ショパン ピアノソナタ CD聴きくらべ

ロマン派ピアノソナタの中でも飛び抜けて演奏される機会の多いこの2曲は、古今東西のあらゆるピアニストが手がけ、録音を残してきました。それぞれ異なった解釈を聴くことができますので、CDの比較がとても楽しい曲でもあります。CD名鑑ではポリーニとアルゲリッチが一押しのようですが、私が最も感銘を受けたのは内田光子さんの演奏でした。

1.名盤編 

内田光子(2番&3番:PHILIPS/1987)
モーツァルトのピアノソナタとピアノ協奏曲を集中的に取り上げていた直後の録音。その後のドビュッシーの練習曲で聴かせた切れ味や、近年のシューベルト・チクルスでの素晴らしい演奏を知っている身からするともう一歩突っ込んで欲しかったのですが、彼女のパトスがそのまま反映した熱っぽい表現が印象的。ソナタ2番では特に弱音の音色や緩徐な部分はものすごい説得力で、葬送行進曲の重苦しい空気感などは誰にも真似できない世界です。第四楽章にしても、さらっと弾き流してしまう人が多いのですが、短三度モチーフの半音的分解を読み切った演奏を展開。これは圧倒的です。彼女のすごいところは演奏前の譜読みの深さではないかと常々思うのですが、複雑な構成をしっかり俯瞰し見通しのよい流れを作りつつ、細部はとことん突き詰めた表現をするという、相反する事象をバランス良く自身の演奏に反映させることができる希有な才能を持ったピアニストだと思います。そういった特性を生かせるのはソナタ3番の方で、こちらの演奏はただひたすら降参でした。というわけで、ショパンのソナタで日本人のCDを選ぶとしたら文句なくこの人になります。あと、ヘンレ版の楽譜(ショパンの自筆譜を基にしている)を利用しているのも特徴ですね。
マウリツィオ・ポリーニ(2番&3番:Deutsche Grammophon/1984)
コンピュータみたいに正確無比で冷たいとか、テクニックだけで心がないと言われていたポリーニですが、そんな風に評価する人は彼がイタリア人だということを忘れています。実はとっても大らかで明るいラテン系なのですね。それは他の録音を聴いても明らかで、たとえばポロネーズのリズムなどは純ポーランド的とは言えないのですが、明るい力強さが特徴的な好演だったのです。彼はここでもそういった前向きな明るさや力強さを、ポジティブな推進力として前面に表現しました。それによって、葬送行進曲の重厚さがいっそう浮き彫りになるのです。第3番のフィナーレなどはともすると全編盛り上がりまくりで押し切ってしまうんですが、逸る心を抑えて徐々に感情を高揚させ、最後は一気に爆発させます。とかく理知的と言われるポリーニだけあって、この2曲の堂々たる構築ぶりはさすがです。彫像的と言ってもよい構成力だと思います。しかし、このCDの真の魅力はそこではなく、彼の心の奥底に秘められたパッションが理性では抑えきれずにあちこちでほとばしる点にあります。エチュードやストラビンスキーの「ペトルーシュカ」の頃に比べると、打鍵の鋭さが足りないという声もあります。しかしこのCDはしっかりした構築力とプラスアルファの魅力が味わえるという点で、ポリーニの録音の中でも特に優れた演奏といえます。
マルタ・アルゲリッチ(Deutsche Grammophon/2番:1975、3番:1967)
とにかく破天荒、そしてそれがばっちりハマっている、とても魅力的な演奏です。ちゃんと考えてるのか、何も考えていないのかよくわかりませんが、たぶん彼女は何も考えていません(笑)。アルゲリッチのショパンを聴くたびに「ショパン自身は絶対こんな風には弾かなかっただろうな」と思うのですが、どうしようもなく惹きつけられてしまいます。それが天才と言われる所以なのでしょう。彼女は自らの感性を頼りに、誰も考えられなかった領域にまでこの2曲を飛翔させました。全体に拍子感が独特で、フレーズによってテンポがいろいろ変わりますし、あまりにも感情がむき出しの演奏なので、好き嫌いが分かれると思います。しかし、この才能は唯一無二のものです。スケルツォ楽章の表現が特に素晴らしく、深刻なフレーズの中でもウィットを感じさせる第2番や、第3番での流れるようにフレーズがうねる感覚はアルゲリッチの真骨頂とも言えるでしょう。また、がっちり構築型のポリーニと比較して自由な感じで演奏されているため、聞き終えたあとの爽快感につながっているように思います。第3番のフィナーレなどは唖然とするほど壮絶です。何かが憑依してるとしか思えません。 

2.その他編 

エフゲニー・キーシン(RCA/2番1999:、3番:1993)
