進化論でハッピーになれる?
〜 「進化論と周辺諸分野の対話(佐倉)」を聴いて 〜


「人間の進化的理解」研究会 第7回
  日時: 1998年 1月 25日(月)18:30〜20:50
  場所: 東京大学 駒場キャンパス 3号館 209
  演者: 佐倉 統 (横浜国大)
  演題: 進化論と周辺諸分野の対話


今回はとても刺激的な会でした。いろいろと考えました。
一般人に近い参加者が感じたこと、という意味あいでのコメントです。

> 佐倉さん:
> ●なぜ社会的進化論は失敗してきたか?
> ドイツやアメリカやスウェーデンや日本で、優生法はあった。
> それは今は施行されていない。(という文脈)
> 質問:
> 「失敗」とは何か?

空想してみる。ドイツが戦争に勝ち、優生法が継続する。
すると、遺伝病はなくなるし、みな健康で長生きで、そのうえ美しい。 そんな世界もありうる。そこではみんなハッピーだ。

ちょっと待って。 倫理の話をするには、ハッピー/アンハッピーの共通認識を 決めないと進まない。結局みんなはどうなりたいの?

「ハッピー」とはなんだ?
 ・自分が健康
 ・健康で美しい配偶者
 ・自分の子供が健康に産まれ、健康に育つ
これは進化的心理学的に妥当と思う。大多数が同意するだろう。
だから時には法律にもなってしまう。

「アンハッピー」とは?
 ・自分は生きたいのに、生きられない
 ・自分は子を残したいのに、子を残せない
 ・自分の子が不健康に産まれた
これも進化的に妥当な感じ方(ハッピーを裏返しただけ)。

進化論、遺伝学はこのハッピーとアンハッピーに橋をかけて、 どっちか選べ、とやってしまうわけです。
大当たり! の少数の人は、次のような状況に直面する。
 ・子供を作ったら、君の遺伝病が遺伝するよ。
 ・その子を育てるのは大変だし、
 ・この先、孫にもひ孫にもずうっと受け継がれてゆくよ。
 ・それでも子供が欲しいかい?

その少数の葛藤苦悩を、大多数の周りの人々が自分のアンハッピーとして リアルに感じることができるか? 多数決、民主主義の社会では難しそう。

一般の人は、自分がハッピーになりたいと考えているだけで、(進化論や 遺伝学を理解できなくても、語り口がどうであっても、)進化論の成果を 利用してハッピーに近付けるのが確からしいなら、使うよ。
昔と違うのは、科学の進歩で「より正確で精密に」予測できるということ。 「正しい」かどうかはわからない。「より正確」になった。

歴史的に科学は「知り尽くす」方向にしか進まないのなら、これからは 「全部知ったうえで本人が判断する」という方向に 行くしかないのではないか。
優生法で「強制的に」排除された 50 年前よりはマシだという意味で、 「本人が選択できる」という点で「アンハッピー」を和らげるしかない?

それとも知らない方がハッピーか? それなら科学を止めなくては。

優生法で有害遺伝子が集団内から排除されるまでのしばらくの間、 適用された人々(やその周囲の優しい人々)はアンハッピーと 感じることでしょう。
しかしその後に長期に続くハッピーな世界。

しばらく我慢して、あとでハッピーなほうを選ぶか、それとも、 ずっとちょっとづつアンハッピーな方を選ぶか?
( EQ が高いと前者を選ぶらしい。)
これは微妙な選択で、優れた「語り部」が現ればどっちに転ぶかわからない。


あるいは、上記のストーリーはどこかで大きく間違っていて、
 ・有害遺伝子を排除すると、大多数を排除しなければならなくなる
 ・有害遺伝子を排除することは理論的にできない
 ・有害遺伝子を排除しても、誰もハッピーにならない
 ・ある程度の有害遺伝子は必要なのだ
とかいうことがあるのでしょうか?


参考文献:「進化論の挑戦」佐倉 統 著 / 角川書店 1500yen / 1997


1998/01/26 T.Minewaki

生命のよもやま話
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