ラヴェル ピアノ独奏曲全集 CD聴きくらべ

全集と銘打って販売されているCDを評価した。各項目10段階の50点満点である。点数表記すると客観的(あるいは絶対的)な評価のように見えるが、あくまでも私の主観でつけた点数なのでその点は留意されたい。要するに、私の主観による評価を尺度化して比較するための点数に過ぎない、ということである。なお、私の評価指針は以下の通りである…メカニズムはあまり重視しない、強弱・速度表現は重視するがテンポそのもの(指定テンポより速い遅い)はあまり重視しない、音色表現は重視し、アーティキュレーションや拍子感・リズムの表現をとりわけ重視する。なお、評価欄にある「演奏解釈」とは、アーティキュレーションや拍子表現、リズム表現のことであると考えていただいてよい。
ほとんどのCDに録音される下記の曲目を基本収録曲目として扱い、抜けやこれら以外の収録曲がある場合はコメントとして記述した。下記一覧に記載されていない作品や「ラ・ヴァルス」のピアノ独奏版は収録されない場合が多いので、それらを聴きたい場合はCDの選択に注意が必要である。

<基本収録曲目>

 ・グロテスクなセレナード

 ・前奏曲

 ・古風なメヌエット

 ・ハイドンの名によるメヌエット

 ・亡き王女のためのパヴァーヌ 

 ・高雅で感傷的なワルツ

 ・水の戯れ

 ・ボロディン風に

 ・ソナチネ

 ・シャブリエ風に

 ・鏡

 ・クープランの墓

 ・夜のガスパール


ルイ・ロルティ Louis Lortie 【決定盤】

 

<評価>

総合評価

48

 メカニズム

10

 強弱・速度表現

10

 音色表現

9

 演奏解釈

9

 録音状態

10

<データ>

 CD枚数

 2枚組

 レーベル

 CHANDOS

 商品番号

 CHAN X10142(2) 

 録音年

 1988年

 収録曲

 基本曲目+ラ・ヴァルス

 

テクニック的に極めて高度な完成度に到達しているピアニストによる全集である。技術面ではほぼ文句のつけようがない。ほとんどのピアニストが弾ききれずに減速してしまうパッセージもインテンポで弾きのける。作曲家自身の言葉より、ラヴェルのピアノ曲は基本的にインテンポで弾くべきであり、それを体現しているといってよい。また、このピアニストは強弱表現が非常に精緻なことが特徴で、楽譜に書かれたデュナーミク指示を神経質なくらい守っている。短いスパンで急激にクレシェンド/デクレシェンドする表現や、速いフレーズに付けられたエスプレッシーヴォ指示(くさび型の記号)も明確に聞かせるため、他のピアニストでは機械的に処理されやすいパッセージが有機的なうねりとなって聞こえてくる。従来のフランス流ピアニズムにロシア系ピアニズムが加わったようなタイプのピアニストのため、デュナーミクのレンジが広く、ドラマティックな表現が随所に見られるのも特徴である。音色表現はかなり現代的であり、ペルルミュテールやミケランジェリ、ホロヴィッツといったピアニストに見られる(19世紀ピアニズムの影響の)極端にくぐもった音質のピアニッシモなどは使われない。そのため、全体的な雰囲気はきわめて端正なものとなる。演奏においては常に統制が取れており曲の造形を乱すようなことは一切しないし、デモーニッシュな感覚の必要な部分でもそれほど深く攻めない。しかしそれゆえ、スペイン系の曲でのエキゾチズム表現が希薄で、醒めたような表情に見えることがある。初期の小品の弾き方にも、もう一つ工夫が欲しい。「グロテスクなセレナード」「古風なメヌエット」など、あまりにも楽譜どおりにストレートに弾きすぎて、即物的表現に聞こえなくもない。そのため、演奏解釈の部分で1点減点した。
録音状態がよく、美しい音色を存分に味わうことができるCDであるため、とりあえずラヴェルのピアノ曲をひととおり聴いてみたいという、ライトなリスナーや入門者の皆様にもおすすめである。


ジャン=フィリップ・コラール Jean-Philippe Collard 【メロウ系】

 

