秦野 

桜土手古墳

2014/7/21、数年前から気になっていた秦野の古墳を目当てにでかけた。小田原で東海道線から小田急線に乗り換え、渋沢で下車。徒歩で1.5km先 の市立桜土手古墳公園に向かう。立派な並木と歩道があって歩きやすい。眼前には丹沢山塊がみえるが、山頂は雲の中である。梅雨は明けたので はととおもっていたが、少しぱらついた。

渋沢駅で丹沢登山客がリュックを背負ってウロウロしているのをみるとしばらく遠ざかっていた山が恋しい。1999年春にジープで渋沢の西のはずれの柳川の里に迷 い込んだことがあった。まるで桃源郷であった。今はどうなっているのだろうか?2003年に渋沢駅から南に向かい渋沢丘陵を散策したことを思いだ す。

桜土手古墳公園は工業団地の中にある。というか工業団地造成中に発見され、発掘された35基の古墳のうち、12基を現物保存するために造成さ れた。他は記録だけ保存されて壊された。公園内に6基、島津製作所内に1基、日産車体構内に5基が保存されている。古墳展示館の館員によれば両社とも大切 に 保存しているという。

グリーンウッド氏が某ビールメーカーの工場建設の基本プラン検討会で、敷地内に古墳があるのを発見し、これを中心にカフェテリアを配 置することを進言したが嫌な顔をされたことを思い出す。その会社はかって業界トップであったが今や見る影もない。社員の度量と業績は比例関係にあるのかも しれない。

桜土手古墳公園には6個の古墳が保存され。復元古墳が1基鎮座している。復元古墳とは記録だけ保存された最大の1号古墳をモデルにして創建当時の石葺きの 姿に復元した模造品である。実物の1号古墳は実際には日産車体構内にあった。



奥に復元古墳と手前右は30号古墳

これらの古墳は古墳時代も遅い7-8世紀のものだという。桜土手古墳公園は水無川(み ずなしがわ)の ほとりにある。盆地扇端部で流量の大部分が地下に伏流するため、昔はその名のとおり盆地内を流れる「水無」川だった。戦後、流域に工場や住宅が増えるにつ れ、そこから流入する水(排水や浄化処理された水)が流れるようになり、流量は安定した。それでも時期と場所によってはほとんど水が流れていない事もしば しばある。このように昔は飲料水が手にはいらないので集落はなかった。あくまで墓地として利用されたものだという。

古墳展示館には秦野駅南口近くの2万年前の太岳院遺跡の旧石器時代、あるいは4,000年前の寺山・寺山金目原遺跡など縄文遺跡から出土した石剣、石棒、 石皿なども展示されている。



石剣



石棒

渋沢駅から相模大野経由帰宅。

July 21, 2014

Rev. December 1, 2017


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