ホイスコーレでアート・ワークショップ


床田 明夫 
(とこだ あきお/美術作家・福岡県福津市)


5人のアーティスト
(筆者は右から二人目)
 2008年3月中旬、デンマークのRyホイスコーレで学生対象のアート・ワークショップを以下のメンバーでおこないました。(順不同、敬称略)

制作計画・指導:荒井伸佳、小林明(造形作家・東京)
        水永宗勝、床田明夫(同・福岡)
コーディネーター:清水満(日本グルントヴィ協会幹事)
協力:リーネ・フリースルンド、インゲ・オーントフト(Ryホイスコーレ美術教員)
アシスタント:中原麻貴(日本画作家・京都)

 ワークショップのフォトギャラリー

「記憶を照らす〜和紙を使ったあかりのオブジェ制作」

 これが今回のプログラムで、日本の伝統的な素材と、現代美術の要素を融合させることをねらいとしたものです。各自が自由にデザインし、針金で枠を組み、和紙を貼り、各人の「記憶」となるものを加えて、あかりのオブジェを作り、過去と現在、東と西の接点を意識しようとする試みです。

 和紙はこちらから持参し、事前におおまかな流れと必要な材料、道具は伝えておいて、まあどうにかなるだろうと、現地に乗り込みました。

 初日。教室に入ると、学生が10数名。ほとんどが20才前後の女性。しかもチャーミング。始めようとするんですが、初めて英語でのレクチャーにさすがに緊張して、言葉が…出て…こない。皆「?」という感じです。いや〜、タカをくくってました。反省反省。リーネたちの助けも借りて、冷や汗をかきながら、身ぶり手ぶりを加え、参考写真を持ってきて見せると、「!」と納得して、なんとか始まりました。

 授業としての時間は、3日間に分かれて正味8時間。しかも、お茶の時間が10時、3時にきっちりとられます。時間内で完成できるものを考えるようにと伝えたのですが、1時間経っても、かたちが決まっていきません。

 凝ったかたちのアイデアを考える学生が多いのに驚くと同時に、完成できるかと若干の不安がよぎります。でも、ほとんどの学生が真剣かつ楽しそうにスケッチし、スタッフと意見をやり取りしているのを見ると、これは、流れに任せるしかないと、ハラをくくりました。会話も拙いながらも少しは慣れてきました。

 やがて案がまとまり、徐々に制作にかかります。それぞれかたちが違うので、試行と工夫が必要です。ひとかかえもあるものから、サッカーボールより小さいぐらいのもの、置くタイプや天井から吊るすタイプとさまざまです。それに応じて、必要なものも新たに出てきて、インゲが買い出しに行ってくれます。

 各人に共通する材料をまとめて準備したり、技術的に慣れが必要なところは手を貸します。しかし、アドバイスは与えますが、どんな作品にしていくかは学生にまかせます。子供のころからの「自立」の教育のおかげで、「頼りっきり」タイプの学生はいません。

 2日目、3日目と枠を組み、和紙を貼っていきました。夜に作業を続けた学生もいるようです。「記憶」の部分は貴重な体験の写真や子供のころの絵などを和紙にコピーしたり、ネガフィルムをはったり、好きな歌の歌詞を書いたりしています。

 電気部品を取り付け、ほとんどの学生がなんとか完成にこぎ着け、終了の時間が来ました。

 さて、作品展示です。できあがったものをセレモニー・ホールに持っていき、設置して、スイッチを入れました。暗い空間に、優しい光が並びます。和紙を通した柔らかなあかりが、人々の顔を照らしています。他の学生や教員スタッフも見に来てくれました。皆がにこやかに、作品を前に語り合っています。とても美しく、感動的な光景です。

 もう少し時間の余裕があればというのは正直なところですが、学生は美術専門ではない、われわれの慣れない英語による指導、という条件にもかかわらず、すばらしい作品が数多くできました。来場者の反応も上々です。

 このワークショップで、いちばん感心したのは、学生の取り組み方と感性です。

 受け止めがとてもストレートで、ほとんどの学生がまっとうに制作に集中して時間を使い、真剣に楽しんでいるのです。このワークショップは選択授業ですから、当然といえばそうなのですが。普段、そうでない事例を見受けることが多いので、目からウロコという感じです。

 感性という点でも、いわゆる具象的でないかたちを作るのは、感覚に自信がないと難しいのですが、センスのいい作品が多いのに驚きました。

 これについては、短い滞在のなかで、ひとつの理由と思わせることを街で目にしました。デンマークでは、公共の場所のみならず、小さなオフィスやお店でも、他のヨーロッパと少し違い、・・・・・・・・・アカデミックでない現代の美術作家の作品を目にする機会が非常に多いのです。

美術館のカフェを見る筆者

 たとえば、9世紀に建った教会の祭壇画が現代の画家によって描かれ、まるで幼稚園の遊び部屋の壁だったり。デンマークといえば、洗練されたインテリアデザインが有名ですが、見かける絵画や彫刻はどちらかというと、・・・根っこを感じさせたり、元気のいいものだったり、「洗練」とは逆のイメージのものが多く、いい意味でインテリアとのギャップを感じます。身近にある美術作品が感性を磨いているようです。

 さらに、滞在中におこなったスライドを使った各メンバーの作品紹介のプレゼンテーションにも、非常に熱心に参加してくれました。無駄話はなく、聞こえて来る声も作品に対する印象を語り合ったり、手を挙げて質問したりで、途中で退席するものもほとんどいない、という状況でした。デンマーク語は全く分かりません。でも、ここの学生たちの普段のコミュニケーションの取り方や、会合での積極的な発言などを見ていると、「話す」「聞く」「答える」という基本がきちんと行なわれている印象を受けます。変にスレてないというか、当たり前なことが、当たり前におこなわれており、気持ちに余裕があり、健全さを感じさせます。

 浅い知識しか持ち合わせませんが、こういう環境のなかでの生活と社会や教育システムのおかげからか、普遍性と革新性に対するバランスがとてもいいように見受けられます。学生たちは、「やり方がわかったから、次はこういうのを作りたい」と言っていたそうです。今後、あかりのオブジェの制作が広がっていったら、うれしい限りです。

 Ryのホイスコーレには美術、音楽、演劇、アウトドアスポーツ、ジャーナリズムなどさまざまなコースがあります。授業に真剣に楽しく取り組み、しかも、ただ学ぶだけでなく、ホイスコーレ敷地内の寮で共同生活し、学内のバーで飲み、湖上でカヌーの中に泊まり、オープンに話し合う学生たちの活き活きとした姿は「若者はこうでなくちゃ」という見本でした。ここでの経験は、強く、じんわりと今後の彼らの人生の支えになることでしょう。

このワークショップは学生以上にこちらが得るものが多く、デンマークの社会、文化の広がりと深さを強く印象付けたものでした。

現地のアーティストと交流