2005年スタディツアー「旅するホイスコーレユラン中南部篇」報告(2005年8月22日〜8月30日)
アスコウ・ホイスコーレ
 旅するホイスコーレ2005年は2001年以来久しぶりの協会主催のスタディツアーでしたが、デンマークのホスト側の尽力もあって、たいへん充実したツアーとなりました。何度も行って慣れてしまっている幹事の私でも、新鮮な感動があり、これまで協会が行ってきたツアーの中でもベストの部類の一つに入るものと思います。

 直前に2名のやむをえないキャンセルがあり、総勢19名で出発しました。今回はとくに酪農学園大学の高橋一さんのNGO論ゼミの学生さんがゼミ旅行として4名参加し、また他にも大学生が3名、それに十代一人と若者が多いメンバーになったのが特徴です。

 以下プログラムに沿って報告をしておきます。

8月22日(月)

  • コペンハーゲンへ。
  • アスコウ・ホイスコーレ着

 航空機は東京成田発と福岡発ソウル経由の二方向、それに先に旅行を兼ねて独自にデンマーク入りをした人たち、そして高橋ゼミが札幌発成田経由で独自に来るなど、多方面からの出発で、コペンハーゲン空港で合流するということになりました。旅慣れている方が多いのか、無事問題なく集合でき、またここで通訳の崎浜さんとも合流しました。崎浜さんはデンマーク人と日本人のハーフで、早稲田大学に留学していたこともあり、流ちょうな日本語を話します。

 その後、迎えに来たクリスチャンと彼の同僚の運転する車で一路アスコウ・ホイスコーレに向かいました。貸切バスが高いので、少しでも安くする苦肉の策です。しかし、車の中では彼らとの会話もはずみ、何かしらの未知の期待感もあって、毎度のことながら何か昂揚した気分で旅がスタートします。

 夜の11時半に予定より少し早くアスコウ・ホイスコーレに到着。校長のヘニングが出迎え、飲み物と軽食を出す気遣いで歓待してくれます。ほっと落ち着いたあと寮の部屋に別れ、就寝しました。寮は予算の都合上相部屋になるはずでしたが、特別サービスで個室にしてくれていました。

8月23日(火)

  • アスコウ・ホイスコーレについての講義と案内
  • デンマークの教育制度、とくにフォルケスコーレ(公立小中学校)について
  • ポール・ラ・クール・ミュージアム見学とガイド
  • アスコウ・ホイスコーレ元校長 ハンス・ヘニングセンとの談話

 気分よく起きたさわやかな朝、朝食をとってから一日が始まります。ホイスコーレの学生と同様にふるまい、気分は完全にホイスコーレの一員です。その後最初の講義で、校長ヘニングと担当教員ウラがアスコウ・ホイスコーレについて語ってくれました。ヘニングの話はこの会報にその記録を載せています。引き続いてまた付属のエフタースクールについても直接に担当教員が説明してくれました。

 ウラ・ヘニングセンはアスコウではデンマーク語・デンマーク事情担当で外国人学生に接していますが、92年の上陽民衆大学セミナーで来日し、またアスコウ・ホイスコーレに学んだ多くの日本人学生を知己にもっています。会員では小田原の「グルントヴィ社会教育館」の夏目孝茂さんや滋賀の砂川さんもその一人ですし、今回も直前の外国人向けのショートコースには、ツアーの参加者の若林久美子さんと鈴木梨紗さんが出ていました。 

