演奏会備忘録 2003年版

 

白神典子シュナイダー ピアノリサイタル
12月14日(日) ガザルスホール

ベートーヴェン ピアノソナタ第30番op.109
ブラームス 6つのピアノ小曲集 op.118
シューマン アラベスク ハ長調 op.18、クライスレリアーナ op.16 

<アンコール>
シューベルト 即興曲Op.90-3
ショパン ノクターン「レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ」

2年ほど前にやはりカザルスホールでベートーヴェンとショパンのピアノ協奏曲(ともに室内楽版)を聴いた白神さんのリサイタルに行きました。
ベートーヴェンはしなやかな第1楽章と決然とした第2楽章を切れ目なく演奏し、第3楽章の変奏曲へ。アリエッタの優しいメロディが次第に表情を変え雄弁に語りだし、やがて高らかに歌い出します。そして音の万華鏡のような最終変奏・・・素晴らしすぎます。この人、いつのまにこんなに上手くなってしまったんでしょう。ブラームスの小品も非常に深い思索の元に演奏されており、1音ずつ聞かせたかと思えばアルペジオの輪郭をぼやかしてみたり。ピアノの響きを上手く使っていました。
後半はシューマン。アラベスクは意外に構成感を重視した演奏で、とらえどころのないシューマンの印象を払拭します。クライスレリアーナは各曲の特徴を完璧に把握しつつ、シューマンらしい微視的なこだわりを随所に反映させています。特にリズム表現の性格付けが上手く、いきいきとした演奏になっていました。あとクライスレリアーナは1曲の中で楽想がコロコロ入れ替わる曲で聞くのも演奏するのも難しいのですが、白神さんは急速な転換・唐突な転換・ゆっくりとした転換をしっかり区別して、自然に弾き分けていたところが良かったです。
そして、アンコールがまた素晴らしかった。シューベルトの即興曲はキーシンも弾いていましたが私が聴きたかったのは朗々とした吟唱ではなく、語りかけるように始まった白神さんの解釈です。右手のメロディが盛り上がるとそれに応えて左手も返事をします。この曲は最後にメロディが半音階になるところが命なのですが、大切に大切に弾いてくれます。ショパンも見事にメロディを歌う演奏。この人なんでも弾けちゃいます(笑)。
この人の演奏に共通しているのは呼吸の深さです。フレーズを開始する前に深く息を吸ってから入ります。深いフレーズは深くゆっくりと、スピード感を優先する場合は浅く速く。弾かないときも呼吸が続きますので、休符ですら意味を持った音楽になります。呼吸の深さはそのままフレージングの「溜め」に繋がります。このような演奏スタイルは、インテンポでスポーティなメカニズムを重視する若手ピアニストが多い中では異色だと思います(古めかしいスタイルと言ってもよい)。でも、私が望んでいるのは彼女のような演奏です。今回驚くほどの成長を聞かせていただき、とても嬉しく思いました。以前から内田光子さんの後を継げるのは彼女しかいないと思っていたのですが、ひょっとすると内田さんを抜いてしまうかもしれません。

 

エフゲニー・キーシン ピアノリサイタル
11月18日 大阪ザ・シンフォニーホール

シューベルト ピアノソナタ第21番
シューベルト=リスト セレナード、さすらい、どこへ、わが家
リスト 巡礼の年第2年「イタリア」より ペトラルカのソネット104番、メフィスト・ワルツ第1番

<アンコール>
シューベルト 即興曲 変ト長調 op.90-3
シューベルト=リスト ウィーンの夜会 No.6
リスト ハンガリー狂詩曲No.6 変ニ長調
リスト パガニーニ練習曲より「狩」
ゴドフスキー いにしえのウィーン

先日発売されたブラームスのピアノソナタ第3番のCDを聴いて予想はしていましたが弱音の表現力が格段に増した演奏です。消え入りそうな音や、柔らかいタッチを生かした音色、またウナ・コルダ(弱音ペダル)を効果的に利用したくぐもった音色などを使い分けていました。
シューベルト最後のピアノソナタは、演奏者によって様々な解釈があって面白い曲です。内田光子さんのように半分あの世に逝ってる状態を奥深く表現する人もいれば、ラローチャのように童心に帰って音符と戯れるような表現をする人もいます。今回のキーシンの場合は、真正面から楽譜と対峙して大変真摯に弾いてくれたと思います。その結果、聞こえてくる音からキーシンの個性は消失し、シューベルトの歌のみがそこに存在したように思いました。あれだけ強い個性を持っていたキーシンのピアニズムが大きく変貌を遂げたことを実感させてくれる素晴らしい演奏でした。
後半のリストも濃厚に歌を聞かせる演奏です。確かに技巧的にも凄いと思いますがところどころキーシンの中の音楽性が技巧を上回っていく場面が見られたのが印象的です。ピアノの鳴りがキーシンの打鍵についていかないのです。どうやら、キーシンのやりたいことをすべて表現するにはスタインウエイのコンサートグランドをもってしても器が小さくなってしまったようです。