<評価>

総合評価

45

 メカニズム

9

 強弱・速度表現

10

 音色表現

8

 演奏解釈

10

 録音状態

8

<データ>

 CD枚数

 2枚組

 レーベル

 EMI Classics

 商品番号

 7243-5-86061-2-6

 録音年

 1977-78年

 収録曲

 基本曲目のみ

 

ひとつひとつのパッセージの弾き方、特徴づけが抜群にうまい。演奏設計が非常に緻密で、例えばテンポ設定は指定より遅いことが多いが、「このフレーズを、こういうアーティキュレーションで聞かせるのが最適だから、このテンポを採用した。」というような裏づけが感じられる。また、「夜のガスパール」などが典型的なのだが、旋律の区切りでかなりはっきりとしたブレスをとり、その前後でテンポを落としたりルバートする。これにより旋律の起承転結を含め、曲の構成の見通しも良くなる効果をもたらす。その反面、このような歌唱性の強いアーティキュレーションを多用することは作曲者の意図に反する場合もあり、リスナーの好みは別れるように思う。このピアニストは端正さを基調としつつもメロウな方向性や、センチメンタルな表情付けを好み、表現の端々に主観性を覗かせる。他の人がそっけなく演奏しがちな「グロテスクなセレナード」や「古風なメヌエット」といった初期の小曲に豊かなニュアンスを盛り込んでくる。スペイン情緒やギター風パッセージの処理、表現方法が鮮やかなことも特筆される。タッチの切れなどテクニック面においてロルティにわずかに劣る(同音連打がぎこちない箇所がある)が、ロルティでは手際が鮮やかすぎて物足りない、と感じる人にお勧めできるピアニストである。残念なのは、録音状態がいま一歩良くないことで、ことに高音のフォルテがヒステリックに響く場面が少なくない。音色表現があまりよく聞こえないのは、この録音状態にも原因がある。


ヴラド・ペルルミュテール Vlado Perlemuter (1973) 【端正系】

 

<評価>

総合評価

43

 メカニズム

7

 強弱・速度表現

9

 音色表現

10

 演奏解釈

10

 録音状態

7

<データ>

 CD枚数

 2枚組

 レーベル

 Nimbus Records

 商品番号

 NI 7713/4

 録音年

 1973年

 収録曲

 グロテスクなセレナードを除く基本曲目

 

ペルルミュテールはラヴェル本人から演奏解釈についての示唆を受けていることもあり、演奏解釈の点で相当に作曲者の意図に近いと考えられる。このCDは69歳のときの録音。スタジオ録音だがあまり細かな編集をしていないようで、打鍵しそこなった音などもそのまま残っていて、キズが皆無というわけではない。また、全体にくぐもった音質で、録音の分離も良くない(音響の悪いホールで生演奏を聴くような雰囲気がする)。演奏テクニック面では、打鍵・離鍵速度の点でロルティに及ばないが、年齢を考慮すると驚異的といってよい。特に同音連打系がうまく、テンポ以上のスピード感がある。また、意識的に打鍵速度を落として甘い雰囲気の音色を作る技術がうまく、音色表現の幅広さという点ではロルティを上回る。演奏解釈は、不要なテンポ操作を極力排したアゴーギクながら、十分に歌い方に気を遣った丁寧な内容である。清冽で折り目正しいフレージングの中に、ごくごくわずかに官能性や毒を覗かせており、デモーニッシュな演奏が好きな人にはやや物足りないのではないかと思うが、前述の通りこれはラヴェル自身による示唆の結果であると思われる。ペルルミュテールが校訂した楽譜が市販されており、細かな指示がたっぷり追記されているのだが、実はこの楽譜の通りに弾くとロルティの演奏になるように思う。正直なところ、「ロルティはペルルミュテールの演奏を参考にしたんだろうな」というところが見えるのだ。しかしペルルミュテール自身の演奏は、本人校訂の楽譜に書かれた注釈よりもいくぶんセンチメンタルな雰囲気が強まっており、69歳のおじいさんが弾いているとは思えない瑞々しい感性が魅力である。しかしこの瑞々しさは決して若々しいものではなく、豊富な経験と老獪な手腕をもとに、周到に設計され作り出されているはずである。この姿勢が実に憎らしいほどラヴェルの音楽の持つ性質と一致しており、これこそがペルルミュテールの演奏の最大の魅力といってよい。


