アンドラゴギーとN・F・S・グルントヴィ
―批判的なリンク

クレイ・ウォーレン


 スチュワート(Sewart 1987)は、合衆国で「成人教育の父」と呼ばれる人物についてのもっとも浩瀚な最新の研究を著した。彼はその中で、成人教育に対するアメリカ人の前例のない要求があるということから、エデュアード・リンデマンと彼のアンドラゴギーについての思想の再吟味を正当化している。さらに「伝統的な施設における伝統的な教育者は、大人と成人教育についての彼らの仮説において新しい外観をとっている。彼らが自分たちのクライアントのために希望に満ちあふれた未来を見るときには、成人教育者は哲学的な指標を求めているのである」(p. 8)。私は、デンマークのエルシノア(ヘルシンガー)にある「インターナショナル・ホイスコーレ」のアカデミック部門で二年間研究滞在したことから、哲学的な指標を求める試みは、必然的にN・F・S グルントヴィと呼ばれるデンマークの思想家にまでさかのぼって見なければならないと私は確信するようになった。スチュワートも述べているように、彼は「母国とスカンジナビアの隣国をのぞけばあまり知られていないが、しかし彼の母国以外の多くの国で、知的、社会的、政治的、そして宗教的な生に実質的に影響を与えた」 (p. 115)。それらの一つに、アメリカ、カナダも入るだろうか?リンデマンがアメリカの成人教育の父と呼ばれるのであれば、グルントヴィも西洋の成人教育の父と呼ばれてしかるべきではないか?

 これらの思索は次の研究課題に焦点があてられている。すなわち、いかにしてグルントヴィの生涯学習の哲学は、アメリカの成人教育分野の学者に影響を与えたのか?この論文は以下の展開によってその問題を探索しようとするものである。(a) アメリカの主要な成人教育学者の考えが要約され、(b) グルントヴィの教育哲学が明らかにされ、(c) グルントヴィの学びの哲学とアメリカのアンドラゴギーの指標が比較検討されて、(d) グルントヴィの貢献の認識の検討がなされる、という具合である。
 
 
アメリカにおけるアンドラゴギー

 アンドラゴギーという用語は、アンダーソンとリンデマン(Lindeman 1927)によってアメリカにもたらされた。しかし、その言葉が定着するまでに、40年以上が費やされたことになる。ノウルズ(Knowls 1970)はアンドラゴギーを定義して、「成人の学びを援助する技術と学問」とし、彼の好評を博した本の中で詳細にその概念を展開している。それ以来、その概念に関係した本は多量に出ている。
 6年前に、様々な学術施設で卒後教育のプログラムを指導している成人教育の大学教授たちが、リンデマンの『成人教育の意味』とノウルズの『成人教育の現代的実践』を成人教育文献の中で、最重要の二冊として挙げたことは、別に驚くべきことでもない。この二つの著作はアメリカのアンドラゴギーの研究においては重要なものであり、そこに含まれる基本的な考えは、試験よりも優先的に与えられるべきものがあるということであろう。