ソナタ第2番は「前奏曲集」「英雄ポロネーズ」とともに収録。どれもとびきりの名演というか、これぞキーシンという骨太なピアニズムが全編で満喫できる名盤。バラード集と同様に、確信と自信に溢れ、一切の迷いを断ち切った演奏です。低音が良く伸びており、全体的な安定感につながっているように思います。特に凄いのが葬送行進曲で、かなり遅めの難しいテンポ設定ですが、重い行進曲と天国的な中間部の対比も見事でよくぞ弾ききったという感じ。唯一、第一楽章のリピートを省略しているのが惜しいです。ソナタ形式の提示部リピートは下手な人なら省略しても良いですが、上手い人の演奏は繰り返し聴きたいのです(笑)。3番はそれより若い頃のライヴ録音で、やっぱりすごく上手いのですが、細部の詰めがやや甘いかなと。アルペジオや音階句などでトップの音は強調しているのですが、それ以外の音がほとんど同じ音色で鳴ってしまうので機械的に聞こえます。音色が揃うこと自体は高度な技術があって為せることですが、逆効果になる場面もあるということで。あと第三楽章の前半、ちょっと集中力が途切れるのですがすぐ持ち直してくるあたりはさすがです。第四楽章はコントロール重視の安全運転なのが惜しい。この時期のキーシンの悪い癖というか、ミスしないようにそつなくまとめてしまって、スピード感が不足している感じです。通常のピアニストとしては十分すぎる内容だと思いますが、キーシンならもっと攻めても良いと思うのです。ぜひとも再録音を期待したいところですが、彼は一度録音した曲は二度とやらないんですよね。
あと細かいことですが、装飾音や付点音符の弾き方を間違っている箇所があって、ちょっと気になりました。文献を読んだり歴史的なことを調査して、本当に望ましい演奏とはどんなものか、自分自身で考える必要性に気づいて欲しいです。彼は今でも十分にトップクラスのピアニストですが、その必要性に気づいた段階で真の巨匠になれると思います。
レイフ・オヴェ・アンスネス(2番&3番:Virgin Classics/1990-91)
一聴して上手い、そして若いと思わせる演奏です。録音当時20歳ですが、音色も美しく繊細で、すでに文句のつけようがない、恐るべき完成度なのです。普通はここまで弾けたら100点。でも、だからこそさらに上を求めたくなります。まず、第2番では第一楽章・二楽章までは良いのですが、肝心の葬送行進曲が弾き切れませんでした。音符は鳴っていますが、メロディが上滑りしている印象でアゴーギクの変化が乏しく機械的に流れてしまう箇所が多いのです。行進曲の長い小節を要してクレシェンドしていくアイディアは良いのですが・・・。第3番は全体に表情付けが淡泊です。もう少し歌ったり、ルバートして欲しい箇所でもスルっと抜けてしまうので、どうしても物足りないのです。この人の特徴はそこにあって、何しろピアニストとしての能力はものすごく高いレベルにあるので、難しい箇所でも軽々弾けてしまって、「凄いけど、それで?」と言われかねない内容になってしまっているのですね。ショパンを弾く場合は、もっと深い呼吸でメロディを歌った方が良いと思います。なお、2002年秋にソナタ第3番をリサイタルで聴くことができましたが、さすがに音楽的に成長していて、このCDよりも遙かに深みを増した素晴らしい演奏でした。同年代のキーシンとともに、21世紀を担うピアニストです。キーシンの圧倒的なヴィルトゥオジティに対して、繊細で淡い色彩感がアンスネスの持ち味だと思います。
エルダー・ネボルシン(3番のみ:DECCA/1993)
ウズベキスタン出身のピアニストで、なんと録音当時19歳。この人もとても繊細なピアニズムを持っています。内声部の横のつながりを丁寧に表現したり、ポリフォニーを音色の変化で立体的に聴かせたり、かなり手が込んでいるですが、フレーズがこまぎれになる部分が多く、見通しが悪い演奏になってしまったのが惜しい感じです。マクロな目と、ミクロな追求を両立させるのはなかなか難しいですね。リストの「ダンテを読んで」なども収録されていて、普通の19歳ならテクニック炸裂系の爆演になると思うんですけど、そういうのを期待すると完全に裏切られます。「ソナタ風幻想曲・ダンテを読んで」の幻想性を強調した演奏なんです。このような解釈は早熟すぎというか、20歳前にしてここまで枯れるのかと小一時間問いつめたくなります(笑)。やはりピアニストとしての基礎能力は非常に高いので、楽譜を大きな単位で見て演奏できるようになれば一気にブレイクしそうです(すでに欧州では人気ピアニストになってしまったようで)。
フィリップ・フォーク(2番&3番:EMI/1983)