ヴラド・ペルルミュテール Vlado Perlemuter (1955)

 

<評価>

総合評価

34

 メカニズム

7

 強弱・速度表現

8

 音色表現

7

 演奏解釈

8

 録音状態

4

<データ>

 CD枚数

 2枚組

 レーベル

 VOX

 商品番号

 CDX2 5507

 録音年

 1955年

 収録曲

 グロテスクなセレナード、〜風にを除く基本曲目

 

 +ピアノ協奏曲(両手、左手)を収録

1950年代の録音なので仕方のないこととはいえ、微妙な音色表現を聞き取ることなどは到底望めない音質である。いろいろやっているんだろうなあ、と想像しながら聴くしかない。テクニック的にも、Nimbus盤より多少メカニックがきちんとしているかな、という程度。演奏解釈的にはより客観的な視線が貫かれているが、スピード感の表現などではむしろ劣っているのではないかと思え、必ずしもプラスに働いていないように思う。Nimbus盤で聴ける「豊富な経験と、老獪な手腕をもとに作り出された」瑞々しい表現の方がずっと魅力的である。結論としては、音質の悪さをがまんしてまでこの盤を購入する意義があるとは思えない。


サンソン・フランソワ Samson Fransois 【酔いどれ系】

<評価>

総合評価

35

 メカニズム

5-7

 強弱・速度表現

7

 音色表現

8

 演奏解釈

7

 録音状態

7

<データ>

 CD枚数

 2枚組

 レーベル

 EMI Classics

 商品番号

 7243-5-75437-2-9

 録音年

 1967年

 収録曲

 グロテスクなセレナードを除く基本曲目

 

難所になると突然減速することが多い上に、比較的難易度の低い曲(古風なメヌエットなど)においても怪しい指運びを見せる。録音なのでやり直しがきくはずだが明らかなキズもたくさんある。かと思えば、そこそこの切れ味を見せる演奏があったりと、テクニック的な不安定さを伺わせる。演奏解釈のムラはさらに大きく、官能的ともいえるパッセージ表現が出てきてさすがフランソワと思えば、随所に感情制御ができないようなフォルティッシモが表れて首を傾げることになる。装飾音などのディテール造作も甘いことが多い。…などなど、とにかくバランスがよくない。以前のフランソワであれば、ハイセンスな方向性でまとめたはずである。おそらくこの時期には、すでにピアニズムが破綻をきたし始めていたと思われる。「酔いどれ系」と総括したが、アルコール中毒に陥るにはそれだけの苦悩なり背景があったはずだ。しかし、今となってはもう誰も真意はわからない。以上のごとき演奏のため、現代的なピアニズムを好む人には、ほとんど拒絶といってよい扱いを受けるCDとなってしまった。音質も良くないので、フランソワのファン以外にはおすすめできない。
私としては、このピアニストの人生の終幕を予感し、複雑な感情を抱かざるを得ないCDとなっている。1950年代終盤に録音したショパンの曲集ではまったく隙がなく、それでいて懐の深い完璧なピアニズムを聞かせていた人なのだ。いったい何がこのピアニストを狂わせてしまったのだろうか。フランソワが亡くなるのは、この録音の3年後のことである。