リンデマンの成人教育論

 リンデマンは、アンドラゴギーをアメリカに紹介したほぼ同時期に、彼の最初で唯一の成人教育の著作を発表している。その序文で彼は、アメリカの成人教育が直面している原理的な危険性を警告する。「われわれは、その意味を理解する以前に、アメリカナイズするかもしれない。知性に対立する達成という方法になれてしまっているのである。われわれは結果の量ばかりを測っている」(『成人教育の意味』XXXp.)。この警告の後、リンデマンは、新しい種類の教育の四つの仮説をただちに提出している。これは彼のアンドラゴギーのアプローチの核心を形成するものである。
 1,教育は生きることそのものである。まだ見ぬ未来の生活のためのたんなる準備ではない。
 2,教育は非職業的な理想を中心とする。
 3,成人教育のアプローチは状況のルートを経由し、科目ではない。
 4,成人教育の最高の価値の源泉は、学ぶ者の経験である(p.4-6)。
 何人かの学者は、リンデマンが後に前提の三つ目の考えを大幅に変えたと主張している。たとえば、ブックフィールド(Brookfield 1984)は、リンデマンは「彼の初期の主張を撤回し、成人教育に適切なカリキュラムはどうあるべきかという問題に注意を向けた」(p.193)と書いている。この解釈には疑問は残る。リンデマンにおける『カリキュラムの問題の仕上げ』(Lindeman 1945)はブックフィールドも触れているように、状況から直接に生じる関心すら主題になっていないからである。
 リンデマン(1945)はこれらの問題を次のように明確にしている。「根本的な差別という根強いわれわれの習慣にかんしてなさればならないことは、われわれの広大な教育の設備をいかに民主化しなければなならないかということ、そして、世間の事象で適切な役割をどうこなすべきかということである」(p.12)。こうしたことは、学ばれる科目のカリキュラム的な計画表を構成しはしない。それは参加者中心の学びの討論のトピックであり、それで人々を啓発に導くものである。
 リンデマンが明らかにしたアンドラゴギーの四つの仮説は、最初から終わりまで、生涯学習の彼の哲学の核心として、受けとられるものであろう。この中心的な価値は、それが適切な方法で実施されるならば、あらゆる者によって求められる目標、すなわち「覚醒(啓発)」に至るはずである。「知的な目覚めの時期は、正確に『覚醒(啓発)』といわれる。なぜなら、知を愛する者は、学びの光を経験に当て、それによって生の新しい意味、新しい生の理由を発見するときがそのときだからである」(Lindeman,1926)。
 
ノウルズの生涯学習論

 マルコム・ノウルズはリンデマンが彼の生涯学習論に大きな刺激を与えたとはっきりと確証している。
 
 「エデュアード・C・リンデマンは私の第一の師である。[『成人教育の意味』は]この四半世紀の間、インスピレーションとアイディアの私の中心的な源泉であった。私は今でもインスピレーションを得るために年に一度は読み直す。1926年以前に定式化され、最近になってようやく研究で確証された思想を見ると、それが得られるのである。私はリンデマンは現代の成人教育理論の予言者とみなしている」(スチュワート[Stewart 1978]、ノウルズの序文から、p.xi )。
 
 それゆえ、アンドラゴギーの概念を、子どもへの教育と区別する四つの理論的な構成部分に分けて発展させ、世に広めたのはノウルズであるということは妥当である。
 1,成熟した個人として、自己概念は依存から自己による方向づけに移動する。
 2,成熟は学習の増加するリソースとなる経験を蓄積する場となる。
 3,成熟した個人として、学びの準備性はだんだんと個人の社会的な役割に向けられる。
 4,成熟した個人として、学びへの方向づけは学科中心ではなく、問題中心と徐々になっていく。(Knowles, 1970, p. 39)
 この二人の教育者の考え方の類似性は明らかである。彼らは成人教育とは、学ぶ人が中心で、協力的な冒険として遂行されるのが最良とみなしたのである。
 
 成人教育の他の理論家
 
 成人教育の哲学を議論したアメリカの内外の人々は、アンドラゴギーの原理のすべてで一致することはほとんどない。しかし、教育は生涯続くべきであり、学習者は伝統的な教育の場合よりも、学ぶ内容にはるかに大きな発言権をもつということはだいたい共通している。たとえば、イリイチ(Illich 1971)は、学習者が自律すべきであるという提案をもつ、もっとも激烈でたぶん一番よく知られた議論を書いている。自由のための教育の提唱者であるフレイレ(Freire 1970)は、教師は学生から学ぶべきであるというところまで行った。おそらく理想的な生涯学習の大学をもっとも簡潔にまとめたのはアメリカのマスロー(Maslow 1971)である。そこでは何の証書もなく、要求された課程もなく何の学位も与えられない。「[そこでは]個人は学びたいものを学ぶだろう。教育は子どもも大人も、愚か者も天才も含めて、学びたいと思う者には誰にでも利用できるものであろう。…その大学は学びの生涯にわたって続き、人生全体を通じて場所を得ることができる」(pp. 182-183)。コンティ(Conti 1985)は教育のスタイルと成人学習についての彼の調査の中で、アンドラゴギーの文献を概観しているが、彼は、成人教育の主要な理論家に共通するこれらの原理を統合整理した。
 
