主婦が見てきたホイスコーレの学び
Ryホイスコーレ
大河原 啓子

 ある時、デンマークには日本と違う教育制度、たくさんの選択肢がある、というのを知っていつかこの目で見てみなくてはと思っていた。

 それから数年後の2000年8月29日、とうとう現実のこととなり、4ヶ月間デンマークのリュ・ホイスコーレで過ごした。

  12月23日帰ってきてみれば、50歳になったただの主婦が、4ヶ月も単身で外国に行ったからにはなにか形なるものを持ち帰らないなんて考えられない、とでもいうように「そこで何を勉強してきたの」ときかれる。予想はしていたものの、「学校」といえば何かを学んできて当然といわんばかりの質問に、複雑な気持ちになっている。

  リュ・ホイスコーレに暮らして、ここの学生、教師、その他の運営に関わっている人々を通して、デンマークの人たちの暮らしのほんの一部分を見せてもらい、私はそれで十分満足している。しいて何かを学んだと言わなければならないとすれば、自分を見つめること、自分を好きになる方法ということになるだろうか。ここで、自分のこれまでと、これからの人生をしにじみと考えたことは確かだから。

 リュ・ホイスコ―レは、ユラン(ユトランド)半島にあるオーフス(デンマーク第2の都市)から列車でおよそ20分のリュ駅のまん前にある。森と湖にかこまれたちいさな町にすっかり溶け込んだ佇まいは、親しさというか不思議な懐かしさを感じさせる。学生はおよそ70人。20代がほとんどで、10代が数人、あとは30代、40代、50代、60代がそれぞれ1・2人。全寮生活だが自由時間はタップリあり、ろうそくの明かりを囲んで歌ったり語ったりする時間をとてもたいせつにしていた。

 どんな人たちが来ているのかというと、人生の立ち止まりの時間をここで過ごそうという人たちということになろうか。例えば、教師志望のステファン、彼は大学に行く前に、たくさんのことを経験しておきたいのでという。看護婦の卵のキヨストンは病人の気持ちがわかるようになりたいと、自分を見つめなおすためにやってきた。26歳のへリングは失業中、自宅から遠い職場に配属になったため退職したとのこと。つぎの仕事を探す前に好きな音楽をやってリフレッシュ。外国暮らしの長かったハリー、ヘンリー夫妻はリタイヤ後は故国デンマークで暮らす予定、そのための慣らしときいている。

  音楽、政治、ジャーナリズム、ドラマ、自然探訪、絵画、などから好きな科目をいくつか選ぶのだが、それらを学びながら自分のこれからを考えるもよし、たんなる楽しみでもよし、とにかく自分の納得できるやり方ここでの共同生活を送ることが目的といえば目的だ。

 授業は原則としてデンマーク語なので、語学的ハンディのある私は絵画、料理、自然探訪・観察などを選択した。デンマーク語の授業はかなりたいへんではあったが、寮の仲間に助けてもらい、このことを通じてお互い日々のつきあいをより親しいものにしたと思う。

 どの科目も実に身近に感じ、手応えがあるというのか、自ら学んでいるという実感がここちよい。試験というものがないせいだろう。例えば料理、先生はここの食堂のコック、厨房での実習はその日の夕食、約100人分を作る。ぜひと請われて寿司を作ったときはさすがに緊張した。寿司飯が上手く炊けなかくて失敗したら100人分の夕食がないと思って。また他の学生約10人にどう説明して作ってもらえばいいかと考えて。

 討論の時間も例外ではない。9月28日に欧州単一通貨のユーロ参加・不参加を問う国民投票があった。国民は不参加を選択したが、ここリュ・ホイスコーレでも開講直後、投票直前、時間を延長して参加派・不参加派が議論していた。もちろん彼らの多くが投票権(18歳から)を持っているのだから当然なのだが。結果が出た後もそれで終わりとしないのは感心した。この結果が当然世界に驚きをもって伝えられた事を知ってか、このあと、10月24日に修学旅行の一環でスロベニアの新聞社を訪問したとき、同国のジャーナリスト達とユーロについて討論している。

 また11月のある日、絵画の先生と60代の学生と私の3人で喫茶店に入ったことがあった。そこでもいつしか二人がこのユーロをテーマに話はじめていた。本当に政治が身近なのだ。日本よりたくさんの税金を払っているからかもしれないが、人任せにしない人たちだと思った。

 このようにして社会を見る眼が養われていくのか。学ぶということは、「how」に始まる知識の獲得ではなく「why」という疑問の解明で、そこが日本の教育と違うところだと、あるデンマーク人に言われたが、なるほどと思った。

 かれらは本当に良く話し合っていた。話すのが好きだからパーティーが好きなのか。とにかくよくパーティーを開く。ここでも毎週末決まってパーティーだった。さすがに毎回参加するのはタイヘンだが、自分流の参加の仕方がわかれば、お金をあまりかけない、気軽なデンマーク人流パーティーは悪くない。私の誕生日も手作りでステキに祝ってもらった。

 都会では百円ショップやマクドナルドもあり、食べ物を簡単に捨てたりするのを目にしたこともある。表面的にはここの若者たちも日本の若者と違わない気もしないこともない。がやはりどこかゆっくり贅沢な時間を過ごす彼らを見ていると、日本人がなくしてしまった大切なものをまだ持っていると感じる。

 さて日本に帰ってデンマークの土産話をしゃべりまくる私に、ある日娘が言った。「初めて劣等感というものを感じたよ」と。こんなに自分らしく生きることをサポートする社会システムの国に生まれた若者をうらやましいと思ったというのだ。

 ほんと、私もうらやましいと思う。政治も教育も大混乱の日本に居ると、デンマークのような国は夢のような気もする、しかし存在するのだ。時がたつほどにデンマークでの4ヶ月がはっきり思い出されてくる。