小石川後楽園

2004年12月1日、 所用で東京に出たついでに今だ訪れたことのない小石川の後楽園に立ち寄った。JR水道橋駅から徒歩の距離にある。 正門は閉鎖中で裏口が使われている。65才以上の優待切符ではいる。入園して樹木の上に東京ドームの無粋なテント屋根が見えるのはいただけないが、庭園そのものはかなり作りこんであり、自然の地形を利用したのであろうか、起伏があり、森林もうっそうとしてよかった。 丁度紅葉の季節で秋のひと時をすがすがしく過ごせた。

後楽園は 1624-1643年の寛永年間に初代水戸藩主によってつくられた回遊式築山泉水庭園である。 長い年月を経ているため、巨木が多い庭園である。明の遺臣、朱舜水が設計した石造りのタイコ橋である円月橋や直線の西湖堤はめずらしい。 後楽園の名は二代目藩主、光圀が朱舜水の撰名により「岳陽楼記」の”先憂後楽”からとったといわれている。

船着付近から大泉水、蓬莱島、徳大寺石を望む

後楽園の南側には堂々たるトヨタの本社ビルがあった。

武蔵境の亜細亜大学の研究会に はまだ間があったので中野で途中下車し、1962年に約1年間住んだ寮があった場所を訪れてみた。記憶と一致しないところもあるが、中野3丁目32番6の あたりではないかと思われた。ただ古い建物がほとんど消えていて寂寥感がせまる。人は記憶によって生きているところがあると実感する。

後楽園内には神田上水の開渠が横断していた。

December 3, 2004

Rev. June 3, 2014


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