュテファン・ヴラダー(harmonia mundi/2002)
24曲の連続演奏における流れ、起承転結を強く意識した解釈になっています。実際に連続して演奏したものを録音しているようで、前後の曲が途切れずに流れるところも多いです。奇数番→偶数番(長調→短調)には一貫した流れがあり、2曲のセットを最小単位として12回積み重ねるという、非常にクレバーな構成となっています。あとエチュード的な曲の聞かせ方がうまいです。機械的に完璧に弾けているんだけど、表現は機械的にならないようにしているとか、いろいろ工夫があります。ただ、全編通してコラールを重々しく弾きすぎるのが気になりました。おそらくパイプオルガンをイメージしているのでしょうが、ドスンと響く低音はちょっとショパンらしくありません。
ルイ・ロルティ(Chandos/1997)
繊細で、静謐な雰囲気にまとめられた演奏です。音色の制御、多彩なタッチの使い分けが見事です。和音が塊としてジャーンと鳴ることはほとんどなく、横方向を意識した多声部のつながりとして弾かれています。機械的に演奏されがちな無窮動な曲もポリフォニーを異なる音色でカンタービレに弾きわけているのはすごいです。何気ない重音や6度のハモリなどが別々の音色で歌われるので、彫りの深い立体的な演奏作りに成功しています。例えばOp.28-14などエチュード的にベタッと弾かれがちな曲も、うまく聞かせてくれます。
ギャーリック・オールソン(EMI Classics/1974)
少し遅めのテンポで丁寧に演奏されています。この人のピアニスムの特徴ですが、全体的に静謐で落ち着いたトーンでまとめられていて、24曲の統一感を確保しています。前半の曲は意識的に抑えた演奏表現になっており、曲の進行とともに徐々に音色と表現の幅を広げていく、という設計になっています。決して感情がむき出しになることはなく、常に連続演奏を意識しているようです。こうしたまとまりのよさは明確な演奏設計があってこそ成せると思うのですが、反面、どの曲も同じように聞こえてしまったりすることもあるので、もう少し各曲のキャラクターの違いをはっきりと打ち出してもよかったのではないかなと思います。あと録音の問題か、若干こもり気味の音質なのが惜しいと思いました。
マリア・ジョアン・ピリス(Erato/1975)
ピリスらしく真摯に、シリアスな解釈で演奏されています。若い時期のためか近年ほど突き詰めた表現は少なく、シリアスなのに重すぎない仕上がりになっていて聴きやすいと感じました(グラモフォン移籍後のピリスのショパン録音は非常に濃厚で重い演奏です)。1つ1つの曲で突飛な解釈がないこともあって、24曲のまとまりは非常に良いです。ただ、歌い方やアーティキュレーションが機械的というか、やや単調になるときが見られるのが気になります。「雨だれ」の連打などがそうで、今のピリスであればこんな風には弾かないだろうと思わせます。ピリスがErato時代に録音したCDは廉価で手に入りますので要チェックです。
フィリップ・ジュジアーノ(MIRARE/不明〜たぶん2005年頃)
1曲1曲が丁寧に演奏された名盤です。フランスのピアニストですが軽く弾き流すようなところはなく、どの曲も歌を大切に弾いています。全体としては繊細なニュアンスを重視しているのですが、過度な感傷性や女々しさは感じさせず、高貴な気高さのようなものが感じられます。この点がとてもショパンらしい音楽になっています。終盤の穏やかな長調の曲の特徴をしっかり捉えて弾いているところなどは、なかなか普通のピアニストでは難しいと思います。取り立てて個性的な解釈をしているわけではなく、楽譜に忠実に、誠実に演奏していこうという姿勢だと思います。しっかりしたタッチの演奏はフランス人らしからぬピアニズム、しかし終曲で見せる流麗なフレージングはまさしくフランス的、というハイブリッド的な特徴が良い方向へ働いた演奏だと思います。
コンスタンチン・リフシッツ(DENON/1999)
ロシア系のピアニズムですがキーシンのようにバリバリ弾かず、弱音のニュアンスが豊富なタイプです。23歳とは思えない完成度の高さに驚きます。全体に遅めのテンポにして、微妙なニュアンス表現が伝わるように意識していると思われます。グールドの影響が強いと言われている人ですが、このCDにおいては演奏解釈は真っ当でバランスもよいと思います。あえて言うなら、ショパンのプレリュード、シェーンベルクの6つの商品、ヴェーベルンの変奏曲、メシアンのプレリュード、というプログラミングがグールド的。なお、使っている楽譜に問題があるかもしれませんが、臨時記号の見落としがいくつかあってちょっと気になりました。