 昼食後一休みして、校長ヘニングがデンマークの教育制度の概説を語ってくれました。

ヘニングの講義

 その後はポール・ラクール・ミュージアム見学です。ポール・ラクールはデンマークのホイスコーレの歴史でもグルントヴィ、コルのあとに来るほどの人物で、詳しくは『生のための学校』の橋爪健郎さんの文章に書いてあるので、ご存じの人も多いと思います。彼は1890年代に風力発電の実用化の研究を行い、1900年からアスコウ・ホイスコーレの近くの施設で、実際に風車を動かし、その電力をアスコウ・ホイスコーレとその周辺に供給し、また水を電気分解してえた水素エネルギーを利用しました。その施設が今はそのまま博物館として残され、当時の実験設備やバッテリーなどが展示されています。この建物の屋上に大きな風車が当時は建設されていましたが、今はありません。記念すべき場所に立って、記念撮影などをしました。解説はグラスファイバーの会社につとめるトローエルス・トムソン氏。ミュージアムを支える協会の一員のようです。

ポール・ラクール・ミュージアム

 それが終わるとアスコウ・ホイスコーレの学校の案内で、由緒ある図書館などを見学しました。

 夜には、アスコウ・ホイスコーレ元校長 ハンス・ヘニングセンがグルントヴィについて講演をしてくれました。 ハンス・ヘニングセンはアスコウ・ホイスコーレの校長を長くつとめ、デンマークのホイスコーレ運動の生き字引的存在として、著書も多くある知識人です。ウラの夫でもあります。講演のあとはコーヒーなどを飲みながら、若い学生たちの質問に答えていました。

若者と話すハンス

8月24日(水)

  • グレンバング・スコーレ(公立小中学校)の見学
  • 古都リーベ観光と散策
  • フォルケダンスの夕べ

 今日は近所に建設中の公立小学校の見学に行きました。まだ全部完成しておらず、全校生徒は学年単位で新しい学校に移動しており、学年によってはまだ旧小学校に残っているそうです。民衆教育であるフリースクールと違って、公立学校は行政が負担しますので、その分校舎などの設備は立派です。この学校はモダンな建築を取り入れているとのことで見学者が絶えないということでした。校長が概説をしたあと、グループに分かれて、校舎を見学します。どこもまだ建設中という感じで、それでもすでに児童が入って使っているのはデンマークらしい気がしました。全体に陽光を取り入れるデザインで、天窓があってクラス全体が明るくなっており、風通しのよい空間という気がしました。敷地もまだ整備中で、完成すれば芝生などが張られて、緑豊かな環境になるものと思われます。高学年のクラスを主として見学しましたが、みなおとなしくシャイな感じでした。ユランの地方都市ヴァイエンということもあるかもしれません。

グレンバング・スコーレ

 昼食のあとは、バスでエクスカージョンをします。めざすはリーベ。リーベはユラン半島西海岸近くにあり、500年以上前の建物が残る、デンマークでも最も美しい町の 一つとして有名です。1995年のツアーで訪ねて以来の訪問になります。

 まずはリーベ近郊にあるヴァイキング・センターに寄ります。これはヴァイキングの遺跡あとに村を再現した屋外の博物館です。佐賀の吉野ヶ里をイメージすると近いでしょう。ヴァイキングの衣装を着た職員がガイドをしてくれます。いろりや土器など日本のものと大きな違いはなく、人間の文化はそんなに変わらないものだなという印象をもちました。文様などはアイヌの人が見たら、すごく近いと感じたかもしれません。鷹匠のショーなどもありました。

ヴァイキング・センターでガイドを受ける

 その後はリーベに行き、中心の教会のドームをウラが解説したあとは、グループに分かれて各自観光をしました。リーベはデンマークでも古都で建国以来からある街です。教会も早く12世紀に建てられ、ローマから司教が派遣されたほどですが、その後はプロテスタントになり今にいたっています。それほどの伝統ある教会であるのに、祭壇画は現代絵画であるというのがデンマークらしいところです。帰りには海の方まで回って運河を見てきました。

リーベの街を歩く

 夜には地域のフォルケダンスの愛好会のみなさんを招いて、デンマークのフォークダンスを楽しみました。主として時間のある高齢者たちのグループですが、指導する方は中年の女性でした。牧歌的な民族衣装をまとってまず見本に踊ってくれて、その後は日本人参加者もいっしょに踊りました。終わってからコーヒーやケーキをいっしょに楽しみ、若者たちを中心に楽しい交流に花が咲きました。