 

ルドルフ・ブッフビンダー ピアノリサイタル
11月3日 東京オペラシティ コンサートホール

ベートーヴェン ピアノソナタ第8番「悲愴」、第14番「月光」、第6番、第23番「熱情」

<アンコール>
ベートーヴェン ピアノソナタ第18番 第2楽章
ヨハン・シュトラウスII世=グリュンフェルド編:「こうもり」の主題によるパラフレーズ

ウィーンで活躍するピアニスト、ブッフビンダーのリサイタルです。私は彼の録音したベートーヴェンのソナタ全集が好きなのですが、今回のプログラムはそのベートーヴェンの三大ソナタ+第6番というものでした。短調のソナタばかり続くと聴く側としてはツライのですが、途中にヘ長調の第6番が挿入されていて、これが絶妙な効果を生んでいました。
演奏内容は録音よりも表現がオーバーになっていたり、和声の変わり目でルバートして転調を印象づけるなど、外面的な演奏効果をはっきりと打ち出してきて、意外とショーマンシップのあるピアニストという印象を覚えました。実演を聴いたのはこれが初めてなのですが、思った以上に演奏技術がある人で、弾きにくい難所もインテンポでどんどん進みます。これが爽快感につながっていて、短調のソナタを必要以上に重く感じさせない重要なポイントだったように思います。ただ、ときおり不必要に内声を強調する場面があり、音楽的な(あるいは演奏家自身の内的な)必然性に乏しい印象を受けました。これだけ立派な演奏ができるのですから、余計な小細工は必要ないと思うのですが。印象に残ったのは「悲愴」の第一楽章と「月光」の第一楽章です。特に「月光」は音量を絞っていく表現が絶妙で、深い幻想性を感じさせてくれたと思います。
また、アンコールのシュトラウス=グリュンフェルドは超絶技巧の発揮された曲です。こういうショーピースは嫌みっぽくなりやすいのですが、いかにもさらりと弾いてしまったのが実に憎らしく、格好良かったです。また聴いてみたいと思いました。

 

ユーリ・テミルカーノフ指揮 サンクトペテルブルク フィルハーモニー管弦楽団
10月10日 サントリーホール

プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番(独奏ピアノ:マルタ・アルゲリッチ)
チャイコフスキー 交響曲第4番

さて、アルゲリッチ初体験です。近年は技巧の衰えを指摘される彼女ですが、この日はノリノリで絶好調。天を駆けるがごときピアニズムを披露してくれました。いかにも十八番の曲目という感じで、目を瞑っていても弾けそうなほど軽々と、楽しそうに弾いていたのが印象的でした。テミルカーノフのサポートも完璧。テミルカーノフは協奏曲の伴奏も非常に上手いのです。一昨年のラン・ランや今年のアルゲリッチやグットマンなどソリストが強力な場合は、オケにも強力な表現を要求して迫力を増した演奏を展開します。というわけで、この夜もアルゲリッチと一緒に躍動的で楽しい音楽を作り上げてくれました。この曲はアルゲリッチ&アバドのCDが名盤とされていますが、リズムの切れの良さ・生きの良さなどは完全にそれを上回っておりました。
後半のチャイコフスキーは例によってテミルカーノフ流フレージングが非常に流麗でしなやかです。細かなアーティキュレーションと息の長いフレージングが同居しているのがテミルカーノフの特徴で、とかく細切れになりやすいこの曲のメロディをうまく歌わせていたのが見事だと思います。テンポは全体に速かったのですが、16分音符が連続してもビシッと揃って崩れません。オケの能力が高い証拠ですね。1楽章1テーマという感じで、目的を絞ってわかりやすい表現をしていたと思います。第一楽章=絶望、第二楽章=悲嘆、第三楽章=かすかな希望、第四楽章=ヤケッパチ(笑)みたいな。

 

ユーリ・テミルカーノフ指揮 サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団
10月10日 サントリーホール