 「成人教育の文献のかなり多くの部分で、成人を教える最も効果的で適切なスタイルとして、共同でする様式が支持されている。この点で、リンデマン、バーゲヴィン、キッド、ホウル、ノウルズ、フレイレの書物は多くの共通性を示している。総じて彼らは、カリキュラムは学習者中心であるべきであり、学習のエピソードは学習者の経験を利用すべきである、学習者は必要なものの診断、目標の形成、成果の評価に参加すべきである、成人は問題志向であり、教師は事実の集積者というよりはファシリティターとして仕えるべきであるということを論じている」(p. 221)。
 
 
生涯学習についてのグルントヴィの哲学

 N・F・S・グルントヴィ(1783-1872)は、デンマークの神学者、哲学者、詩人であり、知的な巨人である。彼は躁鬱病ために、二度牧師職を辞めたことがある。グルントヴィは生涯にわたり、長時間の研究と労作によって、宗教と歴史と詩文の関係、ならびにそれらと人々の生との関係を明らかにしようと努力した。その帰結は、100巻から150巻とも見積られる膨大な著作になって残っているが、それらのほとんどは出版されてはいない。
 
哲学の概観

 グルントヴィは考えただけでなく、彼の哲学の成熟への過程を記している。その過程は内的な不一致に満ちた諸作品の一大図書館となっているほどだ。それゆえ、構造的に明らかにするために、以下にグルントヴィの哲学の概観を要約するが、しかし、これは(トルストイの)『戦争と平和』をわずか2p.で要約するようなものだと理解されたい。
 50歳の頃、グルントヴィはついに、彼の考えてきた問題、すなわち人々の生と宗教、歴史、詩文の関係の規定について、多かれ少なかれ満足できる解決に到達した。人間が残してきた宗教、歴史、詩文の業績はみな、人々が友愛に伴われる相互の自由の中で、彼らの生を理念的に生きるときに必要なものであるとグルントヴィは考えた。しかし、これらの遺産は、自由に相互に作用すべきだとしても、人生のシチュー鍋で形のない知的な活動の塊にまで煮つめるべきではないのである。グルントヴィのキリスト教精神は、宗教によって歴史と詩文が包摂されることはなく、対等なレベルでそれらを活用したのである。それは1800年代の僧正の書き物にしては驚くべき知的な位置づけであった。最終的には、宗教、歴史、詩文のゴールは、生の啓発だったのである。
 
 生の啓発
 フォルケホイスコーレでは彼に敬意を表してこの言葉を語るが、グルントヴィは疑いなく、啓発の最も正確な説明を提供しているのである。この言葉は、グルントヴィの学びの哲学の中心的な地位を占めるとされている。
 
 「有益で楽しみ多い人生を送る仕方を学ぶためには、大多数の人々は本をまったく必要とはしていない。必要なものは、正直な心、健全なコモンセンス、かなりよい耳、よい舌、そしてそれから充分な活発さである。これらは、陽光が差したときに、人生がいかに見えるかを示し、人々に注意を喚起することのできる正しく目覚めた人々と語ることのできるものなのだ」(Grundtvig, 1832-1855; 1976, p.3)。
 
 この説明は皮肉なものに見えるであろう。グルントヴィは彼自身の研究をほとんど捨て去ることはなかったし、事実、彼自身は、あらゆる形の本の読書と執筆に占められていたのであるから。にもかかわらず、啓発の概念は彼の哲学の核心を構成する。これはときにはキリスト教の原罪の考え、すなわち、人はあがなわれるべきであり、それゆえに来世ではよりよき生を楽しむという考えとの断絶が避けられない地点にまで至るのである。グルントヴィは人々は現在に生きるべきであると考えていた。しかし、キリスト教は来世のことを考える。書物はグルントヴィが「死んだ言葉」((Grundtvig, 1832-1855; 1976, p. 20)と呼んだ過去の残骸である。他方で「生きた言葉」は人々を現在につなぎ止め、そういうものとして生の啓発の教育的な作用と呼ばれるだろう。
 
 生きた言葉
 既成の神学の位置づけと反対に、グルントヴィは、神の恩寵を得ることで原罪があがなわれる必要はないと考えるようになった。人々は彼らが好んでそれを拒絶しなければ、生得的にその恩寵を喜び、告解と抑圧的な方法をもった死んだ言葉で方向づけられたシステムがさらに生産されそうな環境すら楽しむ。直接に教会と聖書にかかわるきわめて困難な決定において、グルントヴィは生きた言葉に知的な重きを置いた。その際、書かれた規則と規制を重要視せず、必然的に人の啓発の探求において口頭での相互作用を強調しつづけた。この決定はグルントヴィの有名な表現「まずは人間であり、その次にキリスト者である」を補強し、彼の重要な変化のときにまでついて行ったのである。(Grundtvig, 1976, pp. 140-141).
 