セタ・タニエル(Collins/1992)<おすすめ>
音色、音量のコントロールが抜群に上手い演奏です。基礎的な技術の完成度が非常に高い人だと思いますが、それをヴィルトゥオーゾ的で外面的演奏効果を発揮することに用いず、音楽の内面表現を掘り下げる方向に使っています。柔らかな弱音のニュアンスがとても豊かで、そのために24曲がさまざまなテンペラメントで見事に描き分けられています。旋律の歌い回しは常に自然ですし、極端な表現を避けることで24曲全体の雰囲気がとても上品にまとまっています。「バラエティ豊かなのに、まとまりがある」という、相反する要素をバランスよく両立させている名演奏です。また、ディテールの作り方がとても丁寧です。ひとつひとつのフレーズのアーティキュレーションやリズム表現まで十分に吟味されています。特にフレーズの終わりの処理のうまさが光ります。センスが良いといってしまえばそれまでなのですが、次のフレーズへの橋渡しになる音の鳴らし方(音量や打鍵タイミング)が絶妙に上手いです。
クラウディオ・アラウ(PHILIPS/1973)
旋律を歌うときの呼吸がとても深いにもかかわらず、表現的に大仰にならず感傷的になりすぎないという、アラウらしいバランスの取り方が光る演奏です。もう少し個性を出した演奏表現をしても良いと思いますが、この中庸さこそがアラウの魅力という人もいると思います。すこし問題に感じたのは、リズムの扱いに淡白な面がある天です。特に付点音符のタイミングが甘い(溜めが少なく、打鍵が先走る)ために、引き締まらない箇所があります。それが独特のまったりとした雰囲気を生んでいますが、聴く人によって好みがわかれると思います。なお、リマスタリング盤を聴いたのですが、ノイズが多く、ピッチが安定しないところもあってマスターテープの状態の悪さが伺えました。
仲道郁代(RCA/1991)
1曲ごとの個性を強く打ち出すのではなく、24曲全体を通しての流れを重視した演奏。とはいえデュナーミクは大胆で、激しい曲は嵐のような凄みをもった表現も見られる。この曲に限らず、仲道さんの演奏全般にいえることですが、取り組み方がシリアス一偏等になることがままあり、このような組曲になるともう少しニュアンスに差をつけて弾いたほうが良いのではないか感じます。特に、長調の曲の一部は軽いニュアンス、軽いフレージングを多用したほうがよいものもあるように思いました。仲道さんのショパンはいつもアゴーギクを必要最小限に抑えているため、速度変化における個性はあまり感じられません(それは一つの方向性で悪くないと思います。私としては好き。)フレーズの終わりなど、もっと溜めてもよいと思うときもあるのですが、変にテンポを動かすよりも聞きやすく流れのよい演奏をしようという方針なのでしょう。
アダム・ハラシェビッチ(DECCA/1963)
ハラシェビッチらしく大げさなアゴーギクを用いずに、控えめなテンポ操作の中で着実に表現を作り上げていく演奏解釈です。デュナーミクは普通より1〜2段階下げている感じです。普通のピアニストがしっかりしたフォルテで弾くところもメゾフォルテかそれ以下で弾かれることが多いので少し物足りなく思うこともありますが、それを補うように弱音のニュアンスが豊かになっています。あと全体的にポリフォニーというか、バスや内声が動くときの表現が淡白なように感じました。ポリフォニーの表現を掘り下げると、さらに複雑なニュアンス表現ができるはずです。この人ならそういう技術は十分なのに残念です。曲の弾き分けは結構徹底していて、特にエチュード風の無窮動な曲はあえて機械的に弾いたりすることもあります。美しいメロディを奏でている曲が多い中で、そういう曲が入ることで雰囲気がガラリと変化してとても効果的に感じました。「雨だれ」の中間部における低音のノン・レガート処理なども独特で面白いです。(右手の連打はペダルでつなげるのに、低音はポルタート気味に切っている。不穏な雰囲気にぴったり合致していて良い。)録音が古いため音質に少々難がありのが惜しいです。
ラファウ・ブレハッチ(DG/2007)
