暖かい受容的な雰囲気に導かれて
関西の会
関西の会での語らい
(2000年5月)
野末 雅寛(京都市)

協会との出会い

 グルントヴィ協会の受容的な雰囲気に甘えて、自己紹介するときにはいつも以下の個人的な経験からお話しさせてもらっています。必ずしも前向きで心地よいお話ではないのですが、これも協会のみなさんが素晴らしい雰囲気(「ヒュッゲな雰囲気」と呼べば適切なのでしょうか)を作り出してくださっていて、そんなみなさんのことを信頼しているからです。

 私がグルントヴィ協会と出会ったのは、インターネットの上においてでした。98年の12月頃であったように記憶しています。当時の私は精神的な病に苦しんでいて、世の中とのつながりは全くと言っていいほど途切れていました。部屋に引きこもりつつも、何とか外界との交流を持ちたいと私自身の個人ページを開設した頃でもありました。

 「野末雅寛のホームページ」http://member.nifty.ne.jp/nozue/

 大学院という教育機関において自分自身が表現する言葉がなかなか受け止めてもらえず、深く傷ついたという経験を抱えての出会いでした。大学院に対して抱いていた夢が実現できなかったという悔しい思いがあり、それをわずかながらでも実現できればと教育に対する夢を抱いていました(現在進行中です)。

 それで、自身の夢を叶えられる上で参考になるアイデアはないものかとインターネットで検索しているときに、グルントヴィ協会のホームページと出会ったのでした。これは私自身のアイデアにかなり近いと思い、直ちにメーリングリスト(電子メールを用いた会議室のようなもの。なお現在協会のメーリングリストは休止中)に入会しました。

 メーリングリストに入会してしばらくするうちに、政治的・社会的事柄についても話し合われることが多いにも関わらず、相手の「生きた言葉」を受容する気持ちに富んだ暖かい雰囲気が満ち溢れていることに驚きました。これはとても良い協会であると確信して、すぐに協会にも入会することに決めました。

 その後も必ずしも、特に99年は私自身は好調であるとはいえなかったのですが、それでも絶えずメールボックスに入ってくるみなさんの暖かいやり取りを見ていて、社会から切り離されていた私自身が現実に力強くつながってくるような、そんな実感に満たされてきました。年に2回発行され、みなさんの心強い実践を伝えてくれるこの会報も私を勇気付けてくれたことは言うまでもありません。

 これこそが文字通りの「ネットワーク」なのでしょうか。私自身の病を癒してくれた一つの理由であることは間違いありません。もちろん協会の活動はセラピー(癒し)を主眼に置いてはいないのですが、そのような効果を私にもたらしてくれたのは実に不思議なことです。臨床心理学をはじめとして、セラピーについての研究も多種多様試みられているのですが、「生きた言葉による対話」で社会に対する思いを紡ぎ合う協会(あるいはホイスコーレ)の趣旨は、日置ホイスコーレのような素晴らしい実践がありますが、まだ主流としては取り上げられていないようで、とても残念なことです。

 さて、その網の目に掬われてか、もちろん私自身の体調がよくなってきたこともあるのですが、2000年になった頃から、ぜひとも実際に協会員のみなさんにお会いしてみたい、そう願うようになりました。そして、4月の桜咲く季節に福岡県宗像市で開催された春のセミナーに参加することとなったのを皮切りに、5月の関西の会、12月の関東の会に立て続けに参加することができました。この他にも、協会員の方々といろんな場所で出会う機会がありました。今まで自分の部屋に籠もっていた分そのエネルギーが弾けて、私を「全国制覇」に誘ったのかもしれません。おそらくは、みなさんの暖かい受容的な雰囲気に導かれてのことなのでしょう。そこでの協会員の方々との出会いはとてもすばらしいものでした。

宗像でのセミナー
宗像での春のセミナーでの花見
(2000年4月)
宗像(福岡県)での春のセミナー

 まずは福岡県は宗像市で開かれたセミナーに参加したのですが、同じ福岡県の筑後地方にある大牟田市は私が3ヶ月の療養生活を送った地でもあり、再訪という親しみの気持ちを持って同じ福岡県まで気軽に足を運ぶことができました。

 その療養生活を送っていたときにも強く印象に残っていたのは、やはり大陸との距離の近さです。大陸からのニュースが頻繁に入ってくるという外面的な事情についてもそうなのですが、内面に広々としたもたらしてくれたのが強く印象に残っています。お隣の熊本県にある阿蘇山などのような茫漠たる牧歌的風景などはまさに象徴的で、こまごまとした箱庭的風景に見慣れている、北陸出身で京都在住の私にとっては大陸の大らかな雰囲気が感ぜられて、ずいぶんと鬱屈とした気持ちが和らげられた好ましい記憶が残っています。