フォルケ・ダンス

みんなで記念写真

8月25日(木)

  • モーニング・ソングへの参加
  • デンマークの有機農業の講義
  • アスコウのエコロジー農場の見学
    ヴァイエンの老人の活動センター、クヌーエプンクテット訪問
  • ヴァイエン散策
  • オヴェ・コースゴール(デンマーク教育大学教員)の特別講演

 この日は最初にアスコウ・ホイスコーレのモーニング・ソングへの参加から始まりました。他のショートコースの参加者のデンマーク人たちがグルントヴィの歌を歌い、その後日本の歌の歌詞(ローマ字つき)を配り、日本人グループが歌いました。アスコウ・ホイスコーレには他にも日本人グループが研修に来るので、彼らはすでに日本人向けの歌などを用意していたわけです。参加者には好評の気配りでした。

 午前は、デンマークの有機農業について有機農業コンサルタントの方より講義があり、その後バスで有機農業の農場を訪問しました。デンマークの有機農業者は着実に増えており、1990年の500戸から、2001年以後は3500戸前後になったということでした。エコロジカル牛乳はその代表的な成功例で、普通の牛乳との価格差を小さく抑えたのが普及の決め手になったようです。このエコロジカル牛乳は今やデンマークの牛乳の主流になってどの家庭でも見られるものです。

 実際に尋ねた農家は、元銀行員で、その後夫婦で農業を始めたという30代後半の方で、夫は平飼いの養豚、妻は平飼いの養鶏をやっているということでした。デンマークでは、農業は世襲ではなく資格制で、必要な教育課程を受けて資格・免許をとれば誰でも農業を始めることができます。まず土地に建物、それに様々な農機具などを購入する必要があり、資本の融資を受けそれを返済するために、一種のビジネスとして考えないといけません。それゆえ銀行員からの転身というのも別におかしくはないわけです。

親子の平飼いのブタ

養鶏の解説を聞く

 デンマークで一番盛んなものは養豚ですが、それを有機飼料で平飼いでやっているというのは大いに評価できることだと思います。普通の養豚業がわずか一メートル程度の小さな区画にブタを押し込め、ストレスから身を傷つけないように、あらかじめ耳や尻尾を一部切り取るという半ば虐待に近いことをして生産効率を上げているのに対し、ここでは親子のブタがいっしょの小屋にいるほほえましい光景を見ることができます。ニワトリも平飼いで、農業学校から実習に来ている学生も手伝っていました。

 あいにくの雨で泥だらけになり、またかなり寒くて厳しい日になりましたが、参加者のみなさんはけっこう見たものに関しては満足していたようでした。

 午後はヴァイエンの老人の活動センター、クヌーエプンクテットを訪問しました。みなで公共バスに乗っていきます。ここは昼間老人たちが来て手芸、工芸など好きなことをする場所です。デンマークでも福祉の予算の削減があり、こうした施設も厳しくなっているそうですが、NPOなどの形態で存続しているそうです。

ヴァイエンの老人の活動センター

 この頃には雨も上がり、晴れ間も見えてきましたので、希望者はヴァイエンの繁華街などを散策し、帰りを希望するものは駅前からバスで帰りました。アスコウ・ホイスコーレのバス停の前にはスーパーマーケットがあり、夜の交流会のために一部の者はビールなどを買いに行きました。ホイスコーレ内にも売ってはいるのですが、スーパーだと激安なので、そこで買い占めるわけです。

