「分子進化の中立説」で有名な木村さんが亡くなりました。

<< 朝日新聞 1994/11/14 夕刊 >>

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■ 遺伝学の世界的権威   木村資生氏死去  遺伝学の世界的な権威で、国立遺伝学研究所名誉 教授の木村資生(きむら・もとお)氏が十三日午前二 時五十五分、頭がい内出血のため、静岡県三島市内の 病院で死去した。七十歳だった。葬儀・告別式は、十 六日午後一時から静岡県沼津市下香貫前原一四九五の 一のセレモニーホール沼津で。喪主は妻弘子(ひろ こ)さん。自宅は三島市清住町七の二四。  木村氏は十三日未明、自宅廊下で転んで頭を打ち、 救急車で運び込まれた。この日が誕生日だった。  木村氏は愛知県岡崎市出身。一九四七年、京大理学 部を卒業、三島市にある国立遺伝学研究所に入った。 日本遺伝学会会長などを歴任、八四年に同研究所教授 になり、八八年に退官した。  六八年、分子レベルでの進化は突然変異が種内に蓄 積した結果であるとする「分子進化の中立説」を発 表。ダーウィンの自然淘汰(とうた)説に反するとし て、国際的な論争を巻き起こしたが、遺伝学の進歩に よって現在ではこの説が定着している。  六八年に日本学士院賞、七六年に文化勲章、八七年 には朝日賞を受賞。九二年には日本人として初めて英 国王立協会からダーウィン・メダルを受けた。 ・「進化」で偉大な功績  飯野徹雄・早大人間科学部教授(遺伝学、東大理学 部名誉教授)の話 生物の進化というテーマを遺伝子 のレベルにまで広げ、数学的な手法を取り入れた「分 子進化の中立説」を提唱した功績は偉大だ。遺伝学の 第一人者であり、国際的にも注目されていた人を失 い、残念だ。指導は厳しかったが、弟子をかわいが る、面倒見のいい人だった。
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T.Minewaki / minew@post.email.ne.jp