一音たりとも気を抜かない非常に密度の濃い演奏です。常に和声の解決をしっかり聴かせるように演奏しているのですが、それがかなりくどい表現になっていて好みが分かれるところでしょう。ソナタ2番の第4楽章など実に細かくニュアンスが検討されていて、ほとんど偏執狂ではないかと思います(笑)。しかし、私はここに全面的に共感できてしまうので、ものすごく気持ちよく聴くことができました。正統派ではないと思いますが、細部まで楽譜を読み尽くしたことに敬意を表したいです。ソナタ3番も似たような感じですが、重厚長大から軽薄短小まで幅の広い音色の使い分けが曲調にマッチしていて、聴きごたえがあります。第4楽章がネチネチと歌いすぎで、やや惜しい感じ。やはりこのフィナーレは一気に弾ききって欲しいと思います。
マルク=アンドレ・アムラン(2番:Hyperion/1990)
アムランというと「普通の曲は弾かないピアニスト」というイメージを持つ人もいるかと思いますが、ラフマニノフのソナタ2番など変ロ短調の曲ばかりを集めた妙なCDの中にショパンのソナタ2番も一緒に収録されました。例によって完成度は高いけれども、アピール度の低い演奏です。アムランの場合、「これを弾けるだけでも凄い」という難曲を演奏したり、メジャーでない作曲家の埋もれた作品に光を当てて演奏するのを信条としているようで、そういう姿勢自体が価値のあることだと思います。しかし、この人がメジャーになれない理由はマイナーな曲を演奏しているからではなく、メジャーな曲で感動を呼ぶような演奏ができないからではないか、という疑惑を抱かせる1枚になってしまいました。アムランのファンでもこのCDの評判は良くないようですが、ここまで完璧に弾いていて、ここまでつまらないというのも逆に潔いような気がします(笑)。モノトーンに近い音色、あらゆる感情あらゆる欲望を反映しない、表現ではなく音響の提示とも言うべき演奏。シュールレアリズム。そんな言葉が浮かんでくる演奏です。
小山実稚恵(SONY/2番:2000、3番:1986)
2番と3番には録音年代に差があるので一概にどうこう言えないのですが、2番は少々やりすぎ、3番はあっさりしすぎという感じです。さすがに第2番は表現にも余裕があるんですが、遅いメロディで粘りすぎ。いつも粘るのではなく、時にはサラリと流して欲しい場面もあるわけですよ。その反対に肝心なところで離鍵が速いのも気になるところで、もっと鍵盤の底まで打ってから次へ行った方が良いと思います。遅いメロディは粘るのに、速いところではオンビートで事務的にてきぱき弾いてしまう。速い部分でも、十分カンタービレに唄って欲しいのです。しかし、この粘るメロディが葬送行進曲では効果的だと思います。1・2楽章であれだけいろいろやったら、行進曲はもっと濃厚にしないとバランスが取れませんから。一方、第3番はショパンコンクール入賞直後の演奏で第2番で気になった速いフレーズを機械的に処理してしまう癖がよくわかります。歌い回しやルバートのセンスも今一歩。フィナーレの盛り上がりなどは素晴らしいので、全体としてはまとまっていると思いますが、とにかく若いです。
イーヴォ・ポゴレリッチ(2番&3番:FKM/1983)
これはライヴ録音です。私はポゴレリッチがそれほど好きでないのですが、これは割と気に入っています。というのは、このCDにはポゴレリッチ自身の呼吸の音が入っているのですが、そのタイミング、その深さが、まさしく音楽的なんですね。とかく独特な解釈を叩かれたり絶賛されているピアニストですが、何のことはない、彼は彼の歌を唄っているだけなのです。
どちらも若い時期の演奏で、速いテンポが特徴です。ソナタ2番の葬送行進曲が6分ジャストとか(ちなみにキーシンは10分40秒)相当なものですが、決して音楽が軽くならないのがすごいところ。ソナタ3番のフィナーレなども、もの凄い速さなのですがこちらは若さが出てしまった感じです。ともあれ、ショパンのソナタでエキセントリックな演奏を求めるとすると、ポゴレリッチがプレトニョフになると思います(笑)。
マレイ・ペライア(2番、3番:CBS/1973)
デビュー当初の録音で、特に達者と言うわけでもなく、随所に荒っぽさを残したままの演奏です。音楽の流れもぎこちなくて、端的に言ってしまえば下手です。普通のピアニストならこのCDで聴けるイマイチ感を残したまま年齢だけを重ねて、中堅どころで終わってしまうと思うのですが、この人の凄さは演奏活動を続けながらどんどんレベルアップしたところにあります。そして、20世紀終わりに演奏活動を休止して再度音楽の勉強をしなおしたことによって表現に深みを増し、一気に名声を高めてしまいました。年代を追ってペライアのCDを聴くと、イモムシがさなぎになり美しい蝶へと変化する様をつぶさに見ることができます。
ミハイル・プレトニョフ(2番:Virgin Classics/1988、3番:Deutsche Grammophon/1997)