 夕食は最後の晩ということで豪勢になっていました。また夜の講義に出たケーキも豪華で、お別れ会の趣旨を表していました。夜の講義は現代デンマークを代表する知識人オヴェ・コースゴールが贈る協会ツアー参加者のためだけの特別講演です。これはアスコウ・ホイスコーレが企画したのではなく、オヴェが協会のためだけに無報酬で駆けつけてしてくれたものです。彼は北欧では著名な知識人になっていますので、講演を依頼するとそれなりの謝礼が必要になり、最初はアスコウも勘違いして、予算的に呼べないといっていたのですが、ボランティアで来るというと驚いていました。

講演するオヴェ

最後の夜のケーキ

 協会が縁をとりもって、2005年4月から一年間、オヴェのもとで恒吉紀寿さん(北九州市立大学)が在外研究をしており、このツアーにも参加しました。また高橋さんも2006年4月から一年彼のもとに滞在して研究することになっていたので、オヴェは二人の名前も出して日本とのつながりがますます強くなることをうれしく思うという挨拶で始まりました。

 オヴェはこの間政府のホイスコーレの今後にかんする諮問会議みたいなところの委員をしており、最近その報告書を出したので、主にその内容について話しました。ホイスコーレが危機を迎えているのは事実であり、それを乗りこえるためにはエフタースクールにならって、資格を与えてはどうかというのが彼の意見です。ハンス・ヘニングセンの講演では、ホイスコーレはあくまでもグルントヴィの伝統を守るべきという主張でしたので、好対照で興味深いものでした。

 講演が終わり、コーヒーも飲んでゆっくりしたら、オヴェと通訳の崎浜さんとのお別れです。崎浜さんは若い世代には兄貴分、あるいは精悍な好青年として人気があったので、若者たちが名残を惜しんでいました。

 その後、夜にはアスコウ最後の夜ということでみんなで集まり、交流会。部分的には毎晩していたのですが、全員が集まるというのは今回が最初でした。ツアーのもう一つのお楽しみがこれなのです。

8月26日(金)

  • ホルセンスヘ移動
  • 聖イブス小中学校訪問
  • その後各自各家庭へ半日程度のホームステイ

 朝食を終えて、片づけをし、次の場所ホルセンスに向かう準備をします。お世話になったウラとヘニングといっしょにみなで記念写真をとって、強い握手やハグでお別れをしました。「よかったね〜」の声も出て、一路バスはホルセンスへ向かいます。天気もよく、思い思いに景色を楽しみました。

ホイスコーレの前で記念撮影

 ユースホステルに着いてから、荷物をおいて、市の中心部まで歩いていきました。中華レストランで昼食をとったあと、クリスチャンの努める聖イブス小中学校へ行きます。残念ながら午後2時を過ぎていたので、児童はあまりいませんでしたが、校長のダンが学校を紹介してくれて、その後学校内を見学しました。校長室の会議室の壁にはここの卒業生で今はデンマークでも有名な画家になった人の絵が贈呈されて飾ってあるのですが、それは十字架に架けられたキリストのような格好をしたピエロで 「あかんべー」をしているものです。これを背景に職員や行政の役人と会議をするのですが、ダンによれば行政の役人は自分があかんべーをされているようであまりご機嫌ではないとのこと。デンマークの人たちのユーモアが感じられる光景です。日本なら役人におもねって視察のときはすぐに取り外すことでしょう。

解説をする校長のダン(後ろがその絵)

 音楽室には女性教員が残って何かしていたので、サービスで彼女がピアノを弾き、クリスチャンが歌ってくれました。この学校は音楽が盛んで、2006年10月には生徒のビッグバンドが日本にもやってきます。

 その後は五つのグループに分かれて、ショート・ホームステイをしました。それぞれデンマーク人の普通の家庭にいって、午後のお茶と夕食をともにし、語らい、彼らのふつうの生活を知り、交流をするというのが狙いです。近所の人を招いての夕食会もあれば、若者同士で車に乗ってドライブするというところもあり、各グループそれぞれの楽しみ方をしました。