ドヴォルザーク チェロ協奏曲(独奏チェロ:ナタリア・グットマン)
ムソルグスキー=ラヴェル編 展覧会の絵

グットマンは非常に集中力が高く、序奏の段階で曲に対して完全に没入している様子。これは凄いことになるぞ・・・と予感が走る一瞬です。そしてチェロ独奏の第1音が鳴った瞬間から、サントリーホールは彼女の独擅場となりました。ロストロポーヴィチ直系の分厚い音色で熱い熱い演奏。切迫感のある鋭い音色だけでなく柔らかい音色や暖かい響きなどの使い分けも実に多彩で、曲想を把握しきった表現です。まさに圧倒的な迫力と説得力。リヒテルが絶賛したのだからそれほど酷いチェリストではないだろうなどと不遜なことを思っていた自分に反省しました。まさに超一流の演奏家でした。
後半の「展覧会の絵」はマチネだしこんなものかなと(笑)。十分に素晴らしい演奏だとは思いますが、もともとあまり好きな曲ではないので。ラヴェルのオーケストレーションの上手さが光る曲ですが、それをきっちり表現できるオケのメンバーの実力の高さには敬服する次第です。

 

前橋汀子 バイオリンリサイタル
6月21日(土) さいたま芸術劇場 音楽ホール

ベートーヴェン ロマンス第2番、バイオリンソナタ第9番「クロイツェル」
シューベルト バイオリンソナタD.574、アヴェ・マリア(ウィルヘルミ編)
モーツァルト ハフナー・セレナーデよりロンド(クライスラー編)
シューマン トロイメライ
ブラームス ハンガリー舞曲第5番(ヨアヒム編)

<アンコール>
エルガー 愛の挨拶ほか いろいろ(汗)
ピアノ:若林顕

若林顕さんがピアノ伴奏をするというのでかなり期待して行きました。前橋さんは以前サンクトペテルブルク室内響のソリストをやったときは非常に調子が悪くがっかりしたのですが、今回は絶好調!
軽く「ロマンス」で指慣らしををして、「クロイツェル」は速いテンポで攻めまくる攻めまくる。実に切れ味の鋭い緊張感を伴った攻撃的な演奏で、若林さんと火花を散らしておりました。次のシューベルトでは一転して歌を聴かせるモードに切り替わり、ハンガリー舞曲で本編終了となりました。アンコールはノリノリで、いろんな曲をとっかえひっかえしながら弾いてくれました。若林さんが伴奏譜の準備ができてないのに弾き始めたりして(笑)、とにかくいろいろ弾きたくてたまらないという様子でした。4曲くらいアンコールを弾いたところで観客の方が満足してしまい、そこでお開きとなったんですけど、おそらく弾きたりなかったのではないでしょうか。ともかく、お嬢の健在ぶりをまざまざと実感したリサイタルでございました。

 

アリシア・デ・ラローチャ ピアノリサイタル
6月3日(水) 王子ホール

バッハ:コラール前奏曲「最愛のイエス、われらここにあり」、幻想曲とフーガ ハ短調、イタリア協奏曲
グラナドス:組曲「ゴイェスカス」より 「愛と死(バラード)」、「幽霊のセレナード」、わら人形−ゴヤ風な情景

<アンコール>
モンポウ:内なる印象 より 「秘密」
ニン=クルメル:ムルシア地方のセギディーリャ*
グラナドス:スペイン舞曲集より「アンダルーサ」

ラローチャの日本ツアーも今日で最後、いよいよ聴きおさめです。前半がバッハ、後半がグラナドスというプログラム。ラローチャのバッハは、アーティキュレーション=バロック的解釈、フレーズの歌い回し=ロマン的奏法という折衷タイプで、ピアノで楽しむバッハとしては理想的なものがあります。ペライアのバッハ演奏法と近いのですが、フレーズの溜め具合やブレスの入れ方がより深くたっぷりとしているため、大きな単位のフレーズがわかりやすく聴きやすいのです。この日の演奏もラローチャらしいもので、生き生きとしたリズムやフレージングと、美しい音色を存分に楽しむことができました。
後半のグラナドスは曲のすべてを手の内におさめた演奏で、この人以上にこの曲を弾ける人は今後も出てこないであろうことを再認識させられました。「愛と死」の深い表現、「幽霊のセレナード」における絶妙なリズム処理、そして「わら人形」での華やかなピアニズムと、驚くべき多彩な演奏です。
彼女の演奏の特徴を作っているタッチ変化と、繊細なペダリングで様々な音色を使い分けるテクニックは、最高峰のピアニストだけで聴くことのできる大変高度な技術です。音楽表現の方向性は全く違いますが、奏法的にはアルゲリッチと同じ種類と思われます(実際ラローチャのインタビューにはアルゲリッチを意識した発言が見られます)。アルゲリッチとラローチャの違いは、アルゲリッチが主に打鍵速度の調節でマルカートを表現するのに対し、ラローチャはタッチの深さの調節で表現するところにあります。しかし音色表現の多層性は他のピアニストでは全く見られない複雑なもので、単一色がグラデーション変化していくツィメルマンなどと比較すると、常に複数の音色を同時に鳴らしながら変化させていくラローチャの技術は全く次元の違う天才的なものであると言えます。もちろんツィメルマンの音楽にも非常に強力な説得力がありますし、あれはあれで世界最高だとは思いますが、ラローチャのような名人芸とは根本から異なるわけです。このあたりにツィメルマンがラローチャを尊敬してやまない理由が見えるような気もしました。
以上のような高度な技術は私にはとても真似のできないものですが、基本的な奏法は大いにラローチャから学びたいものです。彼女の無理のない奏法は、身体的ハンディを全く感じさせません。背筋をピシッと伸ばすことで下半身〜上半身を安定させ、肩から肘をしなやかに使って幅広い音域を無理なく把握し、素早い跳躍や打鍵を可能にします。また、いま弾いている先のことを予測した身体の使い方をしています。必ず飛んで入る先を見据えてから跳躍するので、どんなフレーズでもミスタッチしません。彼女を見ていると、現在弾いている音に対する指示(打鍵〜離鍵)と、これから弾く内容に対する予測を脳の中で平行処理している様子がよくわかります。これができる人はどんな難曲でも弾けるわけですが、つまるところピアノの練習は指を動かす能力だけでなく、脳のトレーニングも重要なことが実感できるのでした。