プレトニョフはいつもそうなのですが、このCDで聴かれる演奏も非常に恣意的で、上空から曲全体を見下ろすような醒めた雰囲気が特徴です。指揮を始めたのも頷けるわけで。まず、第2番はとにかく録音が悪いのが惜しいと思いました。第一楽章で思い切り深い呼吸でネチネチ唄う粘着質ぶりを見せつけ、第二楽章では一転して軽いハーフタッチを駆使して諧謔性を強調。やや冗長なトリオで面白い内声の扱いを見せるあたりさすがです。葬送行進曲はかなりテンポが速く、あっさりめ。そしてお約束通り、最後の音をペダルで伸ばしたまま第四楽章へ。半音階分解を読んでいるのはわかりますが、終始ペダルが深く濃霧&ソフトフォーカス風です。第3番は録音も良く、さすがに解釈もハマっています。相変わらず半終止・終止でズルズルにリタルダンドするのがくどいですが、流れが止まりそうになるのも演奏効果と思えます。また、ソナタ第2番ほど楽章ごとのキャラクターを強調せず、ピアニッシモの音色の変化で勝負している感じ。それにしても、タッチの深さのコントロールレベルがものすごく高いです。併録されたエチュードOp.10-5とかOp.25-6なんかミクロンレベルの精度を感じさせます。
ジョルジュ・シフラ(2番、3番:EMI/1973-1978)
シフラにしては大人しい演奏なので、爆発を期待すると拍子抜けになります。フレーズの開始で妙に粘ったり、終止部で止まりそうにルバートしたりとアゴーギクが特徴的ですが、慣れてしまうとそんなに違和感もなく聴けます。左手のオクターブ下げ技も要所要所でスパイスのように使われるだけで、全体としては真っ当な演奏だと思います。第2番は、もっと仕掛けを作っても良いのになあ、と感じるほどストレートな演奏。葬送行進曲も非常にストイックです。第四楽章だけ仕掛けを作ってくれています。第3番は流麗さに重きを置いているようで、随所で横の流れを大切にした表現を聴くことができます。速い走句の麗しさは絶品です。
ウラディーミル・アシュケナージ(2番、3番:DECCA/1974-1984)
ロシア・ピアニズムという方向性で聴くならキーシンの方が数段上手なのも事実ですが、アシュケナージらしいリリシズムがよく反映されていてなかなかの名盤。例によって録音が悪く、ゴーン・ガーンという響きが好きになれない人も多いと思うので、声高には推奨できないのですが。スケルツォ楽章の解釈や曲想の運び方が大変巧く、懐の深さを感じさせてくれるのが良いです。ショパンのソナタのスケルツォ楽章で深みのある解釈を聴かせることができる人は非常に少ないです。アシュケナージは2000年にショパンのソナタを再録音していて、EXTONからCDが出ているのですがこちらはすっかり枯れてしまって良くないです。ショパンのソナタを演奏するのに達観は必要ないと思うのです。
ギャリック・オールソン(1番、2番、3番:Arabesque Recordings/1990)
ショパンコンクールで内田光子さんが2位になったときに優勝したのがこの人。ほとんど録音されないソナタ第1番が収録されているのがポイントです。これはさすがに意気込みの感じられる内容で、若きショパンの瑞々しい感性がよく表現されていると思います。力強い表現の男性的ピアニズムが印象的ですが、聴き進むにしたがって常に4楽章を通した構成を意識していることが伝わってきます。第2番も最初は大したこと無いなあとか思って聴いているのですが、葬送行進曲から俄然説得力を増し始め、終楽章で見事に曲を分解していきます。造形物が粉々に崩れていくイメージをじっくり表現していく演奏に思わず呻りました。
シプリアン・カツァリス(1番、2番、3番:SONY Classical/1990-1991)
お得意の内声えぐり出しや左手のオクターブ下げなどの小技を利かせた演奏です。しかしソナタという形式ではそのようなテクニックはうわべの装飾にしかなりません。カツァリスもそのことはわかっているようで、オーソドックスにまとめる中で薬味のように利かせてきます。したがって強引に内声をえぐり出すと言うよりも、時に和声の横の流れを演出したり、あるいはポリフォニックな立体感を強調したりと、演奏解釈に深みを与える方向に作用していきます。ソナタ第2番の葬送行進曲は再現部をフォルテシモで始めて徐々に消え去っていくという、ラフマニノフ系列の解釈です。また第4楽章は他の人とは違う音を強調するのがすごく面白いと思います。それと比較するとソナタ第3番は正攻法で弾いてます。
セシル・ウーセ(2番、3番:EMI Classics/1987)
