浅間神社、裏大仏ハイキングコース、極楽寺

裏大仏ハイキングコースは源氏山と長谷大仏を結ぶ稜線の上につけられた山道である。

2007年3月7日、鎌倉税務署に確定申告書を提出した帰り、長谷大仏に向かって長谷五丁目を歩いていると、浅間神社入り口に気がついた。神社は山の上にあるので多分そこから裏大仏ハイキングコース (赤色)に出られるのではと急な石段を登ってみると期待通りであった。大仏切通のところで少し下がり、登り直すと長谷配水池である。

黄色ルートが今回トライしたルート

長谷配水池は2000年3月、wakwak山歩会の仲間とはるばる瑞泉寺⇒天園ハイキングコース⇒葛原ヶ原岡ハイキングコース経由でたどり着いたことがある。そのときは長谷配水池から今は住宅地になっている馬場ヶ谷に下り極楽寺にでた。

馬場ヶ谷を下って極楽寺には出ず、西側の尾根伝いで鎌倉山にゆくルートはないかと長谷配水池脇からかすかに見える踏み跡に入った。老紳士が一人、行き止まりだとつぶやいてでてきた。一応情報をもらってチャレンジしてみたが、この尾根を取り巻く谷(やつ)は住宅が密集し、いずれも背後の崖をコンクリートで固め、フェンスを取り付けてあるので、下に下りることはできなかった。唯一稲村ガ崎小学校の裏手で尾根は終わっており、 一般道路から出入り可能な場所もあるが小学生が深い山に入り込む危険があって入り口をつけるのがはばかれるのであろう。往復約1時間かかった。

鎌倉園近くの鎌倉山遊歩道から 弥生時代末期から古墳時代初頭の住居跡と鎌倉時代の一升枡遺跡のある尾根を望む

尾根を往復する途中、予期せずに世界遺産登録をめざしている国指定史跡「一升枡遺跡」 を発見した。 「一升桝」の北約100メートル付近には尾根が広くなっている。これも鎌倉時代のものかとおもったが、弥生時代末期から古墳時代初頭の住居跡と推定されているようである。

馬場ヶ谷に並行する西側の尾根に散策路を付ければ観光資源として活用できると思うのだが、私有地となっていて道を付けられないのだという。

馬場ヶ谷に並行する西側の 尾根の上から鎌倉山方面を望むと料亭と思しき豪邸が見えた。これは地図と照合して鎌倉園とわかった。 鎌倉駅→浅間神社→大仏切通→長谷配水池→尾根筋の探索(一升枡遺跡)→長谷配水池→極楽寺の全コースは4.5kmであった。

鎌倉には「一升枡遺跡」と類似の「五合桝遺跡」がある。

2008年3月13日、鎌倉税務署に確定申告書を提出したのち、裏大仏ハイキングコースを北上して化粧坂を下り、亀ヶ谷坂経由建長寺にでた。

April 11, 2007

Rev. March 13, 2008


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