 今回の再訪でその思いを確かにすることができました。とても大らかな雰囲気で、異邦人の私をみなさんが私を暖かく受容し歓迎してさったからです。在日コリアンのイ・ヤンウさんからは、堂々たる体躯から振り絞られ、それでいてしみじみ心に染み入るよい歌を聞かせてもらいました。これもまた私に大陸の風を届けてくれました。

 また、夜の飲み会は、そんな豪快な九州の人たちの集いらしく大いに盛り上がり(それでも例年に比べるとおとなしかったらしいですが)、「あぁ、やはり九州にやってきたんだなぁ」と感慨に浸っていました。そのカオスのような空間は、少なからぬカルチャーショックとともに少なからぬ生気を私に与えてくれました。「生きた言葉」が飛び交う空間は、やはりメーリングリストにおける雰囲気と変わらずありました。

五月晴れの関西の会

 桜が咲き乱れた宗像でのセミナーの次は、爽やかな五月晴れに恵まれた関西の会に出席しました。宗像でのセミナーと違って、穏やかな陽光に照らされていた気候に呼応して、そしてまた、会場「エコハウス」を提供してくださった家主である辻正矩さんのお人柄に呼応して、実にのどかで落ち着いたひと時を過ごすことができました。これもまた、私がメーリングリストで感じ取っていた雰囲気の一つです。

 そんな穏やかな雰囲気の中では、宗像でのセミナーとは違った一つの表現媒体がありました。それは、みなさんが持参される「食べ物」です。どの食べ物にも、みなさんのお人柄や地方色などが表現されていて、とても美味しかったと同時に快かったです。中でも特に、名古屋からいらっしゃった宮沢さんが有機農産物だけで作られたサンドイッチを用意してくださって、諏訪からいらっしゃった藤森修一さんが名代の「塩羊羹」を持ってきてくださったのが印象に強く残っています。

 このようなコミュニケーションによって満たされている間、ふと、ドイツ語の「ペルゼーンリッヒ」(persoenlich)という言葉を思い出しました。英語のpersonalとも意味が重なっていて、贈り物にその人らしさが表れているというときに積極的な意味合いで使われる言葉です。その人らしさを食べ物に託して、ありのままに表現し合い受容し合うという関係も、「生きた言葉」を交わし合うことを尊重するグルントヴィ協会らしいコミュニケーションなのかもしれません。

東京の会
東京の会でのオイリュトミー
(2000年12月)
調和にあふれた東京の会

 清和のホイスコーレや、唐津のホイスコーレには残念ながら参加することはできず、次は関東の会に参加することとなりました。それは、やや気ぜわしい師走の時期でした。進行役の方々が整然と会を進めていて、それでいて個々人の主体性は尊重されていて、これもまた九州や関西と異なった雰囲気を感じさせてくれました。

 宗像でのセミナーがカオス(混沌)であるとするならば、この日の関東の会では整然としたコスモス(宇宙)を体験することができました。この日のワークショップの講師の一人である宇佐見陽一さんがオイリュトミーへと誘ってくださいましたが、それこそがまさにコスモスへの誘いでもあったのでしょう。五芒星形や円形をともに描く(フォルメン)ことによってコスモスへの思いを馳せ、各々がそのコスモスの中での不可欠な一構成要素として個性を失うことなく周りとつながっている、私はそんな認識を持ちました。宮沢賢治の言葉を借りれば、「因果交流電燈」に灯る「ひとつの青い照明」であることへの気づきということになるのでしょうか。

 いずれにせよ、このコスモスとしての一面も協会が持っている魅力で、清水満さんがよくおっしゃる「ゆるやかなアソシエーション」とも重なるのかなぁ、と漠然と思っています。五芒星形や円形はとても美しい図形ですが、それ自体に拘束されることなく一人一人が主体的に独立した関心を持ち寄って、その美しい理想を目指して和気あいあいと協力しあっている。協会のそんな風景がとても私の心を和ませてくれますし、事実、協会のエネルギー源となっているのもこの暖かさにあるのではないかと私は推測しています。

 師走の東京の寒空の下、美しい星に導かれて21世紀への新たな指針を与えられた喜びで、私の胸の中にほのかな暖かい希望の明かりが灯ったようにも思われたのは、まさしくグルントヴィ協会が持っているこの暖かさのおかげなのでしょう。

 以上、ずいぶん長い文章になりましたが、まずは私自身と協会との出会いを通して、次いで三つの地区の集会に参加したという得難い体験を通して、協会に魅力について紹介させてもらいました。3月に開催される名古屋の集会に参加できれば、またこの協会に対する認識が深まることになるのでしょう。

 「牛の涎」のような文章になってしまいましたが、これもまた、協会のみなさんに大切にしてもらったことへの感謝の気持ちからです。全てのお名前を挙げることはできませんが、幹事として精力的に協会の運営に携わっておられる清水満さんをはじめ、お世話になったみなさんに御礼申し上げます。これからもよろしくお願いいたします。(了)


 野末さんのホームページはAERAなどでも紹介されて、たいへん多くの人に勇気を与えているページです。ぜひごらんになることをお勧めします!