三浦半島

鷹取山と金沢八景

wakwak山歩会は低気圧が太平洋上を通過中の2002年2月3日(日)、鷹取山と金沢八景の散策を決行した。

10時30分にJR横須賀線「東逗子」駅改札口に集合。神武寺、鷹取山は3年前にも往復したことがあるが、今回は引き返さず、京浜急行田浦駅まで尾根筋を縦走した。万全の装備をした上に傘をさしての登山である。12:00には雨の中、鷹取山の東屋のなかで昼食。いなせが肌をさす。この雨の中、岸壁クライミングの訓練をしている一連隊がいた。寒風に完全にまいっているようす。

京浜急行田浦駅から金沢八景駅までは電車で移動。雨の中、漁船やヨットが係留された平潟湾沿いに野島に向かう。安藤広重えがく金沢八景の一つ平潟落雁はこの湾であろう。いまでは野島に連絡する橋が低いため、平潟湾に係留したヨットは東京湾に出るのにマストを倒さないと出られない。夕照橋を渡って野島に入る。夕照橋からは干潟で餌をあさる野鳥を観察。安藤広重の金沢八景の一つ野島夕照はここからの風景か?

野島では江戸時代、野島周辺を埋め立てた泥亀翁の屋敷跡と石碑を見る。急坂を登って野島の山頂に立つ。今日歩いてきた鷹取山が見える。その向こうには双子山とおぼしき土饅頭のような2つの山が雨にかすんでみえる。坂を下って伊藤博文の別荘を訪れる。いまだに茅葺の家が残っている。野島橋を渡って洲崎町の明治憲法草案起草の地に立つ石碑にいたる。伊藤が金子堅太郎らとともにここにあった小料理屋で憲法草案を練ったと書いてある。伊藤博文の別荘からすぐの所である。また小泉夜雨、内川暮雪、州崎晴嵐、乙艫帰帆、瀬戸秋月などの金沢八景が銅版になっている。ところで金子堅太郎はハーバードに学び、マハンの著作をはじめて翻訳した人である。

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称名寺 (コンちゃん撮影)

ここから金沢町の称名寺まで歩く。金澤山(きんたくさん)称名寺は山の囲まれた静かな場所にある。仁王門をくぐると阿字ヶ池とこれにかかる朱色に塗られた反橋と平橋が見える。昭和50年代に復元されたものである。平安時代の御殿建築の影響を感じる。北条実時創建の私設図書館、金沢文庫がある。

称名寺は世界遺産登録をめざしている国指定史跡である。

県立金沢文庫は疲労回復にお世話になった。16:00万歩計は2万歩を越えた。コンチャン宅で反省会。

コースは東逗子駅→神武寺→鷹取山・昼食休憩→京浜急行田浦駅→金沢八景駅→平潟湾→野島→伊藤博文の別荘→称名寺・金沢文庫→京浜急行金沢文庫駅→富岡駅→近藤家

2002.2.4

Rev. April 11, 2007


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