デュナーミクは普通なのですが、アゴーギクが独特です。特に第2番は不自然な箇所が多いかも。全体的にテンポを落として丁寧に弾いているところは好感が持てますが、第一楽章コーダなどで突然テンポアップして猛然と終わってしまったり、唐突なテンポ変化が気になるところです。また、スケルツォ楽章のスピード感に欠け、実際のテンポ以上に遅く聞こえることがあるのが惜しいです。演奏上のキズにはなっていませんので、そのあたりに目をつぶると本当にお見事。第3番はポリーニも真っ青な力演で、女性ピアニストとは思えない底力を感じさせます。嫌みにならないバスや内声の強調など、表現のバランスが良いのです。おそらくショパンのソナタ大3番は彼女にとって十八番中の十八番なのだと思います。最難所と思われるフィナーレ3回目の第一主題も、とんでもない迫力でばく進していきます。表現の彫りの深さと爆発的なカタルシスの両方を満足させてくれる演奏ですね。ウーセはフランスのピアニストなのですがドイツ物も得意で、ショパンに関しても全体的な構成感の表現を重視しています。スケルツォ全曲、バラード全曲が共に収録された2枚組CDが出ており、お買い得です。
ヴァン・クライバーン(2番、3番:BMG/1967)
これは名演。楽譜に忠実に、しかも表現をよく練ってあって聴きごたえがあります。過度なロマンティシズムに陥らず、かといって無味乾燥というわけでもなく、ショパンらしい瑞々しさや苦悩なども感じさせてくれます。ピアニズムは見事なまでのロシア風で、ピアノからフォルテまでのダイナミクスが大きく、美しい音色でフレーズを奏でます。なんとなくキーシンが成長するとこんな感じになりそうだな(笑)とか思ってしまいました。ところどころフレージングが細切れになることがあるのですが、楽譜に忠実なアーティキュレーションを付けたらそうなったという感じです。もちろんテクニック的に不安なところは全くなく、どんな難所もスムーズに流れていきます。あまり有名な録音ではないようですが、1960年代当時ここまで深みのある演奏ができる若手ピアニストは少なく、貴重な存在だったはずです。
ラン・ラン(3番:DG/2005)
この曲の幻想性を前面に出した演奏です。よく楽譜を読み込んで弾いているのですが、ブロックごとのテンポが大きく違うため、楽章単位でのまとまり感には少し欠けると思いました。第2楽章などスケルツォ主部のテンポはすごく速いのに、トリオはズルズルに遅かったりします。このような演奏は対比としての効果は鮮やかなのですが、曲全体の構成感を崩してしまう危険性があります。ただ、以前ほどディテールに固執せずに自然な流れを重視するようになりましたし、フォルテでも音色が破綻しなくなりました。バランスの取れたピアニストに成長していると思います。
ニコライ・デミデンコ(3番:hyperion/1993)
ソナタらしい構成感と、ディテール表現のバランスの良い演奏です。ロマンティックなカンタービレ表現が多いので下手をすると甘すぎるショパンになってしまうのですが、しっかり弾くべきところはがっちり鳴らします。フォルテの音色が少し重いように感じますが、それが効果的になっている場面もあります。特に第一楽章ではどっしり感と儚い幻想性が見事に同居しています。第二楽章も繊細優美な表現が素晴らしいですが、第三楽章は少し重すぎです(11分もかけて弾いています。ちょっとやりすぎ)。フィナーレは5分で弾ききっていますがフレーズの粒がはっきりしていて弾き流しません。さすがです。
ダン・タイ・ソン(1、2、3番:Victor/2000)
持ち前の繊細で美しい音色に力強さが加わった素晴らしい演奏です。まず、習作のソナタ1番を大切に弾いているのが良いと思いました。2番は第一楽章は構成重視で重めにまとめ、第二楽章はやわらかいニュアンスのタッチを生かし、ドカドカ弾かず流麗さを感じさせるスケルツォに仕上げています。葬送行進曲は敢えてデュナーミクを抑え目にすることで悲しみや絶望感を表現しています。行進曲のトリオを甘すぎないように節度を持って弾いています(以前のこの人なら思い切りロマンティックに弾いてしまいそう)。3番は一層の冴えを見せているように思いました。第一楽章はソナタらしい形式感をくっきりと描きますが、ディテールの表現はとても繊細で幻想的です。また、冗長になりやすい第三楽章は美しい歌と深く沈静した表現の対比が見事です。第三楽章はともすると単調になりがちな曲想ですが、奥行きと説得力を与えていると思いました。
ピオトル・パレチニ(2、3番:BeArTon/1998)