 幹事の私は親友クリスチャンの新しい妻になるドレーテの家に、参加者4人で行きました。郊外の農村地帯にあって、広大な農地ももち、家畜も飼っています。馬ももっていて、彼女が手綱を引いて各自乗馬も試してみました。その後きれいな調度の客間でディナーをみんなで楽しみます。終わると居間でワインやコーヒー片手に語り合いました。ドレーテが教員ということもあり、藤森さんは教育の議論などをして盛り上がっていました。ドレーテは若い女子学生二人が積極的に家事を手伝うなどしたこともあり、日本の若者の元気のよさ、しっかりした点をあとですごくほめていました。

ドレーテの家で乗馬にチャレンジ

8月27日(土)

  • ヴェア教会へのハイキング
  • ヴェア教会と陶芸家ライラの工房見学
  • ホルセンス市の中世フェスティヴァル見物

 午前はユースホステルから四キロほど歩いてヴェア教会を訪問しました。天気がよく、林や芝生など緑豊かな道を気持ちよく歩いてこれ自体が一つの楽しみとなりました。ヴェア教会はクリスチャンの家が代々所属する教会です。今の牧師はグズムンといい、クリスチャンの友人でもあります。私たちのことを何度も聞いているらしく、初対面なのに昔からの知己のように親しく対応してくれました。グズムンとはデンマーク語でいえば「神の口」という意味になり、まさに牧師にふさわしい名前といえます。

林の中を歩く

ヴェア教会

 教会の中を説明してくれたあとは、デンマーク式の昼食を彼の家庭でとります。豪勢なバイキングで、参加者のみなさん大感激。彼はこのあと結婚式があるので、正装に替えて式に出て、クリスチャンはコペンハーゲンの友人の結婚式に向かいました。残った者はグズムンの妻ライラが工芸家で工房をもっており、そこを見学したり、庭でくつろいだりして、ゆったりした時間を楽しみました。昨日のホームステイからごくふつうのデンマーク人のライフスタイルをともに過ごし、このツアーならではのアットホームな内容が続いています。

盛装のグズムン

 その後はバスで市内へと戻り、ホルセンス市の中世フェスティヴァルを見物しました。例年8月のこの時期にある市を挙げてのお祭りで、ヨーロッパ各地から中世を愛好するサークルなどの人々が集まってきます。町の人たちも中世の格好をし、中世の食べ物や飲み物あるいはおもちゃやアクセサリーなどを売る露店やゲームなどの露店がぎっしりと建ち並び、一般のお店もそうした趣向をこらして、中世のビールなどを販売します。

中世フェスティヴァルのパレード

 このときデンマーク在住の三枝麻里さんと合流し、再会を喜びました。麻里さんはこれまでのツアーで通訳をお願いし、このツアーに欠かせない人でしたが、フルタイムの仕事についたために、今回は通訳ができず、かわりにホルセンスに来てもらっていっしょにフェスティヴァルを楽しむことにしたわけです。

 夕食は市内の中華レストランで摂りましたが、中国語の堪能な最年少の内田陽一君(小五)が通訳で大いに活躍しました。

 お祭りなので中高年のグループは一通り見たあとは宿舎に戻りましたが、若い人たちは遅くまで残って楽しんでいたようです。

8月28日(日)

  • ウルズロップゴーでのカヤック体験
  • テストロップ・ホイスコーレにて昼食のち見学
  • ウンゲイェム・エフタースクール訪問

 この日の午前は聖イブス小中学校のサマーハウスに行き、カヤックを楽しみました。この学校は郊外に研修所をもっており、季節に応じてここで自然を体験します。台所、宿舎などが完備されており、もともとこのツアーもここに宿泊する予定もありましたが、アクセスの問題でユースホステルになりました。

 ここのカヤックをフィヨルドまで運んで、カヤックを漕ぎました。この日はあいにく天気は曇りでやや風もあり、カヤック初心者には少し厳しい条件でしたが、みなさんチャレンジして、上手に漕いで楽しみました。北欧の人々はヴァイキングの子孫なのか、カヤック、カヌー、ヨット、ウィンドサーフィンなどの水上スポーツが大好きで、家族連れで楽しむのが常です。このプログラムもそうした雰囲気を楽しんでもらおうと企画したものです。