丁寧に、端正にまとめあげた演奏です。ノーブル、という言葉がとてもよく似合うピアニズムですが、全体的にリズムの扱いが甘い弱点があると思いました。付点音符の跳ね方、マズルカ調アクセントの表現、シンコペーションの特徴づけなどどれも中途半端に思えます。そのため1曲1曲の個性があまりはっきりしません。これは一見したところ欠点なのですが、見方を変えると24曲のトーンをうまく統一したということもできますので、人によって評価が分かれると思います。近年の若手ピアニストは個性的な表現や、豊かな表現力、高い技巧を背景としたヴィルトゥオジティなどで勝負する人が増えていますが、ブレハッチはそういう方向ではないようです。一聴したところは地味にまとめられていますが、この若さでこれだけの落ち着きや渋さといったものを感じさせるピアニズムも珍しいと思います。併せて収録された曲がノクターンOp.62というのも玄人好みで、さらにこういう曲を微妙な色合いや移ろいを含みながら演奏するブレハッチにはたまらない魅力を感じます。
アレキサンダー・コブリン(キングレコード/2005)
呼吸を深く取って、十分に歌うことを基本にする演奏です。快活な曲も素直に明るく元気に弾くわけではなく、どこか常に思索を感じさせる内容になっていますし、短調の暗めの曲はかなり遅いテンポでじっくり聞かせますので、全体としては重めの演奏解釈になっています。特に、普通は軽く弾き飛ばしてしまう人が多い3番や5番などの前半部の長調の曲をじっくり弾いているので、最初から「普通の演奏とはちょっと違うな」というイメージを持たせることに成功していますし、24曲全体が落ち着いた雰囲気でまとまっていると思いました。その反面、トーンの統一に気を遣いすぎた感があることも否定できません。特にリズム面の表現が弱いので、それぞれの曲のキャラクターの描きわけが不十分に感じるところもあります。付点音符を中心に工夫していることは伝わってくるのですが、各曲の拍子やテンポ、アーティキュレーションなどリズム上の特徴づけをもう少しはっきり打ち出した方が、構成にメリハリが付いたのではないかと思います。あと、装飾音を弾くタイミングがときおり異様に速くなることがあり、違和感を持ちました。大きな呼吸の中で弾いているのであれば、自ずとそれに従ったタイミングになるはずですが、どうかすると流れを外してしまいます。装飾音の弾き方について、コブリンの中で確たる指針のようなものが固まっておらず、感覚的に弾いているように思いました。せっかく全体を掌中におさめようとしているのに、こういう散漫な要素が見られるのは惜しいです。なお、世界初録音となる「トリル前奏曲」が収録されています。
アブデル・ラーマン・エル=バシャ(Forlane/1999)
エル=バシャらしい、少し抑えた演奏表現で1つ1つの曲の個性を繊細に描き分けつつ、統一感をもたらす録音です。あまり自己主張をしないのがこの人の特徴だと思うのですが、前奏曲集は様相が違っています。特に、各曲のテンポ設定が個性的です。速い曲はやや遅めのテンポで、遅い曲はやや速めのテンポで弾くのが基本なので、全曲を通したアゴーギクの起伏が他のピアニストと比べて小さく、24曲の統一感をより強めています。こういうアプローチを取ると、それぞれの曲が没個性に陥る危険性もあるのですが、拍子やリズムの表現に気を遣うことで微妙な差異を表出しています。とても知的で奥深いアプローチだと思います。普通のピアニストはショパンを演奏する際にはディテールの表現にこだわることが多いのですが、前奏曲集のような組曲物を連続演奏する際には、このような全曲を見通した計画的・大局的なアプローチが適していると思います。指の動きがどうの、響きが濁らないペダリングがどうの、といった一般的な演奏技術に関しては何も言うことがないレベルの人なので、上記のような作品そのものに対するアプローチが明確に浮かび上がってくるのだろうと思います。
アラン・プラネス(harmonia mundi/2000)
1906年製のスタインウエイによる演奏。プラネスらしく、アゴーギク控えめで全体的にあっさりまとめていて聞きやすいです。しかしじっくり聴きこむと、かなり綿密に設計された解釈であることがわかってきます。特に音色の使い分けやピアノの響かせ方の制御がとても繊細で、一見あっさり進んでいくように見せつつ、様々な色合いの変化や心情の移り変わりを映し出しているように思えました。またデュナーミク設計がとても理知的です。フォルテ〜フォルテッシモの間に様々なニュアンスを感じさせてくれますし、フォルテッシモといっても全力ではなく常に節度を保っているところがよいです。また、短調のデモーニッシュな曲を過度に感傷的にならないように、むしろ諧謔性を込めて弾いているのがポイントだと思います。近年は濃厚な解釈でショパンを弾く人が多いのですが、前奏曲集のような組曲は1曲1曲をコテコテに弾くのではなく一歩ひいたところから傍観するようなスタンスが重要です。プラネスはディテール表現に対する注力度合いと一歩ひいて全体を見渡す感覚のバランスがよく、見事な演奏設計になっています。