 変化
 数年にわたる歴史の研究によって、グルントヴィは西欧の多くの政府に受け入れられているラテン的な概念は間違っていると確信した。市民は国家のために存在するのではなく、逆に国家がその市民の創造物として見られなければならないと彼は考えた。しかし、国家がひとたびつくられたら、それは平穏を維持するために圧力をかけるだろう。静的であろうとする実体は本来は変化するものである自然の秩序に逆らう。それゆえ市民は彼らの創造物たる国家を監視しなければならない。なぜなら国家は宗教と同様に、つねに人々のためにあるべきであり、決して人々に先立つものであってはならないからである。人々を守る自明の道具が「生きた言葉」であるとグルントヴィは論じた。目覚めた対話だけがこの変身を推進できるものである。人はそうしなければ、自分自身について学ぶことはできず、同じ状態にとどまることに長けており、実際そうしようとするからである。
 
 友愛と自由
 明確に表現すると「グルントヴィは人間の友愛と相互の自由を提唱したが、その二つは、目覚めた人々が生きた言葉を通して互いに生を分かち合うことができる活動を中心とした国家を支える価値である」(Warren 1987, p. 7)。他の人間との関係は人の自由を妨害するという考え方に対し、グルントヴィは、人が友愛をもたなければ、その者は自由ではないと主張した。逆に、人が自由を自己と他者との間に育まなければ、人は真の友愛を決して楽しむことはできない。友愛と自由がなければ、啓発された生を生きることは不可能であり、人が築き上げた生を楽しむこともむずかしいであろう。
 
 哲学的な適用
 
 哲学の成熟を求めてグルントヴィが奮闘する中、彼は利用できる教育的な手段を思考した。そこでは生の啓発、生きた言葉、交流、友愛と自由が適用される。デンマークの「黒い学校」はしかしドイツの学校に似ていた。それはあまりにも多く外来のラテン文化を通して、あらゆる者に向けられた無表情の論理と際限のない暗記で成功するように人々を強制し、システムから疎外させるものである (Grundtvig, 1976, pp. 151-157)。この圧政とも見える組み合わせはどんな人間の魂の発展も啓発することはなく、むしろ窒息させるであろうとグルントヴィは断言する。政府や宗教のように学校は人々に奉仕すべきであり、それ以外にはない。グルントヴィ自身の独特の表現では以下のようになる。
 
 「人生はそれが経験される前にさえ説明可能であり、教養ある者の意見に従っておとなしく自分を変えるというのは典型的なドイツ的考えである。この風変わりな考えが教育の構造に組み込まれているところではどこでも、どんな学校であれ、生命それ自身を犠牲にしながら害虫が生きているような死滅の場となる。私は断固としてそういう奇妙な考えを拒否する。一つの教育の施設としての学校が生に役立つ潜在的可能性を実現しなければならないとすれば、この学校は何よりもまず、純粋に知的な活動やそれ自身の制度的地位に最高の優先権を与えるべきではなく、生の問題を解決するのに役立つ任務をその主要な教育の目標としておかねばならない」。(p. 153)
 
 グルントヴィによってイメージされたような学校は存在しなかったため、それらは新たに創造されなければならなかった。この種の学校は啓発と「フォルケリヘズ(民衆の自由)」の概念を包括しする。グルントヴィは実際、この種の大学が「フォルケリヘズ(民衆の自由)」によって啓発を達成すると望み、それゆえ彼のビジョンはフォルケホイスコーレ(民衆の大学)と呼ばれた (Grundtvig, 1832-1855)。フォルケホイスコーレでは、学生は型に従うよう教育されるよりも、むしろ才能が開花するように鼓舞されることが望まれた。鼓舞の教育的な道具は生きた言葉であり、三つの重要な相互作用を育成するとされた。すなわち、教師と学生、学生同士、そして国民の詩と教育の共同体の間での三つである。(Warren, 1987, 1986, & 1985).
 
