デンマーク報告
2012年3月
清水 満

 さて、デンマークの報告です。12日にコペンハーゲンに飛び、ユラン(ユトランド半島)の小さな町ブラネストラップへ親友クリスチャンの車で行きました。ここで世界最大の太陽熱利用施設を見学する予定だったのですが、管理者たちに急遽重要な会議が入ったということで、ガイダンスなしになり、自分たちだけで見ました。ここは太陽光温水器の集合施設で地下の断熱パイプを利用して契約した各家庭に送り、暖房、給湯などに使っています。太陽光が十分でないときはバイオマス燃料で追いだきをします。化石燃料はいっさい使わない暖房・給湯施設なのです。ヨーロッパの家庭でのエネルギー利用で一番多いのが暖房と給湯なので、ここに化石燃料や電気を使わないというのは大きな利点になります。だからデンマークはCO2削減で先頭に位置する訳です。

太陽光温水器施設

 クリスチャンの弟のアナスは、昨年の選挙で躍進して9人もの議員を出した政党「リベラル・アライアンス」の党首です。彼は20代で議員になり、EU議会デンマーク代表議員もつとめ、将来の首相候補の一人と目されています。この党は政治的には中道なので、現在の社民党や最左派の社会人民党を中心とする左派政権には参加していません。主義、主張は私と異なりますが、それでも彼らとは個人的な経緯でよい友人です。また、「リベラル・アライアンス」はホイスコーレ運動を強くサポートしますので、その点では協力者になります。そんなわけで、国会にも彼らの政党の関係者として案内されました。

クリスチャン(左)とリーナ
どちらも友人である

議会関係者入り口

 政党ごとにフロアがわかれオフィスが並び、そこで他の議員たちにも紹介されます。食堂を使ったり、IDカードをもらって自由に出入りして施設を使ったり、何かすっかり関係者になった気分で、まったくの外国人の私なのに、これでいいんだろうかと恐縮するくらいです。コペンハーゲンでの寝泊まりも日本でいう議員宿舎で、市の中枢部でした。日本の国会にはまだいったこともありませんが、このきさくさ、自由な空気はないのではと思われます。

歴代の首相らの肖像画

 ちょうど会期中で、傍聴席から見学しました。日本とぜんぜん違うのは、スーツ、ネクタイをした議員が少なく、多くはジーンズにブレザーあるいはジャンパー姿でした。閣僚でさえもです。

議員たち(右はしが最年少議員、左端がチューラ)

 デンマークでは、選挙権、被選挙権とも18歳からで、登壇した社民党の女性議員は23歳。若くて美人なので大衆的な人気のある議員だそうです。見た目はほとんど大学生で、経歴、権威、組織での地位、コネなどを重視する日本の議員と全然違います。比例代表制ですから、本人にやる気があって、活動で評価されれば名簿上位になり、基本的に意欲次第で誰でも議員になれます。答弁する閣僚は70年代に新左翼の活動家として活躍し、今でも最左派の社会人民党の議員でした。仙谷氏や枝野氏と違って変節したりしていません。

 議会が始まっても議員同士で話していたり、席を立つ者もいるなど、ぜんぜん堅苦しくなく、まるでNGOか何かのミーティングという雰囲気でした。当然、発言の言葉尻をとらえて、本質に関係のない揚げ足とりなどはありません。

 クリスチャンは、名物議員チューラ・フランクの協力者という肩書きで、彼女の質問などを執筆します。日本でいう議員秘書に近いものでしょうか。しかし、上下関係はあまりなく、対等な関係で仕事をします。

 チューラは独立系老人ホーム「ロッテ」の主宰者で、波瀾万丈で愛に満ちたその半生記がベストセラーになったデンマークの有名人です。各党が争って彼女をスカウトしましたが、競争の結果「リベラル・アライアンス」が勝ちとりました。体重が129キロといわれ、新聞には議員になって多忙のために「20キロもやせた!(でも、見かけはかわらない)」というユーモラスな表題の記事が出てました。