エキエル編ナショナル・エディションによる録音です。2番第一楽章はアゴーギクが独特で流れが悪いです。恣意的なアーティキュレーションも多く拍子感がはっきりしない箇所があります。葬送行進曲も独特で、ズルリ、ズルリと足を引きずるような低音の奏法が言い知れぬ虚無感を表現しています。解釈としては非常に個性的ですが、それを完璧に表現しつくす演奏技術は抜群だと思います。3番は2番とはアプローチを変えていて、多彩な音色やダイナミックレンジの広さなどこの人のピアニズムが良く生かされています。第一楽章の第一主題と第二主題で音の広がり方が全然違ったり、ポリフォニックな箇所を複数の音色で立体的に表現したり、音が多くて込み入った場所から和声が解決するときの重要な経過音をきちんと聞かせたり…ひとつひとつのディテールの積み重ねで説得力のある演奏を作り上げています。フィナーレはすべての音が明確に鳴っており、とても華やかで力強い演奏になっています。
タマーシュ・ヴァーシャーリ(2、3番:DG/1963)
2番は第一・二楽章のテンポが遅めです。特に第一楽章の展開部は弾きにくそう。スケルツォのフレージングが重いというか、よっこらしょ、という感じで跳躍するのが気になりますが、トリオの弾き方は上手くさすがです(このトリオは書法が冗長なので演奏者が工夫しないと飽きます)。葬送行進曲は速めですが、要所で低音部の打鍵を一瞬遅らせることで重さを感じさせます。心憎いテクニックですね。また、低音部でトリルが入っても響きが濁りません。2番は全体に感傷度低めにまとめていると思いました。3番も仕掛けが少ない素直な演奏ですが、やはりスケルツォが遅めです。フィナーレは正攻法で弾ききっており、エチュード集の線の細さからは考えられないほど力強い演奏で、素晴らしい高揚感を作っています。録音が古いためか、少しノイジーな音質で惜しいと思いました。(マスタリングで除去できそうなものですが)
リッカルド・カストロ(2、3番:ArteNova/1998) <おすすめ>
2番は全体的に構成感と繊細なディテール表現をうまく両立させています。第二楽章スケルツォはフレージングとペダルがうまく、ドタバタした感じになりやすい曲調を軽めに表現して諧謔性を出しています。葬送行進曲はやや速めのテンポですが繊細にまとめています。行進曲というより祈りに近い雰囲気があって、重くないけれども軽々しくなく、荘厳さを感じさせてくれます。重厚な演奏が多い中では異色といえる解釈ですが、説得力があります。3番はこの人のピアニズムによく合っているようで、いっそう自由自在な表現になっています。繊細でロマンティックな幻想性を思わせる場面が多く、名演奏といってよいと思います。第一楽章の入り組んだフレーズの聞かせ方や、スケルツォの麗しさ、第三楽章の瞑想的な雰囲気と美しい歌など、どこをとってもこの人の美点が十分に発揮されています。併せて収録された小犬のワルツ(速すぎない)、ノクターンOp.9-2(バリアント入り)などもセンスがよく、おすすめの1枚です。
アダム・ハラシェビッチ(DECCA/1958-1968)
1、2、3番を収録。かなり音質が悪いです。主題対比や構築性の表現が得意なようで、ソナタ楽曲とは相性が良いピアニストです。第1番、第一楽章〜第三楽章はかっちりと弾いているが、第四楽章はとても情熱的です。第2番、大変音質が悪く残念。いつものようにアゴーギクが控えめ、しかし全体に演奏表現が熱くていったい何があったんだ?とか思いました。第一楽章は展開部に入った瞬間の陰影の付け方がうまく、はっとさせられます。第二楽章は主部を少々バタバタしていますが、中間部になってもしっかり歌うのは好感が持てます。葬送行進曲はテンポが遅い割に、ずるずる弾かないのでバランスが良いと思います。そして第四楽章は笑ってしまうくらい速い。第3番、やはり演奏表現、特にデュナーミクの振幅が大きく、情熱的な解釈になっています。第一楽章、展開部において第一主題関連を情熱的に、第二主題関連のフレーズは幻想的に表現しているが、再現部の第二主題は一転して濃厚な歌いまわしになり、意外性と説得力があってよいと感じました。第二楽章はかなりしっかり歌っている(流して弾く人が多い中では異色)。第三楽章もよく歌いながらも、沈静した雰囲気を演出しています。第四楽章、バラードで気になった3拍子系の下手さがほとんどなく、左手の表現で曲の流れを作っていくところなどは本当にうまく聞きほれます。
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アブデル・ラーマン・エル=バシャ(Forlane/1997-2000)
