21世紀は愛農運動の本番
小谷 純一(全国愛農会創立者)
講演する小谷氏
  農業者の自主的全国組織である全国愛農会が(1995年に)創立50周年を迎えることができましたことを、愛農の同志の皆様と共に心からおよろこび申し上げると同時に、愛農会の土台をきづいて下さった、今は故人となられた近藤正先生、浦田善之先生、山本哲夫先生をはじめ沢山の愛農の同志の献身的な御奉仕に満腔の感謝を捧げます。

 「歴史は神の審判の足跡である」と言われています。天地万物の創造主であり、人類の歴史の主宰者であり給う生ける真の神が、正義と愛を持って個人も団体も国家も人類全体をも導いて下さいます。「一人の生命は地球よりも重い!」と言う言葉がありますが、それは聖書の生命尊重から出た言葉であります。この生命尊重の精神こそ、愛農救国・救人類・救地球運動(以下愛農運動と略称)のよって立つ基盤であります。「愛農運動って何ですか」と聞かれた時「生命を大切にする運動です」と答えたらよいと思います。もう少し具体的に言うと、「平和と農業を死守する運動です」と答えたらよいと思います。

 明治以来「富国強兵」の国是をかかげてきた日本国が無謀にも15年にもわたる侵略戦争を強行しましたが、人類歴史の主宰者であり給う正義と愛の真の神はアメリカの手を持って軍国主義日本を完膚なきまでに審き給いました。なぜ審き給うたのか?日本国民一人一人の生命を愛し給うが故であります。愛するが故にこそ審き給うのであります。

 その何よりの証拠はアメリカの手をもって打ち給うた神は、同じアメリカの手をもって、新生日本の生きる道を「平和憲法」として恵与されました。新しい日本国憲法が平和憲法と呼ばれるのは、申すまでもなく第九条に「国権ノ発動タル戦争ト、武力ニヨル威嚇又ハ武力ノ行使ハ、国際紛争ヲ解決スル手段トシテハ、永久ニコレヲ放棄スル」と明文化しているからであります。人類歴史始まって以来「永久二戦争ヲ放棄スル」と言う国是を定めた国家は日本国をもって嚆矢(こうし)とします。この憲法は占領下に於けるアメリカの押しつけ憲法であるから自主憲法に改めねばならぬと主張する一部の人たちがいますが、戦争の悲惨と愚かさにめざめた日本国民の大部分はよろこんで、この平和憲法を受け入れたのであります。半世紀にわたり一字の改正もせず国民に定着したのは何よりの証拠であります。

 キリスト者でありながら愚かにもあの戦争が神の意志にそむく侵略戦争であることに気づかずに賛同し協力した私の罪の悔い改めから愛農運動がスタートしたのであります。私はこの平和憲法は神がアメリカの手をもって恵与された新生日本国が果たさねばたらぬ世界的使命を明示して下さったと心の底から受けとめたのであります。

 愛農運動の掲げる「平和を死守する」とは具体的には「平和憲法を死守する」特に憲法第九条は神が日本国をして世界平和の先導国たらしめんとして恵与し給うた平和憲法の生命でありますから、これを改悪せんとする勢力とは断乎として戦わねばなりません。

 愛農会は敗戦後の未曾有の食糧危機の中で生まれました。「危機は戦争を誘発し、戦争は危機を増幅する」と元ドイツ首相が申しましたが、敗戦直後の日本の食糧危機は深刻をきわめました。敗戦当時の農商務大臣(現在の農林大臣)であった石黒忠篤先生は私に「若しアメリカの食糧援助がなかったら東京都だけで二、三百万の餓死者が出たでしょう!」と申されました。

 愛農会は敗戦後の食糧危機を克服するために農業者の自主組繊として誕生しました。愛農会の外にも食糧増産のみを目的とした農業者の自主組織が小は町村単位、大は全国単位として数千ありました。会員数十万人以上と言う全国組織も十指を数えました。愛農会もその中の一つと見られていました。

 敗戦後10年余にして官民一致の食糧増産の努力によって、食糧国内自給率80%以上を実現し未曾有の食糧危機を克服することができました。それと同時に愛農会以外の農業者の自主的組織は完全に姿を消しました。しかしそれは当然であります。食糧増産という使命を果たし終わったのですから存在の必要性がなくなったのです。