カヤックを楽しむ

 その後は丘に登って散策を楽しみました。参加者みんなの顔がほんとうにリラックスしていい表情になっており、遠い日本から来たツアーの一行というよりも、ずっとここにいて自然に風景とデンマークの暮らしにとけ込んでいるという印象を受けるほどでした。たぶん普通の観光旅行なら日数的に疲れとストレスがたまりいらいらする頃だったと思いますが、さりげなさとリラックスを旨とするこのツアーならでは光景だったと自負しています。

丘の上で

 昼頃にテストロップ・ホイスコーレに着き、昼食をとります。アスコウ・ホイスコーレでもホルセンスでも食事はどこもよいうえにおいしくて、みなさん食べ過ぎ気味。このテストロップ・ホイスコーレでもまた食べ過ぎて、その上アイスクリームとケーキのデザートがおいしいものですから、おかわりする人も多数。苦しいといいながらお腹につめこんでいました。このツアーは毎回ニックネームがつきますが、今回は「大食いホイスコーレ」が一番あてはまるようでした。

 テストロップ・ホイスコーレはグルントヴィの伝統にもっとも忠実な学校でありながら、そうした学校が学生募集で苦労しているのに対して、いつも多くの学生が集まることで有名なホイスコーレです。校長のイェルゲン・カールセンは伝統派の代表的な論客で、ホイスコーレに資格を与えようという改革派を批判している急先鋒ですが、それだけのカリスマ的な魅力と影響をもった人物です。そのせいもあってこの学校の知名度が高く、また学校の内容が充実しているために、卒業した者たちの評価がとてもよくて口コミで人を集めているとも聞きます。イェルゲンはきさくな人当たりのよい人物で、参加者を歓迎し、ホイスコーレの歌を歌う意味を講義して、みなでホールでグルントヴィの歌を歌いました。

歌の解説をするイェルゲン

 学校内の案内を受けた後は、またバスに戻り、今度はウンゲイェム・エフタースクールを訪問しました。校庭に来ると生徒たちが迎えに来ています。土曜日なので、本来は家に戻る日でもあるのですが、日本からのゲストが来るというので、帰らずにみな待ちかまえていたのです。まずはテーブルについて冷たい飲み物やコーヒーなどを飲んで、日本人の一行はそれぞれ生徒たちのテーブルに別れて、そのグループで行動を共にすることになります。生徒たちが英語で学校をガイドして案内してくれます。寮にはカップルがどうしたとかいう落書きや掲示もあり、いかにもティーンエイジャーという感じでした。最後はホールに全員集まって、この学校を示すビデオを上映して、生徒たちとともに楽しみました。のびのびした学校生活が表現され、日本人参加者にも印象に残るものでした。

 そのあとは、食堂に集まって生徒たちとともに夕食を食べました。つたないながらも英語で各自コミュニケーションをとり、交友を楽しみました。大学生のみなさんは年が近いこともあって、若者同士のノリで交歓していました。ホスピタリティあふれるもてなしに大満足をして帰路につきました。

生徒たちと語る

 帰ってからはユースホステルの芝生で、「イドラット・フォルスク」をして長い夕べの時間を歓声で過ごしました。そしてホルセンスのコースも今日で終わりということで、クリスチャンを囲んで、感想などを語り合ってこの日を終えました。

8月29日(月)