ともあれ、60年にわたって素晴らしい続けてくれたラローチャに感謝したいと思います。彼女のリサイタルを聴くことはもうできませんが、素晴らしい録音をたくさん残してくれました。この日弾いたグラナドスの「ゴイェスカス」をはじめアルベニスの「イベリア」などスペインのピアノ音楽は、彼女のCDを買えば間違いがありません。また、モーツァルト(ピアノソナタ全曲と大部分のピアノ協奏曲を録音)やショパン、シューマンなどのレパートリーも滋味深く、たいへん素晴らしいのでぜひ聴いていただきたいと思います。

 

クリスティアン・ツィメルマン ピアノリサイタル
5月31日(土)横浜みなとみらいホール

ブラームス:6つの小品 作品116
ベートーヴェン:ピアノソナタ第31番 変イ長調
ショパン:即興曲第2番 嬰へ長調 作品36
ショパン:ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 作品58

アンコール シマノフスキ:前奏曲(?)

ショパンが聴きたかったので、今週もツィメルマンのリサイタルに行きました。
ピアノの調整が大阪とは違っていて、よりきらびやかな音が出るようになっていました。そのためか、前半のブラームスとベートーヴェンでは階段状に音色が変化する場面が多く、演奏の精度という意味では大阪より劣ってしまいました。
「日本ではショパンを弾いて欲しいという要望が多いので」プログラムに登場させたようです。即興曲はサロン的にまとめるのかと思ったのですが、かなりシリアスに弾いてくるのでソナタはどうなるかと思ったらこれがまた重量級の演奏でした(笑)。第一楽章からがっちりした構成感を前面に出してきます。第2楽章も決して弾き流さず、速い走句の1つ1つの音符をクリアに輝かせながらの丁寧な演奏が光ります。いかにも几帳面なツィメルマンらしい解釈ですね。第三楽章は浅いタッチを多用してで幻想性を強調してきました(この楽章を重々しく弾く人が多い)。終楽章は非常にドラマチックな演奏解釈で、「静謐で端正」というイメージを覆す熱演。お見事でした。

 

クリスティアン・ツィメルマン ピアノリサイタル
5月24日(土) 大阪ザ・シンフォニーホール

ブラームス:6つの小品 作品116
ベートーヴェン:ピアノソナタ第31番 変イ長調
ブラームス:ピアノソナタ第3番 ヘ短調

現役で最高のピアニストは誰だろう?と考えたときに、まっさきに名前を浮かべるのがこの人です。CDでしか聴いたことがなかったのですが、なぜかそう確信していました。そして世界最高ぶりを確認することになったのが、このリサイタルです。なにしろ、音量音色の変化が無段階かつ無限大なのです。微かなピアニッシモからホール全体に響き渡る強大なフォルテまで、完璧な精度で自由自在に操ります。今まで聴いたピアニストでは考えられないほどのレベルの高さなのです。至高のピアニズムと言って良いと思います。
演奏者がこうあるべきと考えた音を、あるべき時に鳴らすことができる。これが演奏技術だと思うのです。ツィメルマンは自身の音楽的指向を100%表現しています。だから、彼の演奏からは技術を感じさせません。彼の演奏から伝わってくるのは、常に作品や作曲家に対する深い共感であり、彼自身の解釈なのです。完璧な技術は、その存在感すら消し去ることができるのだと思い知らされました。