アブデル=ラーマン・エル=バシャ Abdel Rahman El Bacha【安全運転】

<評価>

総合評価

40

 メカニズム

8

 強弱・速度表現

8

 音色表現

8

 演奏解釈

7

 録音状態

9

<データ>

 CD枚数

 2枚組

 レーベル

 TRITON

 商品番号

 EXCL-00015

 録音年

 2007年

 収録方式

 SACD Hybrid

 収録曲

 基本曲目+メヌエット

テンポを落としてコントロール重視の安全運転をしています、ということがはっきりわかる。完成度は高いし感心もするが、果てしなくつまらない。エル=バシャは恣意的で大袈裟な演奏表現を嫌うタイプのピアニストで、余計なアゴーギク操作を極力排除するスタイルを貫いてきた。このスタイルはラヴェルの音楽との親和性が非常に高く、事実Forlaneレーベルから出ている1994年の録音などは文句のつけようがないほど素晴らしかった。だからこそ、このCDはつまらない、と言いたくなる。テンポを落としたおかげで安定性は向上したものの、瑞々しさや生命感は失われ、冷たくよそよそしい演奏になってしまった。2つの録音の違いは、おそらく本人にとってはわずかである。しかし聴く側にとっては、別人のように思える。
テンポを落としたことで、打鍵や離鍵の速度まで落ちてしまったのではないか、と推測する。演奏難易度が低く指定テンポで弾いている曲のタッチ速度と、意識的にテンポを落とした曲のタッチ速度は明らかに違うように思える。タッチの速度が落ちることでスタカートやパッセージの終わりの音価が微妙に伸び、独特の重さを感じさせる。さらに、跳躍して次のパッセージに入るときに「よっこらしょ」までは行かないものの、一瞬の溜めが生じる。このような溜めはベートーヴェンやブラームスでは好ましいのだが、ラヴェルでは弊害にしかならない。タッチの切れのなさは、物理的なテンポの遅さよりも重大な問題となる。軽さの要求されるパッセージをいかに軽やかなタッチで颯爽と弾きのけるかがラヴェル演奏の成否を左右することを示したCDといえる。


アレキサンドル・タロウ Alexandre Tharaud 【爆発系】

<評価>

総合評価

48(参考値)

 メカニズム

10

 強弱・速度表現

9

 音色表現

10

 演奏解釈

0〜10

 録音状態

10

<データ>

 CD枚数

 2枚組

 レーベル

 harmonia mundi

 商品番号

 HMC 901811.12

 録音年

 2003年

 収録曲

 基本曲目+メヌエット、パレード

 

演奏解釈がかなり極端なため、好みが分かれると思われる。ロマン的であり、主観的であり、劇的。アルゲリッチのような(というより彼女以上の)爆発的な感情の噴出が随所に見られる。ジャケット写真の端正なルックス通りの演奏家という先入観を持っていると、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受ける(それは私だ)。さすがにアルゲリッチのようにテンポが一定しないということはないが、それでもアゴーギクはかなり自由で、ラヴェル演奏としては異色と言える。私は実は嫌いなタイプではなく、演奏解釈に9点くらい付けたい。よく聴くとペルルミュテールがやっているようなフレージングの模倣もあり、決して情熱に流されて弾いているわけではなく、しっかりとした演奏設計に基づいている。しかしここまで感情的な演奏は許容できない人もいると思われる。なお、収録順は独特。通常は作曲年代順に収録するが、この人は独自の美意識があるようで「シャブリエ風に」「夜のガスパール」で始まり、「ボロディン風に」で終わる。「ガスパール」があまりに激情的でびっくりしているうちに、絶妙な曲配列に飲み込まれてしまう。心憎いばかりのプロデュースである。演奏テクニック面は極めて高い。メカニズムはロルティ並だが、フォルテの音量はこちらの方が一段上のように思う(果たしてそこまでの大音量が必要か、という問題は別にして)。アーティキュレーションはくっきり演出するタイプで、リズミックなパッセージの特徴づけにも強いこだわりを感じさせる。
やや残響の多い録音だが音質そのものはものすごく良く、距離感に差のある音色を使い分ける状況がしっかりわかる。ラヴェルが楽譜に記した「遠くから聞こえるような音色」を実感できるCDは、あまりない。なお、この人の名前は「タロー」表記が一般的だが、「タロウ」と書くとウルトラマンみたいでカッコいいので、本ページではこの表記を採用する。
嬰ハ短調の「メヌエット」と「パレード」はこのCDが世界初録音である。後者はこのCD以外ではほとんど聴くことができないと思われる。


