六義園、旧古川庭園、西ヶ原一 里塚、飛鳥山界隈

2015年11月27日(金)、萩和会は第6回歩こう会を開催した。10:30駒込駅集合。

六義園(りくぎえん)

ここは2013年7 月6日にも訪れているので2度目だ。前回は大分歩いて正門から入ったが今回は駒込駅から徒歩2分の染井門から入った。皇居乾通り一般公開に合わせ て解放したという。六義園八十八境八十五の山陰橋(やまかげばし)と同八十六の剡渓流(ぜんけいのながれ)周 辺を散策して染井門に戻った。

昔山陰に住んでいた王子猷󠄀(おうしゅう)という人が友人の戴逵(たいき)に会いに雪の 降った月夜に小舟に乗って剡渓流に棹差して訪ねていったが、門の前までいったのに「興が乗ったから来たが、興が尽きたから帰る」と言って帰ったという故事 に基づいて作庭したという。



山陰橋と剡渓流

旧古川庭園

六義園から取って返し、旧古川庭園に向かう。ここも2013年7月6日に訪れているので2度目だ。ここで記念撮影して昼食をとった。バラが良かった。



全員集合 三浦氏撮影



西ヶ原一里塚

旧古川庭園から飛鳥山に向かって歩いていると、道路の中央に江戸時代の一里塚が残っていた。日本橋から日光まで続く「日光御成道」の二番目の一里塚だとい う。ちなみに一番目は本郷追分にあった。大正時代の東京市電の路線工事にともない撤去されそうになったが、渋沢栄一等を中心とする地元住民の運動によって保存されたという。旧岩槻街道の両側にあったもの。車道中央にある石碑には二本榎保存之碑と書いてある。



西ヶ原一里塚


飛鳥山

国民番号の印刷でミソをつけた国立印刷局の工場前を通過し、飛鳥山公園に向かう。なんでここに印刷局があるのか疑問に思ったが、渋沢栄一が初代紙幣頭(後 の印刷局長)になったことと関係があるのだろう。飛鳥山の一部に渋沢栄一の邸宅跡があった。今残っているのは青淵文庫(せいえんぶんこ)と 渋沢栄一の喜寿を記念して清水組から贈られた木造の洋風茶室の晩香廬(ばんこうろ)と広大な敷地である。バンガローをも じったものだという。



青淵文庫


渋沢栄一の敷地の東面はJRの線路から見上げる隅田川の河岸段丘で。中腹に歩道があり、そこに下る階段がところどころ設けられている。また敷地内には飛鳥 山一号墳という古墳がある。古墳時代後期の直径31mの円墳。公園内にはほかにも古墳の痕跡が残っている。



河岸段丘につけられた階段


飛鳥山は江戸享保期に行楽地として整備され、明治6年(1873年)には上野公園などと共に日本最初の公園に指定されたところだ。園内に「有皇国之名華」 (皇国の名華あり)から始まる佐久間象山作の「桜賦(さくらのふ)」の詩碑があった。そもそも「御立場」(地主山、床几 山)だった場所に2間半四方の敷地を確保し、そこに建立された。しかし1965〜68年に行われた石神井川の飛鳥山隧道建設工事に伴い、御立場跡から下 がった現在地に移転されたという。 櫻賦は自分を桜にたとえ、桜が日本特有の名花であるが如く、自分も日本に比類のない卓見を懐いており、外国の侵略には 「攘夷」と言って騒ぎ立つべきではない。開国し外国の学術、技芸を取り入れ、日本の文化と軍備とを外国と同等以上に引き上げて外国の野心を鎮圧せねばなら ぬ」との趣旨だという。



像山先生櫻賦

飛鳥山は本郷台から続く丘だが、王子駅付近で突然途切れる。隅田川の支流である石神井川が削って丘陵地帯が途切れたのである。丘が切れたところにモノレー ルがあって王子駅に下ることができる。

音無親水公園


明治通りには横断歩道はなく、王子駅の歩道橋を渡ってようやく音無親水公園に着く。この公園は石神井川の旧流路に整備された公園だ。 石神井川は、音無川と呼ばれ、 古くから景勝の地として親しまれてきた。1965〜68年の河川改修工事で石神井川は飛鳥山に穿ったトンネルに吸い込まれ、残された旧流路に水はなくなっ た。「かっての渓流を」ということで音無親水公園が造られたのだ。



音無親水公園


音無親水公園に沿って川の跡をさかのぼるとやがて左手に高いコンクリート壁が立ちはだかる。これが現在の音無川の本体である。どんどんさかのぼるとやがて 川底をのぞけるようになる。音無川は蛇行の激しい川だったようだが、今ではまっすぐに掘削され蛇行部は盲腸となってところどころ公園となって残っている。



金剛寺脇の蛇行部

王子稲荷


王子駅に戻り、王子稲荷に向かう。稲荷とはいえ立派な神社だ。幼稚園を経営して地元に貢献している。稲荷の左手の坂は「王子稲荷の坂」というのだそうな。



王子稲荷


名主の滝

江戸時代の王子村の名主、畑野孫八が屋敷内に滝を開き、茶を栽培して避暑のために一般に開放したのが始まりという。株式会社精養軒が買収 し、食堂やプールなどを営業していたが、戦災で焼失。その後は荒れ果てていたが、東京都が土地の買収と橋や東屋などの修理を進め、1960年に都の有料公 園として開園した。結構な量の水が流れている。男滝(おだき)、女滝(めだき)、独鈷の滝(どっこのたき)、湧玉の滝(ゆうぎょくのたき)の4つの滝が復元が、女滝、独鈷の滝、これらの滝は涸れていた。いずれもポンプで汲み上げて循環しているという。



男滝

16:00王子駅前の飲み屋で反省会。

December 3, 2015

Rev. April 23,2016


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