ブラームス作品116は晩年に作曲されたもの。第1曲、深く息を吸い込んだあといきなりゴージャスな響きがピアノから生まれます。しかし決して軽くない深みのある音色。素晴らしく緊張感のある始まりに一気に惹きつけられます。第2曲、場面は回想シーンとなり音色は暖かみを帯びた落ち着きを見せます。第3曲、突如として嵐のようなバラード。激しい感情が溢れます。ここでちょっと指が滑っているような危うさを見せました。どうしたのかな。そして第4曲、弾き出したとたん椅子から立ち上がり中座してしまいました。・・・数分後戻ってきたツィメルマン、聴衆に向かって「ブラームスのせいじゃなくて、私の鼻がね。」(笑)気を取り直して第4曲を弾きなおします。この瞬間、誰もが息をのんだことでしょう。音色の透明感が段違いなのです。紫陽花の葉から朝露がこぼれ落ちるような静謐な空気感。そして磨き上げられた真珠が転がるような音色が次々とピアノから生まれてきます。鼻をかんだおかげでしょうか(笑)、先ほどよりも集中力を増しているようで音楽はいっそうの深さを見せてくれます。第5曲、難しい場面転換を明快に表現します。そして長い間をおいて第6曲、深い絶望の歌が聞こえてきます。ブラームスが晩年に味わった孤独が痛いほど伝わってきます。最後は闇の中へ消えるように終わりました。

ベートーヴェンのピアノソナタ第31番は、後期のソナタでも特に好きな曲です。第1楽章、思いがけず明るく軽い調子で始まります。低く思いトーンだったブラームスとはかなり違って驚いたのですが、曲が展開するにつれて音色が深くなります。第2楽章、激しい懐疑心が表現されます。第1楽章の平穏ぶりとは一転した情熱的な表現にびっくり。アーティキュレーションやリズムの扱いが明快で、スケルツォ的な雰囲気もあるこの楽章をよく読んでいます。第3楽章、嘆きの歌。またどん底に落とされます(笑)。しかしベートーヴェンは絶望の淵から立ち上がり、それは力強いフーガとなって歌われます。最後は大聖堂で演奏されるオルガンのように、巨大な響きでホール全体が満たされました。ピアノとはここまで表現できる楽器だったのかと思い、震えのくるような感動を味わいました。

休憩後はブラームスのピアノソナタ第3番。20代前半のブラームスが書いた曲です。ツィメルマンはその年齢に着目した解釈で、若きブラームスのロマンと情熱を全面的に押し出す表現でした。ベートーヴェンで大変深い精神世界を表現していたのでどんな演奏になるか期待していたのですが、良い意味で聴衆を裏切ってくれました。

 

アリシア・デ・ラローチャ ピアノリサイタル
5月21日(水) サントリーホール

ショパン:ノクターンOp.32-1、舟歌、子守歌、幻想ポロネーズ
アルベニス:組曲「イベリア」より 喚起(エヴォカシオン)、港(エル・プエルト)、アルメニア
ファリャ:ベティカ幻想曲

<アンコール>
モンサルバーチェ:ハバネラ
グラナドス:アンダルーサ(「スペイン舞曲集」第5曲)
モンポウ:秘密(「内密な印象」第8曲)
グラナドス:ホタ(「スペイン舞曲集」第6曲)

ずいぶん前からCDを聴いていて大好きなピアニストだったのですが、前回来日時(モーツァルトのソナタを弾いていた)に演奏会に行かなかったら、なんと「日本さよなら公演」と題されたツアーになってしまいました。もう80歳になられるので引退も無理ありませんが、残念ですね。
前半のショパンは身体的な衰え(握力が落ちている)を感じさせるものの、演奏の組み立て方がとても自然です。不自然なショパンを弾く人がいっぱいいるので(苦笑)、このような演奏が聴けるのは大変幸せなことです。
後半はお得意のスペイン物です。これはもう本当に別世界、まさにオンリーワンの独擅場です。魔法のようなピアニズムを堪能しました。彼女は自分の弾いてる音をよく聴いてますね。ピアノの響きや音色のコントロールが抜群で、常に3〜4種類の音色を同時に操って立体感のある音響世界を表現してました。カラフルだったり、幻想的だったり、曲想の移り変わりとともにピアノの響きも雰囲気を変えていくところも見事です。他にもラローチャの美点はたくさんあるのですが、特にリズムや拍子の表現が生き生きとしています。また装飾音が抜群に上手く、ここでしかありえないと思われる絶妙のタイミングと音色で入ってきます。メロディの歌い回しも自然で、まさしくピアノが唄っていました。
あと、このリサイタルはピアノファンには嬉しいハプニングがありました。ベティカ幻想曲が終わり、カーテンコールを受けるラローチャのところへ大きな花束を持って現れたのは、クリスティアン・ツィメルマン。彼は前日、東京での自分のリサイタルを終えてラローチャの演奏会を聴きに来ていたのです。ラローチャをたいへん尊敬しているというツィメルマン、アンコールの間もステージの袖で演奏を聴いていました。