チューラの老人ホーム「ロッテ」

 高度社会福祉国で知られるデンマークも、2000年代に入り、財政難と前政権のグローバリズムに伴う新自由主義的政策で次々と福祉切り捨てがありました。滞在型の老人ホームはデイ・サービスだけの施設に変えられ、運営もNPO法人化して民間にまかせました。ただそれが行政主導の一方的な施策であったので、質やサービスが悪化しました。

 チューラは政府・行政の進める福祉削減の中、それに対抗して、行政から自由なNPO型の老人ホームづくりを独自に進め、財団をつくって基金を集めて、ビジネスライクな行政の施設よりも、ケアの心に満ちた施設を運営してきました。規則の多い行政の施設に対し、ここは規則があまりなく、普通は禁止される喫煙、飲酒もOK。恋愛も自由という施設です。認知症老人も分け隔てなく暮らし、会話に参加しています。NPOによって日本のあちこちで試みられている、家庭の雰囲気をもって互いに助け合うグループ・ホームに近いともいえます。財政難の中で、高いレベルの福祉を維持する一つの試みとして、その実績と方法が評価されているようです。

 デンマーク国営放送が彼女の一日を追うドキュメント番組を制作するとかで、この日はテレビ・クルーがずっと取材していました。私も彼女と行動をともにしたので、一部はしっかり画面に入ってしまいました(笑)。編集でカットされればよいですが。

テレビの取材

 チューラは翌日もカナダのジャーナリストのインタビューを受けていました。愛に満ちたデンマークの肝っ玉母さんという感じで、私もファンになりました。

 私も彼女に気に入られたようで、大事にされました。二日目に一人で国会に入って行くと守衛に止められ、ドアを開けてもらえません。一日目にもらったIDカードがこの日も有効だと勘違いしていたのです。私のIDカードの責任者になっているクリスチャンに守衛が電話するとすぐに二日目のIDカードが発行されました。私はてっきり電話の相手はクリスチャン本人だと思っていたら、実は彼はそのとき不在で、誰が出たのかわかりません。たぶん同室のチューラが出て、許可したのでしょう。

 このようにかんたんに入れたので、あとでクリスチャン、党首のアナスらと昼食時に「私がテロリストだったらどうするんだ?デンマーク国会の警備は甘いんじゃないか」と話して笑ったものです。日本の国会はどうなのか知りませんが、おそらく権威的で細かいことにうるさいと思われます。日本からの得体のしれない私が自由に行き来できたことに、いい意味で肩ひじ張らないデンマークの自由、風通しのよさを感じました。背景には、成熟した民主主義社会なので、国内には暴力的な政治組織がないこともあるでしょう。

 国会以外は、コペンハーゲン市内にある解放区クリスチャニアにいきました。ここは73年に大学生やヒッピーなど当時の68年世代が基地廃墟に住み着いて、市当局や警察との戦いを経て、手づくりの劇場や学校、カフェ、工房や自然食品点などがある解放区として認めさせ、今はデンマークの中の独立国、コミューンとして有名です。みなが各種の工房、施設で働きながら、依然として住民の財布は一つで全員参加の議会によって共同運営しています。ここで生まれたクリスチャニア・バイク(前に子どもを載せる荷台つきの自転車)は世界で愛用されています。

クリスチャニア・バイク

クリスチャニアは撮影禁止なので遠方から

 国会から1〜2キロに政府の力の及ばないこういう解放区、独立国があるというのがまさしくデンマークという国の特色をよくあらわしています。また国会前には反戦市民団体のスタンドがあり(デンマークは現在NATOの議長国です)、継続3000日を超えてました。さすがにテント村もこれには負けますね。

 このような風通しのよさがあってこそ、民主主義が花開くのでしょう。そしてこのような民主主義があるからこそ、原発問題を一年かけてあらゆる情報を隠すことなく、政治家や国民が討議し、議会で原発建設中止を決議(1985年)することが可能になった歴史があります。これについては去年11月、NHKが取材して放送しましたので、そちらをごらん下さい。

 もちろんデンマークにもさまざまな問題があり、理想化は禁物ですが、しかし、市民に開かれた民主主義として、デンマークなどに学ぶべき点はまだまだ大いにあると思えます。

 動画も一部を撮りましたので、アップしています。