フランソワ=ルネ・デュシャーブル(Warner/1988)
統制の行き届いたピアニズムで、不用意に弾かれる音など1つもありません、という緊張感の高い演奏になっています。この人はテクニック上の問題がないので、あとは音楽性や演奏解釈がリスナーとシンクロできるかどうかが焦点という気もします。デュシャーブルの解釈は様式美の重視というか、構成感のバランスに重きを置いているようで、1曲ごとに深く感情移入した表現を聞かせるタイプではありません。24曲を通した流れを重視しています。15番(雨だれ)と16番を中盤の頂点とするために、それまでの短調の曲をあえて軽く弾くといった工夫も見られます。こういった手法は1曲だけを取り出して聴いた場合、内容が薄く思えたり表現力不足に聞こえたりして、なかなか難しいと思います。アゴーギクが控えめなこともあり、全体的にさらりと弾いているため、ともすると単調になりやすい危険性もあります。デュシャーブルは要所要所で使われるポリフォニックなパッセージを印象的に聞かせることで、さらりとした中にも深みや奥行きを与えることに成功していると思います。
ヴォイチェフ・シヴィタワ(Frederic Chopin Institute/2007)
フォルテピアノによる演奏です。タッチによって音色が様々に変化することを生かして1曲ごとのトーンを変えたバラエティ豊かな24曲になっています。ただ、付点音符が甘いことをはじめとして、リズミックな面でのフレーズの特徴づけが曖昧なために、いまひとつ曲ごとの性格を明確に差別化しきれないのが惜しいです。また全体にペダルが多く、音響的に響かせすぎてしまっている場面が続くので、1つ1つのフレーズのアーティキュレーションが不明瞭になり、いっそう曲ごとの性格が曖昧になってしまっているように感じました。このペダルはピアノ自体の特性のように思えます。ダンパーが甘くて、普通に弾くと余韻が長くなりがちです。なので、レガートなフレージングはよいのですが、短く歯切れよい表現をしにくいようです。このあたりに、弾きなれていない楽器で録音することの難しさが見て取れるように思います。結果として、豊かな響きで聞かせる曲は素晴らしいのですが、繊細なコントロールが必要な曲や速いパッセージで構成された曲ではフレーズがダンゴ状になってしまい明瞭に聞き取れません。長調でふわりと響かせるタイプの曲にはよく合っていると思います。
笠原みどり(Live Notes/1999)
全体的にしっとりとした情感に満ちた演奏です。日本人ピアニストにありがちなのですが、リズム表現やアーティキュレーションによるフレージングの差別化が甘く曖昧で、曲ごとの特徴がきちんと表現されていないんです。しかし、この欠点が逆に24曲の統一感をもたらしているのがポイントで、きちんと弾ききれないことが必ずしも音楽としてマイナスになるわけではないことを示していると思います。ただ、三拍子系の拍子表現があまりにもおざなりな点はどうしようもないと思いました。微妙に跳ねるはずのマズルカ調の曲も、ゆったりとしたノクターン調の曲も、同じように平坦に弾いてしまうので、かなり冗長で飽きてきてしまいます。一方で、雨だれなどの4拍子・2拍子系の曲は良い雰囲気で弾けています。特にレガートのタッチがよく(これがしっとりした情感を生む)、旋律がしっかりと歌えています。そのため、リズムや拍子面での問題のない曲にはとても説得力がありました。
 

<改訂履歴>
2005/08/14 初稿掲載。
2005/08/20 小菅優、ボレット、フランセ編曲管弦楽版を追加。
2005/11/05 遠藤郁子を追加
2005/12/18 カツァリスを追加
2006/01/09 ニコルスキー、フランソワを追加
2006/04/15 ヤブウォンスキを追加
2006/05/02 ヴラダーを追加
2006/06/04 ロルティを追加
2006/10/08 オールソン、ピリスを追加
2007/01/13 ジュジアーノを追加
2007/04/07 リフシッツを追加
2007/07/21 アラウを追加
2007/12/23 仲道郁代、ハラシェビッチ、ブレハッチを追加
2008/03/16 コブリンを追加
2008/04/29 エル=バシャを追加
2008/11/23 プラネスを追加
2009/02/01 デュシャーブル、シヴィタワ、笠原みどりを追加

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