ジャン=イヴ・ティボーデ Jean-Yves Thibaudet 【あたしはあたし】

<評価>

総合評価

49

 メカニズム

10

 強弱・速度表現

10

 音色表現

10

 演奏解釈

10

 録音状態

9

<データ>

 CD枚数

 2枚組

 レーベル

 DECCA

 商品番号

 433 515-2

 録音年

 1991年

 収録曲

 基本曲目のみ

自信満々なこの表情がすべてを物語る(笑)→ 

録音がいまひとつで音色の美しさを再現しきれていないことくらいしか文句を付けることがないCD。ティボーデは技術はすごいけど機械的で感情表現が乏しいと言われ続けてきたが、このCDは自分の想いをかなりストレートに弾いている。その理由はとても単純だ。発言やライフスタイルから推測するに、ティボーデはラヴェルの生まれ変わりのような人だ。美意識の高さやこだわり、強烈なプライド、愛国主義的精神など、あまりにも共通点が多い。違っているのは、アホみたいに高度なピアノ演奏技術と、モデル並のスタイル&ルックスくらい(これらはラヴェルがどうしても手に入らなかった!)。ともかく自分自身で作ったような曲を弾くのだから、難しいことは何もない。初期の不器用な小品も極上のセンスで磨き上げる。しなやかに甘く歌ったかと思うと、突然よそよそしくなってプイっと去ってしまう。猫のような魔的な魅力を持つピアニズムである。具体的には、1つのフレーズの中でアーティキュレーションのニュアンスや音色を変化させている。技術的にも高度だが、それ以上に音楽的な説得力や構成感を壊さずにディテールを作りこむバランス感覚が重要である。さらに、左ペダルをめいっぱい使ったくぐもった音質のピアニッシモ、ポリフォニーを異なる音色で表現する手法など、伝統的な技法を使いながら、圧倒的な完成度のメカニズムで現代的なラヴェル表現にも成功している。全体としては、孤高の表現、孤高のピアニズムなので(本人はマリー・アントワネットような人だし…)、苦手な人もいるかもしれないが、ここまで自分自身を表現しているティボーデも珍しく、その点で彼の代表的録音といってよい。発表当時は「道化師」の超高速同音連打が話題になったようだが、実はもっと切れ味鋭く弾けるけれども、あえてやや甘めにまとめたのではないかと推測している。ピアニッシモにおける音色、一度踏み込んだ右ペダルを離しながら作る独特の音響、ソステヌート・ペダルの多用による他のピアニストでは全く聞くことができない世界など、高度な技術が作り出す音の綾を堪能したい。こういう人をピアノが上手い人という。


パスカル・ロジェ Pascal Roge 【かつての決定盤】

<評価>

総合評価

40

 メカニズム

9

 強弱・速度表現

9

 音色表現

8

 演奏解釈

7

 録音状態

7

<データ>

 CD枚数

 2枚組

 レーベル

 DECCA

 商品番号

 440 836-2

 録音年

 1973-74年

 収録曲

 「グロテスクなセレナード」を除く基本曲目

 

 +マ・メール・ロワ

ロルティ盤が出るまではこの録音が定番だったと思われる。特にメカニズム面では当時のピアニストとしては非常に高い水準にあり、現在のテクニシャンと比較しても遜色ないレベルといえる。しかし例によって録音状態が悪く、多彩なピアノの音色のごく一部しか捉えられていない。微妙な音色表現をしたであろう「絞首台」などは、全編が単にモゴモゴした音質のピアニッシモに成り下がっていて、大変な損をしている(音質が良ければ総合評価も+3〜4点くらいになりそう)。演奏解釈はメロウでセンチメンタルな表現を重視する方向性にあり、常に流麗ではあるがやや輪郭が甘く、ソフトフォーカスで捉えているような印象がある。付点音符やシンコペーションなどのリズム表現が中途半端なことと、アーティキュレーションの表出が弱いことが原因である。アーティキュレーションの不明瞭さはこの世代のフランスのピアニストに広く共通する欠点で、現在でも同国の中堅どころのピアニストに同じような弾き方が受け継がれているのは由々しき問題であると思う(ルイサダはじめ世界的な名声をもつピアニストにはこの欠点がない)。とはいうものの、世界中のピアニストが同じような弾き方をする状況も面白くないし、このCDで聴かれる独特な弛緩した雰囲気や、適度な緊張感をもった上での物憂げな気だるさといった特性を、他のピアニストでは得がたい魅力と感じるリスナーもいるだろう。世間的には評価の高い録音であるようだが、前述のように私はアーティキュレーション表現を重視するので、その点が甘いロジェの演奏はどうしても許容しにくいところがあり、やや厳しい評価となった。このピアニズムの方向性はラヴェルよりもドビュッシー向きである。
なお、「マ・メール・ロワ」はデニス=フランソワ・ロジェとの連弾である。


<改訂履歴>
2009/03/08 初稿掲載。
2009/03/21 フランソワ、エル=バシャ、ティボーデ、ロジェを追加。

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