ドイツ・グローナウ
福島一周年集会とデモの報告

清水 満

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デモに出発する参加者たち

 

 9日よりドイツ・デンマークに来て、11日のドイツ・グローナウでの福島一周年集会に参加しました。12日にデンマークへ行き、15日にまたドイツへ戻りました。すぐに報告をしようと思っていたのですが、この間自分の時間が全然なく、何もできませんでした。友人たちのところに滞在しているので、いろいろと接待や行事があって、寝る時間以外は暇がなかったのです。まぁありがたいことなのですが。

 で、ようやく今頃になってできたすきまの時間を縫ってかんたんに報告します。

 ドイツ・グローナウでは、主催者発表で4,000人集まりました。しかし、私の目からは5,000人はいたように思います。この辺は日本と違ってドイツは謙虚ですね(笑)。

 同日、全国六ヶ所で合計5万人が集まりました。ブロックドルフ原発前に3,000人、グントレミンゲン原発前に5,500人、ネッカーヴェストハイム原発前に5,000人、ハノーファーに7,000人以上、そして日本でも報道されたアッセ原発からシュラハトまでのキャンドルの鎖で24,000人です。いずれも原発やウラン濃縮工場などの核の施設前で場所的には交通の便が悪いので、参加者は貸し切りバスや車の乗り合わせで来ています。

 グローナウでは、日本人代表として、ネモト=ディートリッヒ・ナホさんが挨拶しました。その後、黙祷もありました。ネモトさんは、福島市出身で、今はドイツ人と結婚し、ドイツに在住しています。それゆえ、事故を直接に受けた訳ではありませんが、ご両親や親戚が福島市在住ということで、彼らの苦しみを主に訴えました。友人のライナーは「日本の状況をよく知るミツルが話すべきだ」と提案しましたが、そこは福島の当事者がやはり優先されるべきでしょう。ご本人とお話ししようと思ってたら、小さいお子さん連れだったせいか、デモには見当たらず、会えませんでした。

アピールするナホさん

 デモは、駅からウラン濃縮工場まで5キロほど歩きました。先頭にトラクタ(日本のものよりもかなり大きい)が10台ほど並び、あとは多種多様の工夫をこらしたグループが歩きます。ガスマスクをつけた若者で構成されたドラム隊は指揮者もいて見事な統率ぶりで、沿道の見物人の目をひいていました。高校生くらいの参加者たちがそれに合わせて自発的にダンスしながら歩くのも楽しかったです。

放射能ドラム缶を動かしてアピール

 MLPD(マルクス・レーニン主義党ドイツ)という古典的な(?)左翼政党(ドイツ共産党とは別の組織)のみなさんはよく知られた歌の替え歌(福島、チェルノブイリの悲劇を繰り返すな、などの歌詞です)を自作し、みなで歌いながら歩いていました。日本の左翼党派にも似たスタイルのものがありますので、それをイメージすると近いでしょう。

 面白いのは、日本でネット大好き若者の多くは「ネット右翼」になりがちで、在特会に影響されたりしますが、ドイツでは「Piraten Partei(海賊党)」という政治的な党派をつくり、既成政党に飽きたらない若者を集めて現在大きな注目を浴びています。原発にも反対でグローナウにも来てました。

 ちなみに日本で評価の高い「緑の党」は、ドイツの市民運動では現地の運動に対立することが多く、昔から評判は悪かったものです。私も23年前に邪魔されたことがあります。州レベルでも政権政党で、そのためにグローナウのウラン濃縮工場を認めています。それゆえ、この地域の緑の党員は全国や州組織から縁を切り、独立した地域の緑の党として動いているくらいです。

 グローナウは小さな町なので、5,000人近くも人が集まるとデモ隊の方が町の人よりも見た目は多くなります。福岡市のデモと異なり、道行く通行人はまばらで、見物している人間も数えるほど。デモの本来の意味である「示威活動」としては、見ている人への効果はありません(笑)。駅前に一軒だけあるカフェ兼キヨスクだけがすごい繁盛で、今日だけで一年分の売り上げがあったのではないかと参加のドイツ人と冗談を飛ばしました。

デモ隊の様子

 途中3キロくらいには、協力してくれた教会の敷地に中間休憩所を設け、飲み物や食べ物、トイレ、休憩の椅子を用意し、あるいはアンプの設備などを置き、疲れた人は休んだり、歌やアピールをしたい人は先回りしてここで隊列の人たちに聞かせます。手間はかかりますが、このアイディアは日本も取り入れるとよいなと思いました。障害者、老人など歩くのがきつい人用のバス(途中疲れた人はこれに乗ることができます)も用意していました。このバスも最後までゆっくりとついて来ます。

 2時間ほどかけて、終点のウラン濃縮工場前まで歩き、そこで最後の集会をして、「(核施設を)今すぐ止めよ」とシュプレヒコールをしました。ロシアからの濃縮を受け入れているので、ロシアの市民団体の女性が挨拶しました。ドイツは原発自体は廃棄が決まっていますが、原子力関連企業は存続します。この濃縮工場はドイツとオランダの合弁会社で、世界第三位の能力を誇り、ヨーロッパのウラン濃縮を一手に引き受けます。ドイツは脱原発は認めたものの、ロシア、フランス、イギリスの核兵器保有国があるので、それらとの取引などがあり、ヨーロッパには軍事を含めての原子力マフィアの力が厳然としてあることがわかります。

 私は井上しんぢさんがデザインした福岡の集会のチラシを背中につけて歩きました。集会で私のうしろにいたボンから来た夫婦がそれに目を止め「デザインがすばらしいのでほしい」というのであげました。しんぢさんのデザインがドイツでも通用したのはすばらしいことです(拍手)。

福岡の集会のチラシをつけて歩く

チラシをもらったドイツ人夫婦

 途中、日本人参加者の女性に一人会いました。ドイツのNPO(国際子ども村)で一年活動した後、ドイツが好きなので、デュッセルドルフの日本企業支社に就職し、そこで働いているというOさんでした。彼女がNPOで知り合ったドイツ人の青年が私の友人ライナーとネパールで知り合いになり、この二人を通じて出会ったというわけです。世界は狭いものです。

ライナー(右)と彼の知人(Oさんの知り合い)

 ちなみにライナーは二週間ほど前までインドのデリーに滞在してましたが、南インドに建設中の原発反対運動に参加したという理由で、国外退去の命令を受け、やむなくドイツに戻ってきました。途上国ではまだまだ多くの問題を抱えています。

 グローナウはかつては石炭などの産業があり、それが凋落したあとは各種生産工場誘致などしました。しかし、産業構造や経済の変化で、これらの生産工場も次々に閉鎖されて、あとには廃墟になった工場の建物だけが残っています。そこに目を付けたのが、ウラン濃縮工場で、38年前に誘致され、今に至っています。特色のない地方で、ましてや観光地や経済の中心地でなければ、雇用の維持のために危険な施設を受け入れる羽目に追い込まれるというのは、日本だけではないということです。世界的にも、原子力産業はこうした格差の構造の上に成り立つことを改めて感じました。

 最後はシャトルバスで駅まで戻り、そこに待ち受けていた主催者のウドと「今後も連帯を続けて行こう」と握手して別れました。

 次回はデンマークの報告を少しだけしたいと思います。
 以下に当日手持ちのカメラで撮影した動画をアップしました。これを見ると雰囲気の一部がわかるでしょう。