  • H・C・アンデルセン博物館見学
  • グルントヴィ運動のセンター、ヴァートフ訪問
  • 市内観光、ショッピング
  • チボリ公園で自由行動

 朝見送りに来たクリスチャンと別れを告げてバスでコペンハーゲンに向かいました。途中オーデンセに寄って、H・C・アンデルセン博物館を見学する予定でした。2005年はアンデルセン生誕200年祭の年でした。しかし交通渋滞などあって、予定より大幅に遅れて到着し、30分くらいしか見学できないということになりました。アンデルセン博物館は恒吉さんが家族で一度最近来られたというので、案内をまかせました。時間がなくなりゆっくり食べる暇がなくなったので、幹事の私はその間昼食の買い出しです。

オーデンセの街

 あとで話を聞くと、恒吉さんが場所を案内し、これがおみやげ屋さんといったら、そこに多くの人がどどっと入ってしまって、肝心のアンデルセンの家の中に入る時間がなくなってしまったとか。私はイスラム系のお店で「シャワルマ(トルコ語ではケバブ、中東の軽食、グリルした肉と香辛料たくさんのドレッシングつきの野菜をピタパンで挟んだもの)」を買い込み、両手一杯でバスに運びます。初めて食べる人も多く、おいしいと好評でした。ヨーロッパに来たら(中東はもちろんですが)、これは一度は味わうべき食べ物です。

 時間はどんどん押して、予定がずれていくので、バスから運転手の携帯電話を借りて、ヴァートフに遅れることを連絡。コペンハーゲンのホテルに3時に着くと大急ぎで向かいます。こちらは4時が終業時間だし、日本と違って4時になると途中でもピタリと仕事を中断するのが普通なので、急がないといけないわけです。

 ヴァートフでは通訳の萬屋さんと現在デンマーク滞在中の会員山田淳君と落ち合う手はずになっており、彼らも待っていました。無事合流して、事務局長のハンスに解説と案内をしてもらいます。グルントヴィが晩年牧師をしたヴァートフ教会やホールなどを回り、グルントヴィ図書館だけは司書のリセロッテがガイドしてくれました。4時を過ぎてもハンスはそのまま続け、質問にも丁寧に対応してくれて、ホイスコーレ・ファミリーらしいアットホームさを感じさせてくれました。

案内をしてくれるハンス

 ヴァートフはコペンハーゲンの一番の繁華街ストロイエの入口近くにあるので、そのまま市内観光とショッピングに移ります。各グループに分かれて、行動。時間がないので運河ツアーなどは無理でしたが、ロイヤル・コペンハーゲンの本店に行き、デンマーク人が主として購入して日常で使う二級品の階に案内し、安めのものなどみなさん賢く購入していました。

 夕食はモンゴルレストランでモンゴリアン・バーベキュー。安くて日本の味にも近いので好評でしたが、食べ放題なので、ここでも食べ過ぎて、「大食いホイスコーレ」の面目躍如。高橋さんのご厚意でワインで乾杯して旅の疲れをねぎらいます。また解散・選挙のために直前にキャンセルせざるをえなかった田尾さんのツアーの皆さんへのカンパもここで生かされました。ありがとうございました。

 食事のあとは最後の夜をチボリ公園で過ごします。アンデルセン生誕を記念したフェアリーテイル・ショーなどがあり、幻想的な雰囲気を楽しみました。オヴェと彼の妻クララは、われわれがここに来るからと実は先に来て待っていたのですが、予定が2時間ずれてとうとう入れ違いになってしまいました。あとで気づいたことですが、申し訳なかったと同時に彼らの心遣いに感謝です。

チボリでのショー

 翌日朝、帰国する人、まだ残る人に別れてみなさんたくさんの思い出をもって、解散しました。つつがなく終了できたのは参加者のご協力のおかげであり、その意味ではみんが当事者となってつくりあげ、助け合い、演出したツアーでした。たくさん見、たくさん学び、たくさん笑い、たくさん交流し、たくさん(?)食べました。参加者のみなさん、デンマーク側の関係者に心より感謝申し上げます。

 たいへん好評でしたので、今年もまた同じコースで行います。昨年参加できなかった方、関心のある方、どうぞふるってご参加下さい。

参考:ツアー・フォトアルバム