 

佐藤卓史ピアノリサイタル
4月21日(月)東京文化会館小ホール

曲目
 ショパン 前奏曲嬰ハ短調、ノクターン、ピアノソナタ第2番
 ショパン スケルツォ第1番、第2番、第3番、第4番

私のページを読んでくださっている方から「とっても良いピアニストですよ」と推薦があり聴いてきましたが、本当に良かったです。
大変指のよく回る人だとは聞いていたのですが、この人は速い箇所ほどあっさり弾いてしまうので、それほど超絶技巧に聞こえないというのが面白いところです。そのかわり、ゆっくりした箇所や、ロマンティックに歌う部分は19歳とは思えないほどの説得力で聴衆に訴えかけてきます。スケルツォも速い部分よりも、たっぷりとしたトリオの歌い方に魅力を感じました。彼自身がショパンの音楽に共感して、それを一生懸命伝えようという姿勢が伝わってくるんですね。
佐藤君のように芸大ピアノ科で、日本音楽コンクールに優勝して・・・という優等生コースを進む人の中には「指は動くしミスも少ないけど、それ以外何も伝わってこない」というケースが少なくないのです。決して音楽性が欠如しているわけではなく、おそらくは「表現力」という技術がお粗末なのです。このような人たちは当然自分の欠点に気づきますので、芸大をやめて留学したりするのですが、残念ながら時既に遅く、その後もパッとしないまま中堅ピアニスト止まり、という結果に終わることが多いと思います。佐藤君の良いところは、指がよく動くところではなく、しっかりとした音楽観と十分な表現力を持っているところだと思います。
ともあれ、今回が初のソロリサイタルということで緊張していたと思いますし、最後の方は疲労困憊な様子でした。しかし、そういったコンディションの中でも、しっかりと自分の言いたいことを聴衆に伝えられる実力は大したものだと思います。遅い箇所だけでなく、速いフレーズにおける表現力をさらに磨けば十分に世界レベルで通用するピアニストになるのではないでしょうか。「一生懸命弾いてます!」というオーラが全身から出ているのも微笑ましく、思わず「がんばれよ!」と声をかけたくなりました。
まるで音高卒業生の同窓会場のような暖かく楽しい雰囲気のあった演奏会だったのですが、これも佐藤君の人柄が反映しているんじゃないかしら。この先が楽しみです。

 

ロリン・マゼール指揮バイエルン放送交響楽団
4月7日(月)サントリーホール

曲目
 ブラームス 交響曲第3番
 ブラームス ピアノ協奏曲第2番(独奏ピアノ:イエフィム・ブロンフマン)

アンコール
 ラフマニノフ 前奏曲

ブラームスのピアノ協奏曲は2曲ありますが、これらはロマン派のピアノ協奏曲では最も演奏難度の高いと思います。リストやラフマニノフの協奏曲は演奏効果が派手でいかにも難しそうに聞こえるのですが、いろんな人が名演奏を残しています。ところがブラームスの場合は、きちんとした演奏が少ないのです。そもそもブラームス自身がピアノの特性を生かすとか、ピアノらしい音響を追求するということにあまり興味が無く、もっぱら自身の表現したいことのみを楽譜に記していたと思われます。そのため、楽譜どおり弾くだけで苦労するにもかかわらずピアニスティックな面では地味なものになっています。実際は、ピアノ協奏曲も第2番などは独奏ピアノが華々しい活躍を見せる場面も多いのですが、最高の難所は第4楽章の軽い重音フレーズなのです。そしてこれがわかるのは、ある程度ピアノが弾ける人だけ・・・という演奏者としては苦労の報われない曲と言えるでしょう。
というわけで前置きが長くなりましたが、かように難しいこの協奏曲を、ブロンフマンは見事に弾きりました。第一楽章の前半こそ堅さがあって流れが悪かったのですが、再現部以降は全く心配がなかったです。第四楽章の安定感は特筆もので、跳ねるような軽い主題と重い和音の対比が素晴らしいと思いました。また第三楽章での独奏チェロとのアンサンブルも素晴らしかったと思います。ピアノ協奏曲に独奏チェロを持ち込むアイディアは、クララ・シューマンのピアノ協奏曲からの転用で、このあたりクララを崇拝していたブラームスの心情がよくわかって興味深いですね。
マゼールさんとオーケストラは連日の演奏会のためか明らかに疲労困憊といった感じで、横浜よりもあっさりとした演奏でした。うん、このくらいアッサリしていた方がちょうど良いと思います(笑)。

 