 それだのに何故愛農会だけが生き残ったのでしょうか?それは愛農会は発会以来一貫して「愛農会の使命は人づくりによる愛と共同の村づくりである」ことを「愛農救国の書」や機関,誌によって明示してきたからであると私は思っています。 愛農会は「平和と農業を死守する」農業者の自主的全国組織であることは前述しましたが、この目的を達成する方法として「人づくりによる仲間づくりによる村づくり(国づくり・世界づくり)」を提唱してまいりました。

 発会後10年にして農業者の自主的全国組織を完成した全国愛農会は三重県青山町に「人づくり」の道場として愛農根本道場(後の愛農学園)を創設しました。他の食糧増産団体が次々と姿を消して行っている時に、愛農会はその総力を結集して愛農学園を創設したのは愛農会の使命が「人づくり」による「村づくり」であると言う自覚が愛農の同志の心に深く浸透していたからであります。

 青山町に「人づくり」の道場として愛農長期道場(愛農学園高等部)が開設され、続いて愛農短花大(現在の愛農大学講座)が開講され、日本全国から一万人近い農業青年男女が受講されたのは、愛農会を創設し給うた生ける真の神の御導きであります。更に驚くべき出来事は、自主的全国組織とは言え多からぬ会員しかない全国愛農会がその総力を結集して愛農学園高等学校を創立したことであります。そんな学校をつくっても三年もたたぬうちにつぶれると言われた愛農高校は既に創立34年目を迎え702人の卒業生を杜会に送り出しました。その半数近くが、この農業情勢がきぴしい中で農業と農村を守るために戦って下さっています。

 愛農会が発会した敗戦直後、男女合計40万人もあった農業後継者が、二、三年前から1700人前後(新規学卒就農者・編注)に激減しました。一つの大企業でも2000人以上の新入杜員を採用しているのに、一億二千万人の生命の糧を生産する農業に新規参入する若者が千七、八百人に激減したと言う事実に、政府せも国民も急きも驚きもしたいと言う日本国民の精神状態は私には不気味でなりません。敗戦直後のような食糧危機は二度とくることはない、お金さえあれば、安い食糧がいくらでも世界中から買えると日本国民は思い込んでいるのです。

 先日書店に行って見るとアメリカの有名な環境問題や食糧問題の権威者であるレスター・R・ブラウンの著書が店頭に積まれていました。その書名は「飢餓の世紀」。私も人類が21世紀に直面する最大の課題は地球の環境破壊と汚染の問題と世界人口の爆発的増加による食糧危機であると思っていますが、この本を読んで詳細たデータをあげて論証されると21世紀は正に「危機の世紀」であると実感せずにいられなくなりました。紙数の関係で本書の内容を紹介できたいのは残念でなりませんが、愛農の同志は一人のこらず本書を熟読して下さいますよう切望します。

 私が21世紀は愛農救国・救人類・救地球運動の本番である。発会以来50年の愛農会の歩みはその準備であったと確信するもう一つの理由は、世界人口の爆発的増加による食糧の量的危機と共に、有毒化学物質の増大による食糧と飲み水の質的危機であります。

 愛農会の創始者であり導き手であり給う生ける真の神は愛農運動を通して、21世紀の人類が当面するこの二つの課題の一端を担わせるために、愛農会発会23年目(1963)の正月の愛農聖書研究会へ梁瀬義亮先生を遣わし給いました。世界で最初に農薬公害を公表された(レーチェル・力ーソンより三年早く)梁瀬義亮先生と愛農会との出会いは、愛農運動に画期的な転換をもたらしました。