 教師と学生の相互作用
 グルントヴィ主義の教室では、学問よりは生の能力が中心となったので、教師はいくつかの科目の完全な知識以上のものが要求された。彼らは、育みの態度、エネルギッシュな精神、対話的な行動を示さなければならないのである。情熱的な鼓舞と対等なギブ・アンド・テイクの討論を通して、学生の生の火花をあおって活発な勢いのある炎にまでもっていく責任が彼らにはある。グルントヴィは70代になっても、教師のバイタリティの必要を強く確信していた(Grundtvig 1976) 。「われわれはもっとも元気のいい人を教師として選ばなければならない」 (p. 174)。学生は教師に教えられるためだけにそこにいるのではなく、反対に教師に教えるためにもそこにいるという理由で、[一方的な]講義はたいてい不要なものとみなされる羽目になった。デンマークの高名なグルントヴィ学者であるブッゲ (Bugge 1965),によれば、この「相互的な教育」はグルントヴィの理想的な学びの過程の思想である。
 
 学生同士の相互作用
 学生はフォルケホイスコーレに生涯とどまるわけにはいかない。それゆえ、彼らの間での対話、目覚めた教師によってモデルとしてつくられたような対話を遂行することを彼らが学ぶことが、グルントヴィにとっては大事なことであった。この適用の拡張能力がなければ、学生に現実の世界は約束されない。さらに、人々は信念と行動では互いに異なっているので、対話の範囲を広げるために、学生が多様な者から構成されることをグルントヴィは提唱した。この考えは彼の時代にあっては、貧しいものと富裕者、男と女、あらゆる世代が混ざることを奨励したということで、ラディカルなものだった。
 
 国民の詩と教育共同体の相互作用
 啓発を深くかつ広くするためには、学生を一分咲きから満開にまで涵養することが必要である。グルントヴィは詩人であったので、人の存在の内奥の探求が困難であることを知っていた。にもかかわらず、この相互人格的な探求のみが各人の自己評価を確かなものにできるのである。詩ということでグルントヴィが意味したのはセラピー的な互いの交感であり、美的な交流とは限らない。詩は「生の人格的な解釈とコミュニケーションの仕方がいかに必要であるかを明らかにするものである。その結果、絶望に陥りがちな人の心にある疑いを防ぎ、静める」 (Thaning, 1972, p. 97)。グルントヴィは、それを詩的に表している。
 
 陽光の暖かさに花々は開き、
 真実の目覚めは育ちゆく
 それは純正の黄金よりも価値があり、
 神と自己がほんとうに知っているのはこのことなのだ(p.143)。
 
 この詩に表された過程を実現するために、国民詩人たちはフォルケホイスコーレを訪れるべきであるとされた。彼らの洞察と雄弁はフォルケホイスコーレの使命、すなわち生きた言葉を通じての生の啓発を元気づけ、学生同士の相互作用のコミュニケーションを鼓舞するであろう。
 
 フォルケホイスコーレのモデル
 この三つの相互作用が生きた言葉が働く場として使われることで、グルントヴィは少なくとも八つの明確な特徴からなるフォルケホイスコーレ・モデルを要請した(Grundtvig 1832-1855)。
 
 a) 教科は重要ではない。最重要なことは、教師と学生両方が彼らが選択した科目が何であれ、それに関心をもつかどうかである。
 b) 教育のコミュニケーションの道具は対話であるべきである。
 c) 試験、成績、学位は一切学生には課されない。
 d) 学生の滞在期間は制限があり、通例、一タームで三〜四ヶ月。例外的に、二タームが連続することもある。
 e) 学期中は学生は学校で暮らす。
 f) 身体を使った同一の形式の企画の場合、学生は共同で行う。
 g) どのタームでも教育のコミュニティは自主管理とされる。
 h) 教師も学生とともに学校に住む。
 
 こうした特徴をもったフォルケホイスコーレは学生を助けて、彼らは生に役立つ効果的な認識の原理を学ぶ。そのような教育の場でこそ、行動的な熟考と反省的な行動が一つになり、啓発された生が生きた言葉によって鼓舞され、人々の生が豊かになり、自由になる。彼らの人生全体を通して、人々は学生あるいは教師として、フォルケホイスコーレに戻り、自己の感性を再活性化するのである。フォルケホイスコーレこそは、グルントヴィの生涯学習の哲学を凝縮したものといえる。
 