ロリン・マゼール指揮バイエルン放送交響楽団
4月5日(土)横浜みなとみらいホール

曲目
 ブラームス ピアノ協奏曲第1番(独奏ピアノ:イエフィム・ブロンフマン)
 (アンコール:プロコフィエフ ピアノソナタ第7番「戦争ソナタ」より第3楽章)
 ブラームス 交響曲第1番

アンコール
 ブラームス ハンガリー狂詩曲第5番、第1番

分厚い音色で朗々と弦を歌わせるのが好きなマゼールさんの方向性がよく発揮されたコンサートでした。旋律の息を長くとって、たっぷりとルバートしながら演奏します。まるでワーグナーやマーラーのような濃厚で退廃的なロマンティシズムをまとった雰囲気でしたし、フレージングやアーティキュレーションなど、まるきりでたらめと言ってよい場面も多かったので解釈としては疑問が残ります。ただ、大きなホールで聴衆を熱狂させるにはこういうやり方が適切ではないかなと思いました。(実際たいへん盛り上がったコンサートでした)
私の目的はもちろんブロンフマンがソリストをつとめたピアノ協奏曲です。当初は二台ピアノのためのソナタだったこの曲は、途中で交響曲へ方針転換され最終的にピアノ協奏曲になったわけで、第一楽章にはそのような苦心の跡が濃厚に残っています。交響曲+ピアノ伴奏のような重厚な雰囲気で(演奏時間も20分以上かかる)、あまり協奏曲らしくないんですね。第二楽章からいきなり協奏曲っぽくなって、フィナーレは単純なロンド形式になってしまうという、楽章間のバランスが悪い曲だと思います。各楽章の完成度は高いのですが、全体としてちぐはぐな面が残ってしまっているというか。ブロンフマンは一貫して重厚に弾く中でリズミックな強調や軽いタッチ、柔らかい弱音などを使い分け、モノトーンに近い曲調に様々な変化を与えていました。
といっても白眉はもちろんアンコールの「戦争ソナタ」のフィナーレでして、弾き始めたときに思わず

キタ━━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!!!


と狂喜乱舞したのは私だけではないと思います。
ブロンフマンはプロコフィエフを弾かせたら最高と言われる1人で、ピアノソナタ全集やピアノ協奏曲全集など素晴らしい録音をしているのです。プロコフィエフのピアノソナタ第7番のフィナーレは、アンコール・ピースとしてホロヴィッツがよく弾いていたので知名度も高いのですが、まさかブラームス・プロのアンコールで聴けるとは思わなかったので大興奮。強大な低音域の変拍子に乗ってカラフルなフレーズが次々とピアノから生まれ出てくるのは魔法のよう。最後はブロンフマンらしい重戦車的連打で締めくくり、大拍手となったのでした。
あとでわかったのですが、このツアーでブロンフマンは毎回異なるアンコールを弾いています。だから、オケの人たちは「今日は何を弾くのかな。わくわく。」といった顔でブロンフマンのアンコールを待っているんですね(笑)。

 

小山実稚恵と仲間たち
3月22日(日曜) 彩の国芸術劇場音楽ホール

曲目:オール・ブラームス・プログラム
 ハイドンの首題による変奏曲(2台ピアノ版)
 ハンガリー狂詩曲(抜粋・ピアノ連弾)
 ピアノ四重奏曲第2番

出演
 小山実稚恵、野平一郎(ピアノ)、堀米ゆず子(バイオリン)、川本嘉子(ヴィオラ)、堤剛(チェロ)


「ハイドンの首題による変奏曲」は2台ピアノで合わせるのはかなり難しいようで、小山さんも野平さんも慎重になっているのがわかりました。そのためアンダンテで弾かれるべき最初のテーマが「アダージョ」のように聞こえてしまいました(笑)。全体的に重厚な演奏になっていて、もうちょっと軽さが欲しかったなと思います。2台ピアノの生演奏を聴くのは初めてだったのですが、1台だけで弾くよりも響きが非常に豊かで、複雑な色彩を持っていると思います。
ハンガリー狂詩曲は連弾での演奏。小山さんが低音部、野平さんが高音部を弾きました。途中で二人が入れ替わる場面があったのですが、小山さんは高音部の音色が硬く神経質なのが気になりました(毎度のことですね)。野平さんは手首の位置が低く、深い打鍵をするので音色に落ち着きがあってよく伸びるのですが、小山さんは高い位置から打鍵することが多いのです。特にオクターブ奏法時に、鍵盤から2〜3センチ離れた位置から鍵盤を叩くように打鍵するのは問題があるように思います。鍵盤を叩くと高次倍音が増えてきらびやかにはなるものの、音色のコントロールは難しくなりますし、打鍵時の余計なノイズを拾ってしまうため、ピアノ本来の鳴りは悪くなります。結果として音の芯が細くなってしまってしまうのですが、このようなちょっとした奏者の違いを敏感に反映してしまうスタインウェイというピアノは怖いですね。
後半のピアノ四重奏曲は圧巻でした。小山さんは伴奏に専念する箇所が多く目立ちませんでしたが、とにかく弦セクションの3人のテンションが高く、非常に濃厚でデモーニッシュな雰囲気を発散して聴衆全体を巻き込んでしまいました。なずがまま、されるがままで自然に演奏に集中できるのですが、あまりにもテンションが高くてもうクラクラ(笑)。楽章が進むほど艶を増す堀米さんのバイオリン、そして堤さんの豊かな響きのチェロが特に素晴らしく、長い曲を最後まで飽きさせず聴かせてくれました。第4楽章のコーダでビオラの弦が切れてしまい、なんとか弾ききったもののアンコールができなかったのですが、これだけ充実した演奏を聴いたあとはアンコールなど不要です。ブラームスの室内楽は昨年のルイサダ&ターリヒ弦楽四重奏団に次いで2回目ですが、弦セクションは今回のメンバーの方が充実していたと思います。
また、彩の国芸術劇場音楽ホールは初めてでしたが、大変に音響のよいホールでした。

