愛媛・伯方島での交流事業参加報告
(2002年8月31日)
伯方島を通る本四架橋の一つ
8月30-31日、愛媛県NPO支援センターの交流事業「伯方島で交流事業開催ー島時間の中で考えてみる地域づくり」に出るために松山に行って来ました。四国は88年の伊方原発主力調整実験反対運動(反原発運動が爆発的に盛り上がった契機になったもの)で、高松にいって以来生まれて二度目、松山は初めてです。

門司港から松山への高速船

松山は落ち着いた雰囲気の街で、熊本や鹿児島に似てました。漱石や子規を売りにしているので、熊本が一番近いか。古い町の特徴でJRの駅が市の中心部からかなり離れています。

松山市中心部

30日には協会の松山の会をしました。といっても松山には会員は2名、当日来たのは山田淳君一人で、主催者のNPO支援センターの杉田さんにも加わってもらい歓談しました。山田君はRYホイスコーレに今年の5月まで滞在し、杉田さんはBogenseのホイスコーレにおられた経験もあり、いちおう協会の会合にはふさわしいメンバーです。

翌日は、主催者の車で会場の伯方島に行き、交流事業に参加しました。地域の方々がたくさんこられ、盛況でした。

会場の様子

復活した渡海船に乗って、本四架橋を海からみたり、地場の名物イギス豆腐をつくって食べたり、地元でいろいろな地域興しをやっておられる方の話を聞いたりと盛りだくさんの内容です。私も「島は一つのユートピア」と題した30分ほどの講演をし、一役買いました。離島出身者でもあり、祖先はこの瀬戸内出身なので、親近感がもて、ふるさとに帰って地元のおじさん、おばさんに話しかけているような雰囲気がしました。

渡海船に乗る

イギス豆腐(イギスという海草からつくる)の試食

その後は座談会で、各方面で活躍されている方々とお話をしましたが、みなさんすばらしい方々で共感するところの多いお話が聞けました。

座談会の模様

最後は焼き肉を食べながらの懇親会で、何度ももう一泊していけと引き留められました。翌日の予定があるので、やむなく戻りましたが、しっかり地元のことを考え、見識もすばらしく、それでいて田舎の人情味豊かな人々に暖かい歓待を受け、いろいろ話せたことは大きな喜びです。このような民衆の側からの地域自立の動きは量的にはともかく、質的にはデンマークのホイスコーレ運動に劣りません。協会も少しはこうした運動にお役に立てて、ホイスコーレ運動の一番よい部分の一つを体現できたのもうれしいことです。

懇親会

お世話になったみなさんに心より感謝申し上げます。

バス停に見送りに来てくれた方々

清水 満 講演「島は一つのユートピア」