 
グルントヴィとアンドラゴギーの対比
 
 リンデマンとノウルズのアンドラゴギーの仮説は内容的にも量的にも相互にかなり似通っている。実際にスチュワート(Stewart 1987)が要約したところによれば「ノウルズの成人教育の理論はリンデマンの『成人教育の意味』の初期のモデルから仕立てられている」(p.6)。ほかの指導的なアメリカの教育者によって発展させられた方向に沿ってこの基本的な四つのパートの構成を再発見することで、統合された位置づけがつくられる。このまとめはグルントヴィの生涯学習の哲学に対して、比較を容易にするために、二次的なものに整理して、並記される。図1は結果を示す。
 よく考えられた試験はアメリカとグルントヴィ主義者のアンドラゴギーの展望の間にある適応の良さを表すだろう。結果の焦点を横切って、方法と研究の問題、教師と学生の役割、学ぶ理由、展望の類似性に注意すべきである。
 しかし、フォルケホイスコーレは首尾よくアメリカに導入されたわけではない。リンデマンはこの導入を試みようとはしなかった。移民たちは同種の学校をアイオワ、ミシガン、カリフォルニアなどの州で始めたが、存続するのに失敗するか、もしくは学位を与える大学になるかだった。テネシーとカリフォルニア北部にある二つの学校だけがデンマークのフォルケホイスコーレに近いものを今日も維持しているものだろう(Parke, 1977; Larson, 1970)。ついでに触れておくべきことだが、実践は理論を必ずしも追う必要はない。グルントヴィ主義者とアメリカのアンドラゴギーの理論の一致にかかわらず、アメリカの成人教育コースが学位や修了証明がないとか、学科中心ではないと断言するのはかなりむずかしい。実際、その逆はおうおうにしてある。
 
 リンデマンとグルントヴィ
 
 リンデマン(1926-1961)が、デンマークの成人教育に対して情熱的であったことは明らかである。
 
 「デンマークの生活では、人は他の先進国では味わえないような教育の興奮を見出す。グルントヴィの時代から、デンマークの大人たちは生と啓発の間にある大口を開けた深い淵を閉じるべく、生涯の終わりまで続く教育のシステムを築くことによって、闘ってきた。人が長い観察の後に始める成人教育は文字の読めない市民を読めるように変えるだけではない。それは生の価値の総体的な構造を再構築したものなのである」(pp. xxix-xxx)。
 