1、2、3番を収録。この人らしい純音楽的な表現がソナタにおいてはあまり良くない方向に作用していると思われる面も見える演奏です。第1番は楽曲そのものが未熟なことが露呈するような弾き方で(特に第一楽章の構成感が今一歩)、もう少し気遣いが欲しいと感じます。第2番も第一楽章における2つの主題の対比表現の掘り下げが足りないと思います。わざとらしさのない自然な演奏ということもできるのですが、外面的に訴えてくるものが希薄に見えるのは損です。全楽章を端正な落ち着きが支配していて、大人しすぎるように思います。葬送行進曲は端正なりの良さがあると思うので、その前後の楽章の特徴づけの意識をはっきりとして、メリハリのある構成を見せたほうがいいように感じました。3番は対位法的な書法が多く、エル=バシャに合っているのですが、全体としてきっちり・かっちりまとめようという意識が見られ、フレージングに堅さを感じる場面があります。構成的にはかっちりしていても、それぞれのフレーズは自由に歌って飛翔させて欲しいのです。あと、3曲とも初期稿で弾いているようで、普通の楽譜とは違うフレーズが出てきてドキッとします。
アレキサンダー・コブリン(キングレコード/2005)
第2番のみです。第三楽章を重視した構成になっていて、第一・第二楽章のアゴーギクはかなり恣意的で独特なので、ついていけないリスナーもいると思います。ロシアのピアニストでこの曲を真っ当に弾いているのはキーシンだけではないでしょうか(笑)。もっとも、全楽章を通したバランスの取り方、構成感の表現などは非常に独特で面白いアイディアだと思いました。第一楽章の主題提示部が遅く、弱音で始まるのでびっくりします。その後徐々にテンポアップして疾走感が出てきます。アゴーギクが独特というか、急ブレーキがかかったかと思えば元に戻ったり、とにかくテンポが一定しないので、聞いている側が音楽の流れをつかみにくいです。第二楽章は主部は跳躍系のフレーズは短めでブツ切れのフレージングで、半音階の重音はレガートに弾いて対比を出して攻撃的にまとめていますが、やはりテンポが一定せず聞きにくいです。トリオは一転して平静になってアゴーギクもノーマルになりますので、とにかく構成的な対比を演出することに注力したことが伺えます。第三楽章は一転してフレージングの息が長くなり、極端なアゴーギクもなくなって旋律の流れが見えるようになります。この楽章を印象的に聞かせるために、第1・第2楽章を極端な表現にしたと思われます。第四楽章も小細工のような表現は少なく、すっきりまとめています。
ダニエル・バレンボイム(EMI/1973)
年代の割に録音状態が良くなく、ギスギスした潤いのない音質になっているのが惜しいです。
第2番、第一楽章は第二主題で急ブレーキがかかったようにテンポが落ちるのが不自然だと思いました。第一主題との対比を演出する意図はわかりますが、あまりにもテンポが変化するので一貫した流れが失われています。また、全体にぎこちなく、弾きにくそうに思えます(ところどころで指がひっかかったりする)。第二楽章はバランスよくまとめており、特に弱音のニュアンスや歌わせ方が美しいです。早々行進曲は非常に遅く、おそらく歴代最遅ではないかと思います(M.M.=60以下です)。遅いのに重くなく、流れが失われないので聞きやすいです。フィナーレはさらっと流すタイプ。第3番は2番より弾きやすいそうに弾いていて、安心して聞けます。特に第三楽章は、例によって遅いテンポながら弱音が美しく素晴らしいノクターンだと思います。フィナーレは勇壮にまとめていますが、ちょっとやりすぎのように思いました。
マウリツィオ・ポリーニ(2番のみ。DG/2008)
Op.33-36/38の作品集に収録。若い頃ほど打鍵スピードが速くなく、鋭さが消えてしまっています。しかし、デュナーミクを1〜2段階下げたことで、かえって演奏に深みを増しているように思いました。近年は、衰えを指摘されていましたが、このCDでは衰えたテクニックと音楽性の折り合いを見つけ出した感じです。刺々しいニュアンスもなく、安心して聞けますし、むしろ若い頃より丁寧でよいと思います。まず、第一楽章のリピートは冒頭のGraveまで戻ります。この時点で以前とは全く違う考え方をしていることがわかります。前回の録音から30年近く経てば心境の変化も当然とは考えますが、力任せの轟音フォルテがなくなり、懐の深さや余裕といったポリーニの美点がより一層わかると思います。付点音符の跳ね方が甘いなど以前からの癖はあるものの、闘争的な攻撃性が少なく、しかし堂々とした第一楽章だと思います。第二楽章も以前だったらドカ弾きですが、今回はすっかりクレバーに工夫しています。また、第三楽章は少しテンポを速くしています。全楽章を通してポリフォニーの表現を意識したところが見られるのもポイントです。ポリーニといえばポリフォニックな書法の表現を省略するのが特徴だった時期もあるので、ここに来てポリフォニーに回帰するのも面白いです。
ネルソン・フレイレ(DECCA。2番=2004/3番=2001)