 「このまま農薬・除草剤・化学肥料を使用しつづけるならば、20年後に日本国民の四人に一人がガン死する時代がくる!」(16年目に来てしまった)と警告された時、眠っていた私の良心が鉄槌で打たれたように愕然として覚醒されました。我誤てり!と神の御聖前に私の罪を告白し心底から悔い改めました。特に梁瀬先生から「農薬の中で除草剤の毒性が一番強い。病菌や害虫を殺す薬よりも、生命力の旺盛た雑草の生命をうばう除草剤の方が、はるかに毒性が強いのです。その上除草剤は食べ物を汚染するだけではなく、食べ物よりも大切な飲み水を汚染するから慈光会(産直組織)の協力農家には絶対使用させません」と教えられた時、紀ノ川平野で初めて私の水田一反歩で除草剤の実験をし、翌年は紀ノ川平野の全農家に除草剤が普及するきっかけをつくった大きた罪を心の底から悔い改め、その後私は20年余、必死で無除草剤稲作の研究にとり組んでまいりました。年々減収につぐ減収で万策つきた時、神は今から四年前に除草タニシ(ジャンボタニシ改名)を私の水田に遣わし給うて(農水省や農協がイネの苗を食害する有害動物として撲減作戦を展開していますが、田面を均平にすること、田植後二十日間超浅水にするという簡単な方法で、稲の苗や分ケツを食害せず、しかも除草剤をやったよりもキレイに除草してくれます)昨年は実験三年目の私の水田で平均反収十俵以上を実収し、本年は更にこれ以上の実収が見込まれています。

 愛農会は発会以来一貫して「国民食糧の80%以上は日本の国土で自給すべきである。特に主食であるコメは100%自給すべきである!」と主張し続けてまいりました。この主張は愛農会の生命であると私は思っています。

 ブラウンの「飢餓の世紀」を熟読して、世界の食糧需給は過剰時代から不足時代に様変わりしつつあることがよくわかりました。年々9000万人以上増加しつつある世界人口に見合う食糧供給が不可能になりつつある。人類への食糧の供給源は三つある。海(漁場)と平原(放牧地)と農耕地でありますが、第一の漁場からの漁獲量は頭打ちにたり限度にきている。第二の放牧地は既に過放牧とたり限界にきている。唯一のたのみは農耕地であるが、農耕地の拡大は1981年がピークで、その後下落の一途をたどりつつある。残されたのは反収増加であるが、反収増加の三つの要因は、多収品種の改良、灌洩面積の拡大、化学肥料の増加であるが本書を読めばわかるように、いずれも限度にきています。

 この人類が21世紀に当面する最大の難問を解決する唯一の道は、国連が中心になって世界の凡ての国が自国の国土を最大限に活用して食糧増産に努力すると共に、自国の国土の食糧供給能力に応じた人ロ収容能力を策定し、人ロが爆発的に増加しつつある開発途上国は思い切った人ロ抑圧策を実施する以外はない、と言うのが本書の結論であります。既に人口増加が横這い状態に入った先進工業国(日本もその仲間に入りました)も、自国の国土で自国民の食糧を最大限自給する努力をしたければならないのは当然のことであります。日本の国土は世界に稀な食糧生産力にめぐまれています。既に人口増加は横這い状態に入っていますから、日本の国土で80%の食糧自給は可能であると私は確信します。しかもその農法は日本国民の子々孫々に至るまでの生命の糧を生産する自然環境(土と水と空気等)を汚染する農薬・除草剤・化学肥料依存の土殺し人殺しの「死の農法」ではなく、土の生産力を永久に持続させる無農薬有機農法でなければなりません。

 日本国民も政府もお金さえあれば世界中から安価な食糧を輸入できるという国際分業論的な考え方を悔い改めねばなりません。一昨年のコメの凶作で200万トンの緊急輸入をした時、国際米価は二倍に高騰しました。コメを輸入しなければ餓死者が出るような貧しい開発途上国はお金がないため必要なコメの輸入ができなくなります。日本人に一人の餓死者を出さないために貧しい開発途上国に五人の餓死者を出すことは人道的にも絶対に許されません。

 21世紀に於て日本が国際杜会から信頼されて世界平和のリーダーシップをとる平和国家としての使命を果たすためには、平和憲法を死守すると同時に世界の貧しい開発途上国に餓死者をふやすような輸入食糧依存の食糧政策を悔い改め、この恵まれた国土を100%活用して、日本国民の生命の糧を80%以上自給すると言う国策に転換しなければなりません。このかけがえのない自然環境を汚染せず、日本国民の生命と健康を守る安全な食べ物と飲み水と空気を供給する、有機無農薬農業の実践と普及に全生涯を捧げて下さる若者が、愛農高校から続々と育てられ、21世紀の愛農救国・求人類・救地球運動の本番を担って下さいますよう切に切に祈ってやみません。
 
 1995年9月28日(和歌山市小豆島)
(『全国愛農会50周年記念誌』より転載)

 転載にあたりましては全国愛農会の山本事務局長のご協力をいただきました。心より感謝申し上げます。