 キッドはリンデマンに対するデンマークの影響を『成人教育の意味』の復刻版の序文で確認している。「彼の両親の故国であるデンマークへの訪問は、この本からも明らかであるように、はなはだ影響の深いものであった」(以下の本からの引用Lindeman, 1926/1961, p. xxiii)。晩年にリンデマンはこう書いている(Lindeman 1945)。「デンマークの経済的ならびに社会的なルネサンスの主要な原因はフォルケホイスコーレであった。そして、それゆえに、私がデンマークから帰ってきたときに、成人教育を熱心に提唱しようと確信したのである」 (p. 4)。スチュワート (Stewart 1987)は、グルントヴィに由来するリンデマンへの影響の八つのスレッドを確証するだけではなく、明確に断言している。「自由に生きること、ならびに学びの中の自由は『成人教育の意味』の全章にわたって、リンデマンによって展開された二つのトピックである。どのp.にもグルントヴィの哲学が踊っている」(p.126)。実際、リンデマンは、教育の目標を叙述するためにグルントヴィの「啓発」の概念を知っており、その使用を認めている。だが、デンマークのアンドラゴギーのリンデマンのへの影響がこれほど明らかに認められるにもかかわらず、グルントヴィについては『成人教育の意味』の中では、たった一回触れられるだけで、他には一切の引用もない。彼が他者の引用を嫌っていたというわけではない。というのも、リンデマンは、デューイやサンタヤナ、ホワイトヘッドといった学者の引用を自由に行っているからである(さらにリンデマンは、自分の祖先はデンマークといいながら、フォルケホイスコーレの語義である「民衆の大学」の綴りを、デンマーク語の folkehojskole ではなく、ドイツ語の Volkshochschule にしているのは奇妙なことである)。
 スチュワート(Stewart 1987)は、異例の引用の説明の理由を二つ挙げている。まず一つめは、リンデマンが「グルントヴィの論文や著作を読むことができなかった。というのも、英語でそれが読めるようになるのは、1976年になってからであるから。だから、彼はグルントヴィから直接に、まったくいっていいほど引用しなかったのである」(p.127)。この理由は妥当であるように思われる。グルントヴィの著作は英語で出版されたものを見つけるのは困難である。それでも、リンデマンがデンマーク人の先祖をもつと主張するのに、それが言葉の問題を解決できないのはどうしてかという疑問が再度出てくるが、スチュワートは、以前には入手できなかった家系の情報を使って、「エデュワードは生まれはたしかにドイツ系であった。デンマークはリンデマンにとっては心理的に深い必要として働いた。ドイツの伝統とは違った別の必要として」(p.129)と書いている。最近になってようやくこの問題が明らかにされたが、リンデマンのいわばねつ造したルーツは彼の著作や講演で自信をもって言及されているので、以前に序文を部分的に引用して構成しているキッドでさえ、このことを知らなかったのである。
 スチュワートが与えた二番目の理由はもっと思弁的なものである。「リンデマンがグルントヴィと哲学的な結びつきを明らかにしていないもう一つの理由がある。おそらく彼は偉大な哲学者の広大なキリスト教の神学体系と同一視されることを望まなかったのであろう」(p.127)。だが、この説明は受けとりがたい。その一つの理由として、グルントヴィは敬虔主義者ではあるけれども、彼は狂信的でもなければ、保守的でもなかったからである。「グルントヴィのキリスト教理解は教会の歴史と何ら並行していない。…彼は自分を職業的な神学者と見なすことはなかった。むしろ人間の生のために、グルントヴィはあらゆる既成の神学にきわめて批判的であった」(Thaning, 1972, p. 142)。リンデマンはおそらくそうした偶像崇拝を破壊する位置を占めるのを楽しんだのであろう。さらに、リンデマンが大学時代に名前を変えたとき、彼はキリスト教のミドルネームに決めた。そういう選択は宗教的な含みからはまったく自由であったわけではないだろう。
 リンデマンが、他の資料には触れながら、グルントヴィについては引用もせず、触れることもあまりしなかったのは、彼がこのデンマーク人の著作を読まなかったからだという理由が妥当であるように思える。だが、リンデマンのデンマークの旅の最中、彼はグルントヴィの思想についてたくさん耳にしたことは疑いない。この哲学こそがリンデマン自身のアンドラゴギーの基本的な価値に最も深く啓発を与えたものにほかならないのである。グルントヴィも彼の哲学がその後のアメリカの成人教育にそのような影響を与えたことをさぞかし喜んだことだろう。しかも、書かれたものではなく、生きた言葉によって、である。
 
 他のアメリカの成人教育学者とグルントヴィ
 
 スチュワート(Stewart 1987)は、手元にある英語の文献からグルントヴィを調査することの難しさを書いている。
 
 彼の著作で英語に翻訳されたわずかな部分を調べるだけでは、ニコライ・グルントヴィを定義するには超えがたい大きなハードルがあることに私は遭遇した。以前には未開拓のこの研究に入るには、デンマーク語の文献が本質的に重要であることが明らかになった。 (p. xvi)
 
 だが、スチュワートは概括的な研究をして、そういう表明をしておりながら、[デンマーク語の文献に触れることなく]すでに英語で入手可能なグルントヴィの文献だけに言及し、引用している(たとえば Bugge, 1965)。また、彼がカイ・タニングのグルントヴィの伝記にはまったく触れていないのは不可解である。これは[デンマーク政府の機関である]デンマーク・インスティチュートによって出された英語で利用できるグルントヴィの公式な伝記である。他のアメリカの成人教育学者の仕事を調べてみても、同じように、グルントヴィの生涯学習の哲学の直接の知識と認識が欠けているのがわかる。キッド(Kidd 1959/1973)やバーゲヴィン(Bergevin 1967)、ノウルズ(Knowls 1970)、それにホウル(Houle 1972)の著作を読んで、グルントヴィの情報を手に入れようとする者はいないだろう。たとえば、そこでは、著書の前提の基本となる文献についての次のような説明や約束を見ることになるだろう。
 