 

中村紘子ピアノリサイタル
2月14日(金曜)練馬文化センター

曲目
 モーツァルト デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲
 シューマン 謝肉祭
 ショパン 舟歌、ピアノソナタ第2番
 チャイコフスキー=ラフマニノフ 子守歌
 クライスラー=ラフマニノフ 愛の悲しみ
 フレデリック・ジェフスキ ウィンズボロ・コットン・ミル・ブルース

アンコール
 ショパン ノクターン第2番、幻想即興曲、エチュードOp.10-4


昨年はコンサートに行きすぎて大変だったので、今年は回数を抑えようと思っております。そこで、一度は生で聴いておきたかった中村紘子さんのリサイタルに行きました。
シューマンは当初「クライスレリアーナ」が予定されていたのですが「謝肉祭」に変更。この曲は昔から彼女のプログラムではよく取り上げられていただけあって、手馴れた演奏でした。しかし、その内容は首を傾げたくなるようなもの。拍子の扱いが淡白で、シューマン独特のリズミックな表現が生きてきません。ショパンに至っては完全に崩壊。難所にくるとミスタッチが極端に増えますし、葬送行進曲もガツンガツンと進む重装備の兵列のような強奏が続き、もはや理解不能なほど滅茶苦茶な様相でした。ジェフスキも全然「コットン・ミル」には聞こえません(この曲にはアムランが機械のような正確さで「ゴトゴトガタガタ」と弾いたCDがあって、まさしくコットン・ミルにそのもの聞こえる名演なのです)。唯一、ラフマニノフ編曲もので見事な歌心を聞かせてくれました。結果的にはここだけ一流ピアニストの演奏で、あとはどれも疑問符の残るものだったのです。アンコールも聴衆に媚を売るナンバーを連発です。ノクターンと幻想即興曲は20年前と全く変わらない演奏で、「次のフレーズはこう弾くだろうな」という予想通りに演奏が進むので、思わず笑ってしまいました。Op.10-4は、端的に言って弾けていませんでした。

全体的な印象としては、表面的な演奏効果を追求するあまり、ハッタリばかりが目立ち内容の乏しいリサイタルだと思いました。ヴィルトゥオジティに満ちた表現をすれば聴衆は喜ぶと思ったら大間違いです。確かに喜んでいた聴衆も大勢いましたが、苦虫を噛むような顔をした人もいるわけです。そもそも小柄で手の小さい日本人女性が派手な演奏表現をするのは難しいと思います。中村さんの目指す方向性は、中村さんの身体と技術では表現できません。ご本人もそれがわかっているようで、椅子を高くセッティングして体重を乗せたフォルテシモを弾けるようにするなど工夫をしているのですが、結果として出てくる音色はガツンゴツンという手ごたえの、伸びのない金属的な響きになってしまいます。
いったい彼女はどこで勘違いしてしまったのでしょう。中村さんのお好きなホロヴィッツは、低い椅子に座り、指を伸ばしたタッチでレガートを駆使して美しい音色で歌うピアニストだったはずです。もう一つのホロヴィッツの魅力である鋭いフォルテシモは、パワーに頼った打鍵によるものではなく、指先の瞬発力を利用した速い打鍵の結果として得られたものです。筋力のない日本人女性があのような演奏を目指すのは無意味です。日本人と同じように小さな手と小柄な身体のアリシア・デ・ラローチャは、70歳を過ぎてもすばらしい演奏をいっぱい残しているのに。自分の好きな演奏が自分にできる演奏ではない、ということを教えられました。

 

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