亡き王女のためのパヴァーヌ

1.総論
「古風なメヌエット」に次ぐピアノソロ作品である。1899年作曲なので、前作から4年も経過している。その割に音楽的な進歩はあまりなく、作曲者の停滞を示すものとなっている。ところが、この曲は出版されるやフランス中で大人気となり、一躍ラヴェルは人気作曲家の仲間入りをしてしまったから、皮肉なものである。特に若い女性に人気を博したそうである。100年経っても相変わらず女性受けの良い曲ということに関しては恐れ入るばかりだ。この件に関してはラヴェル自身も思うところがあったようで、後に自ら「シャブリエの影響があまりにも明らかであるし、形式もかなり貧弱である」という評価を下している。たしかシャブリエのスタイル(特に「牧歌」)を借用しており、ノスタルジックな叙情性などはそのままこの曲に反映しているといってよい。また、ラヴェルの言うように形式面での工夫は皆無である。しかし自作をここまで貶すというのも、面白い。もっとも、ラヴェルの人生はこの手の逸話だらけだ。この曲に関しては、大ヒットした気恥ずかしさもあったとは思うが、他人に言われる前に自分で言ってしまうことで巧みに批判を回避したと考えられなくもない。
さて、この曲のどこがポイントなのか。それは旋律である。ラヴェルは、旋法的なメロディに対し主調をはっきりさせない和声を組み合わせることで、古典的な和声進行に縛られない独特な浮遊感をもった音楽を作りたいと考えていたようであるが、この段階までは成功していなかった。そこで、旋法と和声の両立はひとまず保留して、旋律に注力したのである。絶妙な感傷性を有する主旋律と、それをひっくり返したような音列の副旋律。まるで時空間を鏡で映したかのような均整の美であり、センチメンタルな印象を超越したこの曲の魅力となっている。
晩年、記憶障害(いわゆる認知症とは異なり、知能の低下を伴わないものだった模様)に悩まされたラヴェルは、この曲を聴いて「とても美しい曲だ。しかしいったい誰が作ったんだろう。」と語っていたそうである。これこそ作曲者自身がこの曲に下した真の評価ということに疑いはあるまい。

2.構成
[A-b-A']-B-A''の3部形式。3回繰り返されるAの主題提示は、その都度音型の拡大と細分化がなされている。bとBは「非常に遠くから」と指示され、距離感の違いを際だたせる。これにより、近景(A)-遠景(B)が交互に現れる輪舞といったおもむきが表出される。

3.細部分析

(1)冒頭部分

冒頭部分を譜例で示す。
ショパンの「別れの曲」に似ていると見る人も多いようだが、ショパンで特徴的だったシンコペートされた左手の動きはなく、むしろリズム面では平坦化している。ポイントはバスの動きに対応する旋律の倚音群で、これがあるからセンチメンタルな雰囲気をもたらしている点は十分に意識すべきである。便宜的にコード進行を書き入れたが、G-major(ト長調トニカ)で開始してすぐCmaj7(属7)、Hm→Em9(属9)といった和音の響きが出てくる。3小節目などは最初から旋律音が属9を打ち鳴らし、緊張度を高めている。しかし音符の並びは平易そのもの、シンプルである。
この曲が人気の出た原因は、思わせぶりな表題と冒頭の6小節にあるといっても過言ではない。しかし和声的にはそれほど複雑なものではなく、ラヴェル自身が「いや、この曲はそんなに大したものではありませんから」と謙遜する気持ちも理解できなくはない。なお、属7、属9の響きは次回作の「水の戯れ」の核となるものである。結果論とはいえ、ラヴェルはこの曲の冒頭でちゃっかりその和音を使って演奏効果を確認したことになる。

(2)b/B部


上記はb部である。
Tres lointain=非常に遠くから。旋律表現に距離感を求める指示で、ラヴェルのピアノ曲では頻出する重要なキーワードである。ただし、この部分の和声は2度のぶつかりなどこの時期のラヴェルの手癖といってよいもので、「古風なメヌエット」からあまり進歩していない部分である。コラールに乗った祈りの旋律のように聞こえるが、左手がペダルポイントで完全に静止している点は重要である。2小節単位に3回繰り返したあとで、バスを大きく動かすことによって一気に曲想を浮遊させる。この部分は毎回少しずつ和声が変化する、重要なパッセージである。

4.演奏について
ポリフォニックな書法になっているので、各声部の音量を十分に注意する。2度目、3度目のA部で出てくる右手の幅広い和音の最低音は左手で取る。下記のペルルミュテール編の楽譜を参照のこと。

うまく取れない場合は、あえてこの音を弾かなくてもかまわないだろう。演奏効果はほとんど変わらず、聴いている人には省略したこともわからないはずだ。
「亡き王女のためのパヴァーヌ」のすべての音符を楽譜どおりに弾いた場合の難易度は、ショパンの「別れの曲」と同程度で、聴いたイメージ以上の相当な難曲である。ツェルニー30番を終了した程度の腕前では歯が立たないだろう。和音を省略することで難易度が下がり、初〜中級者でもスムーズな演奏が可能となる。

<改訂履歴>
2009/04/25 初稿掲載。

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