2番、第一楽章主部の左手をいきなりオクターブ下げて始めるのでインパクトがありますが、全体としてはとても丁寧です。この人のピアニズムの特徴として、右手小指の意識がしっかりしている上に、内声の音量バランスの整え方の意識が高レベルなため、常に旋律がよく浮かんできて見通しがよく、流れもスムーズなことが上げられます。オクターブ奏法においてもこの美点があり、親指で弾く音がでしゃばらないのでうるさくなく、響きがすっきりしています。第二楽章は主部とトリオの対比が鮮やか。主部は刺々しくならない程度に攻め、トリオはとても穏やかです。オクターブの跳躍が得意なようで、スピード感があります。第三楽章はトリオに入った瞬間に明確に音色が変わり、ドラマティックです。再現部はフォルティッシモで開始して徐々に音量を落とすスタイル。3番は第一楽章の導入が鮮やかです。やはり見通しがすっきりしており、迷いなく進む第一主題と、伸び伸び歌われる第二主題の対比もよいと思いました。こういった複雑な曲でしっかり鳴らずべき音と、薄く響かせるだけでよい音の区別がきちんとできているので、あらゆる意味で非常にクリアな演奏になります。各楽章の特徴の捉え方、聞かせ方もしっかりしていて、さすがの演奏だと思いました。終楽章の主題の装飾音をしっかりスラブ調のニュアンスで弾いているのが印象的でした。
マルク=アンドレ・アムラン(hyperion/2008)
2番は再録音。もういちどショパンに取り組む必然性の感じられる立派な演奏です。第一楽章は全くの正攻法。ちょっと左手のオクターブ下げが入るくらい。第二楽章はテンポを抑えてスケルツォ主題のアーティキュレーションを強調します。アムランはこういうフレーズの特徴づけが甘いという印象があったのですが、それを払拭します。トリオの歌も美しいし、装飾音を拍に乗せて弾くことにより適切なルバート感を作り出しています。第三楽章は遅めですが、なんとトリオのリピートを省略するという大技で、すっきりまとめています(これはいいアイディア)。フィナーレはレガートのタッチを駆使してうねるようなフレージングでまとめました。
3番は、演奏会のVTRを見る限りでは曲をもてあまして弾きにくそうだったのですが、さすがにこの録音はしっかりまとめています。第一楽章は第一主題のフレージングを短くし、第二主題で息の長い旋律を強調して対比を演出しています。第二主題に入るときに明確に音色が変化するのも良いです。第二楽章もスケルツォ部はペダル少なめでドライな響きを出し、トリオでは一転して深いタッチでうたいます。第三楽章はかなり深い感情移入を思わせる濃厚な歌を聞かせてくれます。この楽章を瞑想的にまとめる人もいますが、テンポが遅いこともありしっかり歌った方がよいと思います。終楽章はフレージングを長めにして流麗さを演出しています。速いパッセージがなめらかに駆け回る様子はとても美しいです。併録のノクターン、子守歌や舟歌も非常に素晴らしい演奏で、見事にショパン弾きとして成長したアムランを聞かせてもらった、というCDでした。
アンドレイ・ガヴリーロフ(EMI classics/1984)
2番のみ収録。重苦しい焦燥感とパトスの表現に注力した演奏です。1,2楽章は速いところはとことん速く、フォルテはどこまでも鋭くという、ガヴリーロフらしさに満ちた演奏です。ただ弱音はニュアンスに乏しい上、フォルテとピアノのつなぎが悪く(いきなり音量が変化する)、聴きにくさの原因になっています。ペダルも少なく、乾いた音響になっています。3楽章もテンポ遅めで(ロシア人でどうしてこの楽章をこんなに遅く弾くんでしょうw)、ズルズルなかんじです。4楽章は期待通りの爆速で、一瞬にして吹き去る風という感じです。全体としては特に弱音におけるフレージングや表情づけがほとんどなされれおらず、平板で面白みのない演奏だと思います。
 

<改訂履歴>
2003/03/02 初稿掲載。
2003/05/05 オールソン追加
2003/11/03 カツァリス追加
2003/12/23 ウーセ追加
2004/01/04 クライヴァーン追加
2006/03/10 ラン・ラン、デミデンコ追加
2006/03/19 ダン・タイ・ソン追加
2006/04/14 パレチニ追加
2006/06/04 ヴァーシャーリ追加
2006/10/08 カストロ追加
2007/12/23 ハラシェビッチ追加
2008/03/16 エル=バシャ、コブリン追加
2008/11/23 バレンボイム追加
2009/02/01 ポリーニ(2008)、フレイレ、アムラン(2008)追加
2011/09/12 ガヴリーロフ追加

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