 ここで呈示されている成人教育の体系は、成人教育の多くの思想、信条、体系に多くを負っている。これらはみな実践のガイドとして広く支持されてきたものである。これらのトピックの分析は入念につくられた文献の研究にもとづく。これらの文献は巻末の文献についての文章にまとめられている。(p.3)。
 
 この66ページの文献案内はよくできているのだが、グルントヴィの著作を何一つ含んでいない。本の中味の中で、ホウルはグルントヴィに二回だけ短く触れているが、二度とも生きた言葉の助けを借りた有能なリーダーシップの役割を叙述している箇所である。だが、彼は生きた言葉を定義してはいないのである。
 それほど前の話ではないが、アックスフォード(Axford 1985)はグルントヴィの成人教育者へのインパクトについて論文を著した。その最初に彼は、インターナショナル・ホイスコーレの創立者であるペーター・マニケを、「グルントヴィの著作」(p.8)にもとづいてその学校を創設した者として、引き合いに出しているにもかかわらず、グルントヴィの著作が、そこに挙げられたアメリカの成人教育学者( ノウルズ、バーゲヴィン、キッドなど)に読まれ、批判的に評価された直接の証拠がほとんどない。その代わり、キッドは「グルントヴィの思想に大きく影響された」とかクリッチは「彼の哲学と成人教育のプログラムに対するグルントヴィの影響を確かなものとしている」という主張が見られる(p.7)。しかし、クリッチ(1979)の著作を検討してみれば、グルントヴィの著作による哲学の研究はなく、ただデンマークとポーランドのフォルケホイスコーレの研究があるだけである(Kulich 1984も見よ)。
 要するに、グルントヴィと彼の生涯学習の哲学はアメリカの成人教育の文献では批判的に検討もされず、認知もされていないのである。しかるに、他方では、彼の影響は間接的にほとんどの成人教育学者に及んでいる。まずはリンデマンがその考えを伝達し、次にはデンマークのフォルケホイスコーレのモデルを通じて広がったのである。フリーデンタル・ハーゼ(Friedenthal-Haase 1987)がドイツで述べたことはアメリカにもあてはまる。すなわち、グルントヴィの「影響は彼の生涯の作用と間接的には彼の実践的な活動によって感じとられたのであり、彼の著作を直接にものにしたからではない」(p.17)。
 
 
結論
 
 グルントヴィが[アメリカの教育学者に]読まれもせず、認知もされないままだったということは理解できる。彼の150巻に及ぶ著作は、デンマーク語を話すグルントヴィの専門学者でさえひるませるものであろう(デンマークでもそういう人がいる)。そして、それらの多くの部分が印刷されていないので、彼の書いたものを検討するのは容易ではない。集められた資料を見れば、人はグルントヴィの内的な不一致、複雑なイデオロギー、デンマーク語の特異な使い方などで、自分が手に負えない挑戦をしていることに気づくだろう。結局、デンマーク語を読めなければ、ごくわずかな英訳しかないために(Education for Life, 1983; Thodberg & Thyssen, 1983を参照のこと)問題は幾何学的に拡大するということだ。
 とはいえ、グルントヴィの著作のいくつかは英語でも読める。さらに彼の著作は数年後にはもっと英語で読めるようになるべきだ。キェルケゴールの著作も読むのはむずかしいが、それでも世界中で著作を読むことができる。
 グルントヴィの語られた遺産を批判的に検討することだけして、彼とアンドラゴギーの内容ある関連を無視しつづけるのは、学者のあり方としてはフェアではないだろう。とくに、アメリカの成人教育の父がそれほどまでに明らかにグルントヴィの生きた言葉に影響を受けており、アメリカの成人教育者が哲学的な道標を熱心に探しているのであれば、われわれはこの状況を正し、彼の著作を読むことによって、参考文献においても、グルントヴィに功績を帰する必要がある。たとえば、『デンマークの愚かさとデンマークのフォルケホイスコーレについて、デンマークに捧げる祝福の言葉』などはイデオロギー的に面白いものだし、ユーモアある皮肉に満ちて、昂揚させるものである。グルントヴィの精神の才覚とウィットを直接楽しむことが一度もなければ、それは大きな損失であろう。

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